近況ノートは、名前からして近況の報告を行うものであることは容易に推察できるが、しかし日記ではない。なぜなら「不適切な記載」の中に「小説の執筆活動と関係のない営業、宣伝、勧誘、募集行為と捉えられる様な内容」が含まれるからだ。ああいや、これは「小説の営業や宣伝をする」の裏返しであって、宣伝の類でないなら小説の執筆活動と関係ないかどうかで制限されるゆえんはないことになる。つまり、日々の三食について記載する日記でも近況ノートに書くに値するということになろうか、いやなんねえよ。小説投稿サイトの近況に最近面白かったゲームの話とか書いちゃだめだろ、いやでも後書きでそういうこと書く作家さんとかいるじゃん、とはいえ、やはり無関係というのはよくない。むしろ、日記を書きたいのなら、日記を小説として投稿すればいいわけで、実際日記と小説の区別などというものは、誰にできるものだろうか。たとえば、日記の体裁で吸血鬼ハンターの業務を書き記しているならば書簡体小説であると露骨に分かるだろうが、会社員の退屈な毎日について書いた小説ならばそれは日記との区別がつけようがない。書簡体小説というのは魅力的な題材だ。また、ボルヘスのような「要約や注釈という体で実在しない書物を引用し、着想のみの丸投げを「生野菜を野菜そのものの味わいが豊かなサラダ」とか言って提示する芸術的詐欺行為(実際彼のそれは非常に面白い)」もまた、書簡体小説の類で用いるには非常に豊かな方法だ。『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』がまさにそういう方法であり、SCPもそういう話なのだが、しかしたとえば「存在しないゲームの攻略サイトを作って、言外に物語を語る」手法は、果たして子供の頃ノートに実在しないゲームの妄想キャラクターのワザ表を書いていたのと何が違うのかという疑問が出るし、逆に言えばそれらは決して恥ずかしい子供の頃の無益な妄想ではなく、ラテンアメリカ文学の大家が好んだ手法と同じものなのだ、という言い方もできる。そういうわけで、今、嘘ゲームの攻略サイト(という形式の小説)を作っています。