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ヒドリと日照り

「雨ニモマケズ」を現在のことばにリライトしたもののほとんが、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」を、「日照りの時は涙を流し」と表記している。
宮澤賢治が「ヒドリ」を「ヒデリ」と誤記したと勝手に解釈している。
手帳を見ると、他の6か所では書き直した跡が残っているが、「ヒドリ」には手を加えていない。
次の行に「サムサノナツハオロオロアルキ」と夏の天候のことをいっている。「日照り」は夏の天候のことを表すのに、「ヒドリノトキ」と書いて、「ヒドリノナツ」とは書いてない。
東西南北とバランスよく書いて来て、ここだけ二行続けて夏の天候のことをいうのもおかしい。
ここは、賢治の書いたように「ヒドリ」と再現し、勝手に誤記と決めつけて、「日照り」と解釈すべきではないと思う。
数年前の朝日新聞で、賢治研究者が、「ヒドリ」とは「日取り」すなわち「日雇い労働」のことではと問題提起した。
日雇い労働はきついので、「ナミダヲナガシ」ながら働いたと解釈していた。
昭和の初めに岩手地方で「日取り」という働き方があったと書いてあったかどうかは覚えていない。
もし「ヒドリ」が誤記であっても、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」は原文のままでいいと思う。
それと、前回も書いたように、最終頁の南無妙法蓮華経と6体の仏と菩薩の名前もこの「詩」と一体で表記すべきだろう。
昭和8年9月21日、法華経一千部を印刷して知人に配布するよう父親に遺言して、宮澤賢治37歳で死去。
法華経の行者であろうとした賢治にとって、童話と詩と法華経はどこまでも一体のものなのだ。

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