CM……古くはテレビに始まり、今ではネットコンテンツの収益の柱として幅広く普及しているモノですが、
全く同じCMでも見せ方次第では「タップしてもいい」から「殺意すら抱く」まで印象はまるで変ります。
良くある「殺意を抱くCM」はいわゆる「山場CM」で、特に発言をピー音で隠すとかガチで最悪の中の最悪。
そんな最悪なタイミングでCM流しても逆効果になるのは目に見えているのにスポンサー側が分かってないのか、無くならないのはそういうCMを流せと言われているからなんでしょうね。
TVは「神様はいくらでも殺せるけどスポンサー様には指1本触れられないし、もし恐れ多くも触れてしまったら世界がひっくり返るようなとんでもない事になる」って思ってるんですよ。
実際、とあるテレビ番組の司会者が「そろそろCMなのでトイレに行っていいですよ」って言ったらスポンサーからの猛抗議の末に降板させられ、その後の放送台本の1ページ目には
『私たちの放送はCMによって成り立っています』とデカデカと書かれるようになったそうですから。
悪い例ばかりではなくいい例も挙げましょうか。ベスコングルメというTV番組は「アサヒ スーパードライ」の単独スポンサーなのかCMの入り方が非常にいい。
昔は「スタート直後」と「ゴール到着後」っていう「区切りの良い所でCMに入っていた」から毎週同じCM見ることになっても苦痛にはならないんだよね。
ベスコングルメは今でもある程度は区切りの良い場所でCMを流すから見るのが苦にならないのは結構でかい発見かと思う。
「アサヒ スーパードライ」の担当者やベスコングルメの担当者はべた褒めしても良い位の高評価を出せる。
他にもスマホゲームでは一時期世界規模ではやった「ねこあつめ」の広告も秀逸だった。
たまに「庭にやって来た猫がチラシを持ってきましたが見ますか?」っていう表示が出て、それに同意して初めて広告が出る仕組みになっている。
ゲームの没入感を阻害することなく広告が出せて、ゲーム本編と関係ない広告でも「猫が持ってきたチラシだからなぁ」と納得できるのもかなりでかい。
この番組やゲームで「CMの入り方次第で印象はいくらでも変わる」っていうのが分かったんだからそこを見習うべきなのに、と他のバラエティ番組を見ていて痛烈に思う。
複数のスポンサーが絡むと最大公約数の答えしか出せないから「リービッヒの最小律」や「ドベネックの桶」になって「とにかく山場にCM入れろ!!」
ってなるから厳しい。っていうのもあるんだろうが。
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