• 創作論・評論

パーリ仏典ノート-7 (長部大篇)

パーリ仏典 長部大篇1 片山一良
テーマは、大乗仏教が初期仏教からどんなきっかけで生まれ、何故大きく変遷したのか?その理由を学ぶこと。

長部のこの本には、大譬喩経という過去七仏の話と、大般涅槃経というお釈迦様が亡くなっていくまでの経緯や残された比丘たちにその後の修行の生き方を示した話が載っている。一つのお経がとても長い。

過去に生まれた七仏は、外観として特有の三十二相をもち、修行、悟り、救済という過程をリフレインした生涯をおくる。仏を産む母親は仏を産んだ後同じ様にすぐに亡くなってしまい、生まれた仏は生まれてすぐにこの世を救うことになる法則だそうだ。

大乗経典である法華経に久遠実成という見方がある。ゴーダマブッダは今世菩提樹の下で悟ったのではなく、前世から悟っておりその悟りを今世でも確認しただけだという捉え方だ。聖徳太子も法華経の意義は、久遠実成と一乗因果(独覚、声聞、菩薩の三つの修行の形態は、全ての人が救われるための輪廻の一つのシステム)だといっているが、仏は文明が成長と滅亡を繰り返す時に何度も世を救うために生まれてくるという法華経のモチーフはここにあるのかなと思った。

最近、ネットドラマで、ウェストワールドというドラマににハマっていた。人間そっくりのアンドロイドが生きる西部劇の仮想世界を作り、そこで西武開拓時代を体験するというアトラクションだ。(因みに第二シーズンは、日本の戦国時代)
マトリックスコンピュータで制御されて、アンドロイドは人間さながらの欲望追求のドロドロした世界を繰り返す。一方でその欲望世界から聖なる世界を希求する聖人はそこから生まれるのかという裏テーマもある。

大譬喩経を読んでこのドラマとダブった。
ドラマの場合は、人間がマトリックスシステムを使って作り輪廻に苦しむアンドロイドの仮想世界を傍観したり参加するという設定だが、お経が描くこの世は、この世に創造された🌍は、欲望で苦しむ人間がいかされており、時々その人間を救うために仏が再生し解脱の道を伝え、人々は涅槃を目指しながら輪廻の世界を生き続ける。

仏道とは何かを問われた時、お釈迦さまは
諸悪莫作 衆善奉行
と述べられた。悪いことをしない、良いことをする。ただそれだけだ、といった。すると弟子たちは、ただそれだけですか?と驚く。
お釈迦さまは、さらに
誰でも知っているが、それを実践するのは難しい、と言ったそうだ。

この言葉を別の言い方をすると、個人として他者に対して悪いことをしないということ以上の聖なる道はないのだということ。超人的な清らかな生き方というからには、自己制御以外の特別なもの、例えば仙人が困っている善人を救う様な特別な能力と生き方があるではないか、何かあって欲しいという思い(お釈迦様こそ超人的であり多くの人々を救った特別な能力の方なのだから、清らかな道には自己制御以外にも他者に対して何か貢献すべきことも含まれるのではないか?という思い) は沸き起こってくるのではないか、と思う。

自分の人生を他人の為の幸せに捧げるといったような菩薩の生き方が大乗で強調されてくるのも、悪いことをしない以上の善なる生き方として、人生を他者のために生かしたいそうありたいという願望を誰もが心底に持っているからではないかな、と思った。

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