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補足

先日までここに載せていた、雨月物語の浅茅が宿の時代背景を、蛇足だも思いますが、付け加えておきます。

宮木と勝四郎が会えなくなった背景に、戦乱があったことは話の中でも何度か出て来ました。ちょうど日本史の教科書も出て来たので確認しておきます。

時代は室町時代。 足利尊氏、足利義満、で、小・中学ではいきなりとんで、義政、ってな感じだったと思われますが、ちょうどその間に起こった戦乱です。

一番初め、勝四郎が出立して割とすぐに起こった戦いは、恐らく1438年の永享の乱でしょう。6代将軍足利義教と言う人は権力が好きだったのか、それともなんらかの強迫観念でもあったのかは知りませんが、とにかく将軍権力強化のために、ちょっと狂っていると思えるような専制政治を行いました。
この人が、宮木たちを引き裂く乱を起こしたのは、直接的に言ってしまうと、幕府に反抗的な、鎌倉公方の足利持氏を討ち亡ぼすためです。

そこで、鎌倉公方持氏と関東管領の上杉憲実の対立を利用するのですが。
・・・本当にろくでもないです。権力者の考えることなんか、よくわからないものかもしれませんが。

さてその一件が片付いた後平和になったかといえば、そうではありませんね。勝四郎が京都を発つきっかけを作った、二度目の争乱があります。それが、1454年の享徳の乱。先の永享の乱の後、鎌倉公方は持氏の子、足利成氏が継ぎますが、彼も上杉と対立して、成氏が上杉憲忠を謀殺したことをきっかけにして起こった戦乱です。

それ以後のことは浅茅が宿では述べられませんでしたが、不幸にも、関東はそのまま戦国の世へと突入していきます。

いつの時代でも、戦争なんてろくでもないですね。

注意!
個人の感想を含みます。確かなのは人名と年号くらいだと思ってください。
参考文献(?)は山川出版の、詳説日本史です。

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