• 創作論・評論

パーリ仏典ノート-12 (相応部有偈篇2)

パーリ仏典 相応部サンユッタニカーヤ 有偈篇Ⅰ 片山一良
引退後のテーマは、大乗仏教が初期仏教からどんなきっかけで生まれ、何故大きく変遷したのか?その理由を学ぶこと。

お釈迦が涅槃された後、部派宗派がうまれ、論争が続いた。そして、その中から「大乗起信論」につながる大乗仏教が生まれてきた。
とりあえずは、初期仏教の経典といわれるパーリ仏典を読んでいる。そのことによって、当時の人々の気持ちを追体験できるのではないかと思ったからだ。

大乗起信論というのは、仏の本心は何かを考察した後世の論文のようなものだ。そこでは、自我の否定と利他の重要性が説かれている。利他業を大きな目的とする後世の宗派の先駆けのような議論だ。なぜ、このような議論が起きたのだろう?

これまでパーリ仏典を読んで、お釈迦様は輪廻を超える涅槃を目的として、渇愛の超克する為の清い生き方を説いた。
それを読みながら、追体験のように自分の中にもいろいろと疑問が湧いてきた。
一つは、現世の苦しみを除くことは、目的としなくても良いのか、ということ。もちろん清らかな道を歩むことによって、現世でも世間からの信頼を得て安楽に暮らせると説かれているが、この教えを他者に知らせることに重きがあり、積極的な利他活動は説かれなかった。ジャータカ物語では、仏は前世において捨身飼虎(飢えに苦しむ虎のために自己の身体を与えた由縁)をするほど、利他の人であったのになぜそれをとかなかったのか?そんな思いがわきおこった。
もう一つは、渇愛を除くための瞑想修行で行う修行によってもたらされる神通力は涅槃のためにだけあるのか?他人のために生かせるのではないかということだ。

なぜお釈迦さまは、自分が前世において成したような利他業を説かなかったのだろうか?
マッリカー経という教えがある。ブッダの友人のバセーナディ王が妃のマッリカーと話をする。
王が、妃に問う
「この世に自分より愛しいものはいるか?」
妃は
「自分より愛しいものはいません」と応える。
王は
「自分も自分より愛しいものをみない」と応える。

世尊は
「心によってどこに行こうと
自己より愛しいものを得ず
この様に自己は他者にも愛しい
それゆえに自愛者は他者を害するなかれ」
と説いた。

他にも、敵が来た時に家族や子供をおいて逃げた人々の逸話も書かれていた。
お釈迦様は、人間は生存の為に渇愛を持って生まれてくるが、その渇愛=自己愛であることを見切っていた、のではないかと思う。
渇愛を除くのは大変なことであり、それすらできない人間が利他を行うことの危うさを感じていたのかと思う。

懇意にさせていただいた天台宗の阿闍梨様がよく言われていた言葉がある。最初の修行は、自己の渇愛と向き合うためだけにおこなう。それが済んだら利他のためだけに生きる、それが逆になるとその人間は壊れてしまうんだよ。と

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