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ライ麦畑のキャッチャーと雨にも負けず

「The Catcher in the Rye」の16歳のホールデン少年は、寮生活で知り合った同級生や先生や大人たちとうまくやっていけない。
知性と感受性にあふれた少年は、彼らの偽善的なふるまいがどうにも許せない。
史上最大の作戦に参加してPTSDを患った作者サリンジャーがなりたくてもなれなかった、ライ麦畑のキャッチャー。
作者が「僕はただそういうものになりたいんだ」と叫ばせた少年の魂は、どうしたわけか、宮澤賢治の「サウイフモノ二 ワタシハナリタイ」という願いと響き合う。
昭和6年(1931年)9月20日、35歳の宮澤賢治は上京中に発熱して遺書を書いた。9月28日に岩手に帰郷し、自宅で病臥。
11月3日、手帳に「雨ニモマケズ」を書いた。
だいたいは、これを詩として扱っている。
だが、書き出しの上に11.3と日付だけがあり、題名がないので、これは詩ではない。
おそらく、遺書の続きだろう。
(実際は、昭和8年9月21日37歳で死去)

ひとによっては、これを忍耐心を持つために、もしくは無欲無私の利他行を実践するための座右の銘とする。
だが、「サウイフモノ二 ワタシハナリタイ」からは、死期を悟り、体力も気力も尽き果て、「なりたくてもなれない」彼の悲痛な叫びが聞こえて来る。
手帳の左ページを見てほしい。
ほとんどは、ここを無視し割愛しているが、大書した南無妙法蓮華経の左右に三体ずつの仏の名前がバランスをとって書いてある。
ここが、この「詩」の帰結でありハイライトなのだ。
「雨ニモマケズ」は、菩薩道を実践した詩人・宮澤賢治の最後の祈りではないだろうか。




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