「花旦綺羅演戯 ~娘役者は後宮に舞う~」(
https://kakuyomu.jp/works/16817330647645850625)、手元では脱稿しております。完結まで毎日更新できる見通しが立ちましたので、安心してお読みいただけるかと思います!
カクヨムコンは1月いっぱいまで開催ということで、短編も長編ももう幾つか出したいな……と練っているところです。年末年始でどこまで書けるか、頑張りたいですね。
今回の裏話は、一人称について。ちょっと特殊な一人称がちらほらと作中に出てきたので(ご存知の方にとっては当然のことでしょうが)軽く解説してみます。
朕《ちん/zhen》
皇帝だけが使える一人称。作中の皇帝・翔雲は臣下に対する時は「朕」、皇太后に対する時はへりくだって「私」を使っています。香雪に対して「俺」というのは完全なオフ状態ですね。皇帝は私的な時間空間でも「朕」を使うものなのか、そうではないのかは浅学にして分からないのですが、言葉遣いによってオンオフや寛ぎ度が分かると良いよね……という考えで使い分けさせています。
奴才《どさい/nucai》
宦官が貴人に対してへりくだる自称。皇帝に対して~と説明しているのを見ることもありますが、清末の宦官の証言を読んでいると西太后(はまあ特例としても)やほかの太妃に対しても「奴才」を使っていたので皇帝に限らず貴人・皇族に対しては使っていたのではないかと思います。作中では隗太監と霜烈が使っています。霜烈が、嬪である香雪に対して「奴才」と自称しないのは、後宮に不慣れな彼女に大仰さを感じさせない気遣いだったりするのかもしれません。
哀家《あいか/aija》
夫を亡くした皇太后や皇子妃だけが使う一人称、とのことですが、用例はもっぱら戯曲等に現れるとのことなので、実際宮廷で使われていた訳ではないのかもしれません。未亡人の本来の意味は「(夫に殉死することもなく)未だ亡くならない人」であるように、一人称まで使って一々悲しみを露にしなければいけない昔の偉い女性は大変です。作中で使う立場の人は皇太后だけなので、差別化というかキャラ付けとして、ちょっと珍しい人称を使わせてみました。
日本語の一人称の表現の豊かさはよく言われるのですが、こう見ると中国語も、少なくとも古代においては多彩で面白いですよね。ほかにももっと色々あるのですが、あんまり多用しても分かりづらくなるので&私のニュアンスを把握しきれていないので作中で使ったのはこれくらいで。
ちなみに二人称にも言及すると、古代中国に置いて恋人や夫婦間などの親しい間柄で使う二人称に「歓」があったそうです。呼びかけること、それ自体に喜びが滲むようで艶めかしく美しい表現だと思いました。