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星新一先生との思い出 上

 それまでは、講演会やサイン会でしかお見かけしなかった先生と、直接手紙のやり取りをしたのは、高一の時。
 先生のエッセイで、「万物融化液」は、入れ物も溶けてしまうのであり得ないといった趣旨のものがあるのですが、こういう形なら、できると思いますよ、ということで恐れ多くも、中三の時に書いた「万物融化液」を送りました。
 その返事。
「作品を拝見しました。
 面白く、よくできています。
 趣味にショートを書くのはいいと思います。
 しかし、作家になろうと考えるのは、おとなになってからにすべきでしょう。
 お元気で…。」
 そういうつもりで送ったんじゃないんだけどなー、と思いながらも、星先生直筆の手紙という宝物が手に入ったわけです。
 それから1、2年後、「エヌ氏の会」(星新一ファンクラブ)ができ、入会して、東京でも活動をしようという話になって、「東京エヌ氏の会」という独立したファンクラブで、ぼくは星新一関係資料を集めたり、会誌の編集をしたり、ファン活動を始めました。
 で、最初の年賀状を出しました。マグリットの「Evening Falls」という絵がありまして、窓ガラスが割れて落ちていて、その破片に、今まで映っていた風景が……というシュール絵画を、4枚の葉書に印刷して、4枚を割れた窓に見立てて、それぞれに「謹」「賀」「新」「年」とやりまして。その返事の賀状。
「すごい賀状でした」
 それ以来、病に伏すまで、毎年年賀状交換をしまして。
 会誌の編集のほかに、単行本「星鶴VSマンボウ」というのを企画しまして。当時はやった「狐狸庵VSマンボウ」(遠藤周作VS北杜夫)という本のもじりです。北杜夫先生と星先生は親交も深く、共通するネタや対談などの資料集。見本誌を両先生に送ったところ、「小部数ならかまいません」とのご返答。北杜夫先生は「本当は出版社に了解を得ないといけないのです」との但し書き付きでしたが。
 そのうち、本家「エヌ氏の会」で、「星コン」(星先生を囲む会。合宿企画)が開催されまして。
 その席上、「星新一ショートショートコンテスト」をやるので、皆さん、どしどし応募してください、という星先生のお言葉。
 (これは毎年恒例企画となって、ぼくも受賞するまで毎年送りました。)
 で、その星コンの時に、星先生とぼくともう一人で歓談をしていたのですが、先生は禁煙して間もないというのに、無神経なぼくらは煙草をバカバカ吸ってて、しばらくして、先生、
「すみません。一本下さい」
「はい。どうぞ」
 とぼくは煙草を差し出して、先生にタバコを吸わしてしまったのです。
 今考えると、悪いことしたなー。
 「星コン」は、以降、毎年のように開催されました。

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