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難しい

訳すことって、やっぱり難しいですよね。
今は日本の古典である雨月物語を、趣味的に現代語にしているわけですが、それでも時に、うわって場面にあたります。

これまではそういう、わかりにくかったり、現代にはない所は適に飛ばしたり言い換えたりして来ましたが、今回扱う夢応の鯉魚にはそうも言っていられない場面が。

ずばり、地名です。しかも、省くと物語の良さが半減しそうな勢いで、地名が出ます。そんなのにいちいち注釈なんて、うんざりします。

今までもちらほらありましたが、原文そのまま載せたくなります(笑)お堅い訳なんて、面白くもなんともありません。授業を思い出して憂鬱になるだけです。場合によったら鳥肌が立ちます(笑)

そんなこんな、今回はざっくりと、 夢応の鯉魚がどんなぶっ飛んだ話かを紹介します。(実際は美文で語られているので悪しからず。)

さてこの夢応の鯉魚の時代設定は平安、主人公は僧侶です。絵を描くのが得意なお坊さんは海女さんから魚をもらっては湖に放し、その様を描き写すのが好きでした。

因みに、お坊さんが魚たちと戯れる夢を見て、それをそのまま、目覚めた後に描いた絵に付けた題名が、「夢応の鯉魚」でした。

さて、ここまでは別に異常な内容ではありませんね。絵を描くのがうまいお坊さんが、キャッチアンドリリースの精神で生きている魚を書いたり、夢に見た魚を書いているだけです。
しかし、ある年お坊さんが病気になり、死んでしまった(保留)ところから、とんでもない話になっていきます。

お坊さんが死んだ(保留)、それでも葬儀を出さなかった弟子たちですが、別に怠けていたわけではありません。生き絶えたはずなのに、胸のあたりが少し暖かだったため、見守ることにしたわけです。

いや、暖かい時点で生きているでしょう。何を持って死んだと思ったのか、聞いてみたいところですが。息をしていなかったのでしょうか。

その三日後、お坊さんは目を覚ましました。復活です。・・・そもそも普通に生きていたんじゃないかと思いますが、そういうわけでもないらしい。
ここからお坊さんの冒険譚が始まるのです。

病に伏せていたお坊さん、どうも魂が抜け出ていたらしいんです。それで、いきなりある富豪の食事事情を言い当てたことで信憑性を増したわけですが。さて魂が浮遊して富豪の家に行ったのではありません。そこに行き着くまでがあるのです。

病が苦しかったお坊さんは苦しさのあまり自分が死んだのも知らず(?)なんとか気分を紛らわそうと門から出てしまうと、病がどこかへ行ってしまったようで体が軽くなる。それで山を越え里を超え行くと、湖にたどり着いた。

そこで、泳ぎたくなって中に飛び込むんですね。しかも割と自由に泳げることに呑気にお慶びになっていらっしゃるんですが、一応この時死んでいることになっています。

それでも、魚たちのようには自由に泳げなくてもどかしくていると、魚の王のようなのがしもべ(魚)を引き連れ湖の深いところから浮き上がって来て、

海の神からの詔。老僧にはキャッチアンドリリースの功徳があり、さらに老僧は自由に泳ぐことを願っている 。であるからして、仮にしばらく金色の鯉の服を授け、水中を楽しみをさせてくださる。騙されて釣り糸に掛からないよう注意なさい。

とのこと。老僧に魚の皮衣が与えられました(笑)しかも次の瞬間には、自分の体は鯉魚に変わっているのです。それを老僧、別に変なこととも思わないのです。

夢だから?いやいや、夢であって夢ではないのです。一応魂が抜け出た設定ですから。

そのまま魚になった老僧は心のままにあちこち泳ぎ回ります。ここが、今回全訳を断念した場面。というか、技量的に、文章の良さを潰してしまいそうだったので。一応、ほとんど地名を上げているだけですが、原文載せときます。面倒なので注釈は省きます。


まづ長等の山おろし、立ちゐる浪に身を乗せて、志賀の大湾の汀に遊べば、かち人(歩く人)の裳のすそぬらすゆきかひに驚かされて、比良の高山影うつる、深き水底に潜くとすれど、かくれ堅田の漁火によるぞうつつなき。ぬば玉の夜中の(ぬばたま→夜 を導く。ぬばたまには意味なし)潟にやどる月は、鏡の山の峯に清みて、八十の湊の八十隈もなくておもしろ。沖津嶋山、竹生嶋、波に移ろふ朱の垣こそおどろかるれ。さしも伊吹の山風に、旦妻船も漕ぎいづれば、芦間の夢をさまされ、矢橋の渡りする人の水なれ棹をのがれては、瀬田の橋守りにいくそたびか追われぬ。日あたたかなれば浮び、風あらきときは千尋の底に遊ぶ。

このスピード感とダイナミズムです。地図に疎いのがいけないのかとちょっと思ったりします。

さて、このように堪能していた僧侶でしたが、結構お腹空いちゃうわけです。そこらへんは、海の神様なり王様なりがなんとかしてくれてもよかった気がするのですが、そこまで面倒をみてはくれません。

結構逡巡した末、糸を垂らしていたのが知り合いだったということもあって、ついに餌を食べてしまうのです。

どうなるのかと言いますと、釣り上げたのが知り合いだったからと餌を食べた僧侶は普通に釣り上げられますが、その人物に向かって必死で抗議します。自分のこと忘れちゃったの?とかいうわけですけど。

お分かりですね。普通に魚がパクパクしているようにしか見えないはずなのです。

そのまま僧侶(魚)は富豪の家に売られ、15禁で規制されそうなくらいの目に遭い、ついに頭を落とされたというところで、僧侶 本体の目が冷めるわけです。

・・・もし、そのまま魚の寿命が終わるまで気ままに泳いでいたら、本人ってどうなったんでしょう。しかも富豪たち、実はこの金色の魚の膾をすでに食べているんです。
この富豪の人たちにそんな話をすると、さすがに気分が悪いですから、残った膾は湖へ捨てられました。

勿体無いとは言えません。僧侶だったものを食べていたようなものですから。

しかしその後僧侶の病はいえて、かなりの大往生を遂げます。最期に臨んで、絵に描いた魚を湖に散らすと、その魚たちは紙を離れて水の中を泳ぎまわりました。

そんな風に、絵としては何も残らなかったために、彼の絵は現存していないというわけでした。

途中、訳で一番やってはいけないことをしていますが、仕方なかったのです。おそらく文章力のある方がちゃんとしたやくをしてくださっているはずなので・・・すみません。

原文はいつもの通り、新潮日本古典集 雨月物語 癖物語からです。

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