ネットも、もしかしたらリアルでも「正しいか正しくないか」で人はもめ事を起こすが、そもそも人間は矛盾だらけの大間違いな存在なのでそこを深堀りしても良い事はないぞ。
例えば「この駅の周辺にはタピオカ店が5軒ある」という文章は正しいが「この駅の周辺にはまずタピオカ店が1軒と、その他残り4軒のタピオカ店がある」と書いても良いわけだ。
後者の書き方は明らかに重複記載、それこそ「馬から落馬」というもので「正しいか正しくないか?」で考えたら間違いなく「正しくない」表現だろう。でも「面白い」ですよね?
少なくとも「最初のタピオカ店と他の4軒のタピオカ店とは何か違うところがあるんじゃないか?」と思わせそうな表現ですよね?
後者は間違っているけど面白い。そして最も排除されやすいのも後者だ。
このように「面白い」と「正しい」事には何の関係もない。それどころかむしろ「正しくない」方が「面白い」場合も多々ある。
なので「正しい」しかない社会は大抵は「つまらない」社会になってしまう。
重箱の隅をヨウジでほじくるような真似は世界をつまらなくする一方で何も良い事はない。
だから気に入らないものを「気に入らない」とか「正しくない」という理由だけで攻撃したり排除してはいけない。
なぜなら、そうしてしまうとあなたの好きなものはもちろん、あなた自身まで消されてしまうからだ。
「『気にいらない』という個人的な理由だけで表現を弾圧、抹殺するあなたそのものが最高に気に入らなくて不快なので消えてください」って言われたらあなたはどう答えますか?
って話ですよ。