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どこへ行くのだろう⑤

積み重ねの威力というのは、凄まじいものですね。未公開の小説が今どれくらいあるのか、ちょっと気になって確かめたら、なんと、62もありました(笑)消すのも勿体無い、しかし完結の見込みのほとんどないもの。公開すると黒歴史化しそうなもの、ただ季節が合わず公開していないもの、などなど。それが積み重なって62、そろそろ吐き出した方がいいような、その前に更新した方がいいような・・・

それで思ったのですが、これをやっていても、創作には毒にも薬にもならなそうなので、一番最初からこのサイトで連載し直し・・・は、もうかなり長いですしちょっと嫌なので、なろうさんかどこかで新規に連載しつつ、テンションが戻って来たら随時アップすることにします。
(それでも、雨月物語好きなので当分続けることになりそうですが。)
そんなわけで雨月物語 浅茅が宿 最後までやりましょう。

前回、 長い年月を経て、ようやく宮木と勝四郎が再会を果たしたところでした。勝四郎の愚痴がちょっとうざかったですね(笑)

さて、宮木と一緒に床についた勝四郎でしたが、松風が破れた障子紙を、まるですすり泣くかのように鳴らすので夜通し涼しく、長い旅の疲れが出て熟睡します。
明け方になり、空も明るくなって来た頃、夢心地にもなんとなく寒く、夜具を体にかけようと探る手に、なんであろうか、さやさやと音がして、目が覚めた。

顔にひやひやと何かが落ちてくるのを、雨でも漏るのかと思ってみれば、屋根は風にまくられ、有明の月(夜が明けても空にかかっている月)が白んで残っているのも見えた。家の扉はどこにあるのやら、床は朽ちて崩れた隙間から、荻や薄が高く生えていて、朝露がこぼれるため、袖はぐっしょりと濡れた。壁は様々な種類の蔓草に覆われて、秋でもないのに、野原さながらに荒れた家だった。
それにしても、すぐ隣で寝ていた妻は、どこへ行ってしまったのか。狐に騙されたのかと思って見ても、このように荒れ果ててはいても、元々住んでいた家に違いない造りである。
呆然として、よろよろと足をつくこともできない様子だったけれど、よくよく考えるに、妻はすでに死んでしまって、今はキツネやタヌキが代わりに住み、このような野原同然のあばら家となったので、妖怪が化けて、生きていた頃の姿を見せたに違いない。いやもしかしたら、私(勝四郎)のことを慕う妻の霊魂が帰って来て、話したのかもしれない。家も妻も、かねて想像していた通りであったと、悲しみのあまり涙も出ない。
私の身は戻ってくるのに、あなたはいないのだと、悲しく歩き回っていると、昔寝室だったところに、縁側を取り払い、土を積んで塚とし、雨露を防ぐようにしてあるのを見つけた。夜の霊はここから出て来たのかと思うと恐ろしくも、また悲しくもある。
お供えの水などが置かれている中に、木の端を削ったものに貼り付けてある紙のたいそう古びて、文字も所々消えて読みにくいそれは、間違いなく、妻の筆跡であった。
法名も年月も書かず、短歌に末期の心を哀れに述べていた。

さりともと 思ふ心に はかられて
世にもけふまで いける命か

夫がまもなく帰ってくるだろうと思う自分の気持ちに騙されて、よくもまあ、この世に今日まで生きて来ました

この歌を見て初めて、勝四郎は妻が死んだのを悟り、大声で泣いて倒れ臥す。しかしながら、いつの年の何日に亡くなったのかも知らないことの情けなさよ。ひょっとしたら、誰か知っている人はいないだろうかと、涙を抑えて出て行ってみると、すでに日は高かった。
最初に、近くの家に行き主人に会ってみたが、以前の知り合いではなく、かえって、どこの国の人間かと咎められてしまう。
勝四郎は、礼儀正しく挨拶して、
「この隣にある家の主人だったのですが、 生活のための生業のために京に7年ばかり滞在していて、昨夜帰って参りましたが、すでに荒れ果てていて人も住んでいません。妻も死んでしまったようで塚(=墓)もあるようですが、いつ死んだかもわからないので、一段と悲しいいのです。なにかご存知でしたら、どうかお教えください」
しかしこの人はやはり住んで日が浅く、宮木のことは知らなかったけれど、時々勝四郎の家に行き、菩提を弔う翁があることを教えてくれた。

