「花旦綺羅演戯 ~娘役者は後宮に舞う~」(
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男役の隼瓊と星晶が登場し、宝塚的なキラキラ要素が増える一方で、ライバル役の喜燕・絵に描いたような悪役妃の瑛月の動向も不穏になってきました。そんな中、燦珠はやっぱり華劇で頭がいっぱいです。ここから、役者として精進しつつも陰謀・政争に関わっていくことになりますので、引き続きお楽しみいただけますように!
前回の近況ノートに続いて、京劇豆知識を本編と絡めてお伝えしようと思います。今回は衣装について、と思ったのですが、まずはその前提となる京劇の歴史について。
花旦綺羅~の衣装の描写は明代のものを参考にしています。基本的には現代に近いほど動きやすくバリエーション豊富になっていくので、うちの子たちには可愛くかつ楽な格好をしていて欲しい、というのが理由のひとつ。もうひとつは、シンプルに京劇の衣装は明代のそれをベースにしているからです。三国志だろうと水滸伝だろうと、京劇の衣装が作中の時代に合わせて変わることはありません。まあ歌舞伎もそんな感じですしね。
それでは、なぜ京劇の衣装は明代ベースなのかというと、その成立の歴史に深く関わってきます。
京劇が成立したのは清朝は乾隆帝の時代。地方劇が北京に持ち込まれ、宮廷で人気を博したのがその切っ掛けです。北「京」で成立したから「京」劇なのですね。清朝はご承知のように漢民族にとっての異民族・満州族の王朝です。辮髪の強制でも知られるように、統治にあたっては漢民族の文化は厳しく規制されました。そんな中で、舞台の上だけはなぜ明調の、つまりは漢式のものが許されたのかというと、歴代の清朝皇帝は意識的に娯楽を民心掌握の手段として利用していたから、のようです。
皇帝の名のもとに豪華絢爛な公演を催し、その権威を見せつける。一方で、被支配階級となった漢民族に、その様式の衣装を許すことで不満のガス抜きとしたのではないか、ということですね。この絶妙な統治感覚、花旦綺羅~に登場する生真面目皇帝は見習ったほうが良いですね。
実際、京劇の演目には楊家将演義や岳飛ものなど、「異民族の侵略に立ち向かう英雄もの」も多いです。敵の名こそ違えど、満州族の清に統治される漢民族の観客は、自分たちの境遇を舞台に重ねていたのかもしれません。(もちろん、日本の歌舞伎と同じく、当時の同時代の政治や権力者を批判する内容は取り締まられるのですが)
なお、「外敵に抵抗する我々の英雄」という図式は、日中戦争における抗日運動、戦後における階級闘争と、歴史が下ってもその時々の情勢に合わせて繰り返されます。国の危機にあたって外敵への対抗心を高め、内部では一致団結するためのものとして作用してきた訳です。それだけ京劇が人口に膾炙しているがための自発的な熱の高まりでもあれば、一方でそれをよく知る権力者側が利用してきた面もあるでしょう。
戦時中は、日本軍が高名な役者に宣伝活動に加担するよう強制したこともあります。京劇を知らずとも多くの人が名前を知っているであろう男旦《おんながた》の名優・梅蘭芳《メイ・ランファン》は美貌に髭を蓄え、注射で高熱を出させてまで日本軍への協力を拒否しました。芸のみならず、そのような強い心・精神性も彼の名が語り継がれる理由なのだと思います。
皇帝の庇護下で宮廷で発展し、プロパガンダの側面も非常に強い──京劇とは非常に政治的な芸術でもあるのです。庶民発の娯楽であった歌舞伎とは、その点がかなり異なるとも言えるでしょう。
文化大革命時代の京劇について語ろうとすると悲しくなるので、興味がある方は調べてみてくださいますように。京劇の概要を学ぶのに参考になった書籍を以下に挙げておきます。
「京劇と中国人」 樋泉克夫 新潮社 1995年
「京劇 「政治の国」の俳優群像」 加藤徹 中公叢書 2001年
次回の近況ノート更新はまた明日の予定です。知りたい方も多いかもしれない作中の衣装の描写について語ってみます。