どうも、茶畑紅です。
最近書くことに慣れてきた気がします。短編についても、すらすらと前より短い時間で書けるようになりました。……単にてきとうになってしまっただけなのかもしれませんが。
まあでも、慣れてきたことには変わりありません。この調子でどんどん続けていこうと思います。
今回の短編についてですが、書いているうちにワードの片方が全然前に出てこなくなりました。やはり、ワードをしっかり登場させる内容を先に決めておかないと、書いてるうちに消えてしまいますね。また気をつけるべき点が増えてしまいました。頑張ります。茶畑紅でした。
では以下短編です。
・短編 ワード『モアイ像』『本』
レポートのお題を『モアイ像』で提出した。だけど、大学の教授からは再提出だと跳ね除けられた。その時に言われた言葉はこうだった。
「書かれた内容が本の受け売りばかりでつまらない。こういう物は実物を見てから書くんだよ」
俺は頭沸いてるのかこのクソじじいは、と思った。十五回ある講義の中の、中間レポートという半ば講義を聴いていたかどうかの出席確認だろうに、どんな完成度を求めているんだと。
だけど、こうなることを想定してもいた。なぜなら、この講義を取る前から、あの教授はレポートに卒研並みの完成度を求めてくるからやめたほうがいいと噂されていたのを知っていたからだ。
知っていたのになぜ取ったのかと聞かれたら、それは単純に講義内容が気になったからだろう。やめたほうがいいと言われても、気になったら突き進む性分なんだ、俺は。
しかし、いざ誰もこの講義を取らない原因に直面してみると、こみ上げるものがあった。当然、完璧を追い求めるその姿勢に感激して、とかではなく単純に怒りが沸いたのだ。それも、憤慨といっていいレベルの。
同時に悔しさもこみ上げてきた。提出したレポートは別に手を抜いたわけでもなかったから、単純に認められなくて悔しかったのだ。本を主体にこれでもかと調べてやったのだ。モアイ像の作られた理由とか、素材は何かとか、その他もろもろ。まあ、作られた理由に関しては詳しくわかっていないみたいで、曖昧なことしか書けなかったが。
ともかく、悔しかった俺は再提出することを誓ったのだ。
そして、俺はその週の休日を使ってイースター島へ実物を見に……行くはずもなく、大学内でモアイ像の実物を見たことのある人たちに取材をお願いした。あの教授は実物を見ろといった。だから、実物を見た人の意見を聞くのが早いと思ったからだ。
もちろん、さらに本を読み漁ることも忘れない。なんなら図書館にある論文の書き方の本なども網羅して、全体的に完成度を高めた。知り合い何人かにも見てもらって、太鼓判を押してもらった。「お前もう卒業制作してんの?」といわれて、俺はなんでこんなことをしているのだろうという気分になったが。
そうして、翌週の講義の日。講義を受ける人数が五分の一程度になっていたのも気にせず、三十枚ほどはあるだろうレポートを手に教授の下へと向かった。
「お、君は確かモアイ像のレポートを出した子だね。再提出のレポートは完成……したようだね」
教授は俺の持つレポートを見て、察したように頷いた。
「それで、今回のレポートは聞きかじったことを書き連ねたくだらない物ではないのだろうね?」
挑発的な物言いに俺はひるむことなく答える。
「ええ。この間の休みを使って、ちゃんと実物を見てきましたから」
平然と嘘をついてやった。
「……ほう、そうか。ならばいいものになっていそうだ」
そう言って教授はレポートを笑顔で受け取り、そのまま教室を去って行った。
その更に翌週。俺の手元にレポートが帰ってきた。その表紙には、簡易的な数値による評価とコメントが書いてあった。俺は拳を固めて、ガッツポーズをした。
書かれていた評価は、一から五までの五段階中の五。最高の評価だった。コメントもおおむね内容を褒める言葉が列挙されていて、俺はしたり顔を浮かべた。
妙なやってやった感があった。それはきっと、実物を見て書けといわれたのに、実物を見ずに書いて認められたからなんだろう。しかも、実物を見ましたと嘘をついて。つまり、あの教授の感性がおかしかったことを証明してやったのだ。人生で一番すっきりしたかもしれない。
そう感慨に耽りながら、書かれたコメントを読み勧めていくと、最後の一文が目に付いた。そこにはこう書かれていた。
『とまあ、出来栄えは文句なしだが、やはり君は実物を見たほうがいいだろう。なんなら今度私と一緒に見に行こうか』
そんな文末の横に、連絡先が書かれていた。
ばればれだったみたいだ。口元がヒクつき、前よりもひどい悔しさがこみ上げる。いつかあのクソじじいを見返してやろう。俺はそう決めたのだった。