• 創作論・評論

パーリ仏典ノート-1 (中部中分)

初期仏典を読んでいる。そこには日本では当たり前の称名念仏や南無妙法蓮華経も只管打坐も出てこない。初期仏教に書かれた釈迦の言葉と日本に根付いた宗派仏教があまりに違っていて、繋がりがスッキリしない。テーマを初期仏教から大乗仏教に大きく変遷した経緯の理解としてしばらく考えてみたい。
その手立てとして、ブッダの言葉を多く記録されているといわれるパーリ仏典を読み進んでみたい。テキストは片山一良先生の訳された中部マッジマニカーヤ 中分五十経篇。何が書かれているのだろうか?

初期仏教の経典は、対機説法になっていて、それぞれの人の疑問や質問に応える形でお釈迦様(世尊)が応える問答集となっている。その後、中国語に翻訳された身近な漢文のお経と違って、2500年前の釈迦が説法するドラマを見ている様でもあるし、入り込んでいくと対話の現場に立ち会っているかのように気持ちになる。

中部というのは、この会話や説法が中位の長さのものを集めたということらしい。およそページにして7から8ページ前後の長さ。
いろんな人が疑問を投げかけてくるが、その教えは主旨一貫して苦悩の人生を繰り返さぬための戒定慧を解説している。
それぞれの会話が、膨大な教えの体系のジグソーのピースのようになっている。小さな対話集の集積が、大きな統一されたマンダラを構成していることに気づくことになる。

戒は、盗まない、殺さない、悪口を言わないなどの出家在家の約束事。
定は、自己の心の様子をマインドフルネスすることにより、煩悩のない心を体験する瞑想実技。
慧は、この世は、苦、無我、無常であり、他者、社会に対して自分が与えた影響の反応としてそれぞれの人生が編まれていることを理解すること、と言えるか?
最初に読んだこの本には鋸の教えがある。盗賊に手足を切られることがあっても、冷静にかつ恨みのこころを持たず、再生の種となる因を作らね事をおしえている。
社会悪を糾すのを正義とするキリスト教などと比較して、個人が自省的に悪因を作らぬことを趣旨とする遁世的な宗教だと思うのだが、この鋸の教えは、過激な徹底したものであることを覗かせる。ガンジーや快川和尚(織田軍に攻撃されても、心頭滅却火もまた涼し、と言って亡くなった)繋がりを想起させる。

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