勝四郎は大層喜び老人の家に行くと、腰が驚くほど曲がった老人が茶を啜っているのに会う。
翁は勝四郎を見るとすぐに、
「お主、なにゆえ遅くお帰りになったのか。」
この翁は里に長く住む、漆間の翁という人であった。

勝四郎は翁の長寿のお祝いを言ったのち、京に不本意ながら留まることになったことから、昨夜の奇怪な出来事まで詳しく話し、翁が塚を築き、霊を祀ってくれていたことの御恩のありがたさを述べながらも、涙を抑えることができない。
翁、 「お主が遠くへ行かれた後、夏の頃から戦いが始まり、里の人々は様々な場所へ逃れ、若者も軍に召集されてしまうので、田は荒れ果てた。
たた、節義の硬い宮木だけは、おぬしが秋にと約束なさったのを守り、家をお出にはならなかった。わしも、足が不自由で100歩歩くのも辛いほどであったから、閉じこもって里の外へはでなかったのだ。
秋が去り春が来て、その年(別れた年の翌年)、八月一日にお亡くなりになった。気の毒のあまりに、わしが自ら土を運び棺を納め、その最期に残しなさった筆跡を墓の印として、貧しい手向けもせめてもといたしましたが、わしはもともと字を書くことができなかったので、亡くなった月日を書いておくことができず、寺院が遠くて戒名を求める方法もなくて、五年がすぎておりました。
あなたの話を聞くに、きっと宮木の魂がいらっしゃって、久しい恨みを述べなさったに違いない。もう一度あそこへ行って、丁寧に葬いなさい。」
と言って、杖を曳いて先に立ち、翁と勝四郎は共に墓の前に項垂れ、 声をあげて嘆きながら、その夜は念仏を唱えて夜を明かす。
寝られないままに、翁が語るには、
「わしの祖父の、そのまた祖父すら生まれないほどはるか昔のことよ。この里に真間の手児女(万葉集にも登場する人)という、たいそう美しい娘があったそうな。家は貧しいので粗末な着物を着て、髪を梳かすこともせず、靴すら履かなかったけれど、顔立ちは満月のように美しく、微笑めば花が香るようで、『綾錦に包まれた都の高貴な女性にも勝るだろう』と、この里の人は言うまでもなく、京都から下ってきた兵たち、隣の国の人なども、言葉をかけて恋い慕うものがないのを、手児女は辛いことと、思い沈みつつ、『多くの人の心に答えよう』と、 この入り江に身を投げた

※一人を選ばず、皆に応えようとして身を投げた=実際にはすべての男性に報いることができないから※

このことを、世の哀れな例であるとして、昔の人は和歌にもお読みになって語り伝えるのを、わしが子どもであった時母が面白く語りなさるのでさえ、大層可哀想なことだと聞いていたのを、この亡き人(宮木)の心は、大昔の手児女の純真な心より、どれほどまさって悲しかったことでしょう。」
と、語る語る涙ぐみ、止めることができないのは、老人の堪え性のなさであろう。勝四郎の悲しみは言うまでもない。
この物語を聞き、感情の迸りを田舎の人が詠む

いにしへの 真間の手児女を かくばかり
恋ひてしあらん 真間のてこなを

真間の手児女を慕っていた人たちは、ちょうど私がかくも慕い嘆いているように、入江に身を投げた手児女を恋しがったことでしょう

思うことの一片すら言い表せないのは、上手く心を述べる人の心に優って、哀れだと言えるだろう。
この話は下総国にしばしば通う商人から伝え聞いたものである。

終わりました、浅茅が宿。 おそらく読んでいる人もそういないはず・・・と、勝手に思っているので、(法外に長いものは別として)これからはもう、一つにまとめます。多分。

注意!
意訳も多分に含みます。止せばいいのに、軽く細かいところを端折ったりもしています。あくまで娯楽としてお楽しみください。

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