• 創作論・評論

パーリ仏典ノート-5 (長部戒薀篇)

パーリ仏典 長部ディーガニカーヤ 戒薀篇 片山一良
テーマは、大乗仏教が初期仏教からどんなきっかけで生まれ、何故大きく変遷したのか?その理由を理解すること。

梵網経、沙門果経等の長いお経が掲載されている。
沙門果経には、阿闍世王との対話があり、このお経は家の宗旨である浄土教の起点となった話なので、特に興味深く読んだ。
阿闍世王の父は、マガダ国のビンビサーラ頻婆娑羅王。頻婆娑羅王は、その息子を亡くし、その後高名な仙人が将来死んだ後に息子として生まれ変わるという予言を信じた。
そして、早く息子が生まれることを期待して、その仙人を殺害する。
阿闍世王が成長すると、釈迦の従兄弟のデーバダッタ提婆達多に唆され、父王を殺害する。
阿闍世王は、このことを気に病み寝られない。
そして当時の聖人と呼ばれた六師外道に、出家することの利益(沙門果)を問い歩くが、納得できる説明が得られない。
出家することで、このわだかまりを解決できることを願ったのだろうか?

お釈迦さまは、出家することの利益を説くが、それはそのまま仏教の生き方を解説している。
先ず、戒律を護る生き方、不善な生き方から離れる生活によって、煩悩のない平穏な心に気づいていく。その生活をベースとして、五感から入ってくる情報をコントロールし続けて煩悩から離れ、さらに瞑想により清くとらわれのない心の高い段階を進めていく。
そのことは、神通力に繋がり、過去世の記憶を思い出し、人界や梵天の生きる生命の心を見通すなどの力を得るそうだ。そして、この世の執着を超えて涅槃に至るそうだ。

阿闍世王は、この話を聞いて、仏教に帰依し、教団の保護者となり、世尊はそれを受け入れる。
阿闍世王は、救われたのだろうか?
お釈迦さまの言葉が残されている。
「かの王は堀だされているのです。かの王は破壊されてます。もし、かれが父王を殺さなかったならば、この座でそのまま、塵を離れ、垢の消えた法の目が生じたに違いない。」と言っているので、残念ながら悟りには及ばなかったが、目指すべき道は見えたのだろうか?

この逸話からも、この世における不善な行いが、苦しみの原因となること、その根本は欲望への執着にあること、欲望のトリックに巻き込まれないためには心を清める生き方への転換が必要であることは、一貫して説かれている。

父頻婆娑羅王と韋提希夫人の話は、大乗経の観無量寿経となり、専修念仏につながる浄土教の基本経典となった。

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