しばらく東京エヌ氏の会の会誌編集をやった後、編集を別の人にバトンタッチして、ぼくは星新一関係資料をまとめたパンフレットを月刊で出し始めました。星先生にもお送りして、時々、返礼を頂きました。
「パンフレット、ありがとう存じます。
さぞ大変だったことでしょう。
むりをせず、ゆっくりつづけて下さい。」
亡父、星一の資料集の時は、
「またまた労作をありがとうございます。
私の知らなかったこともあり、驚いています。
星コンも近づいてきました。その時、もう二部ほど買いますので、取っておいてください。(以下略)」
若いころ星先生が好きだった杉村楚人冠(朝日新聞の記者にして名エッセイスト)を楚人冠全集から、気に入ったエッセイを集めて、「杉村楚人冠の世界」というパンフレットを作ったときは、
「大変なものを作りましたね。
どうやら私以上に熟読したわけでしょう。(以下略)」
いやー、一回目を通して気に入ったのを片っ端から並べただけなんだけどなー。先生は、星新一ショートショートコンテストで、熟読に熟読を重ねている経験から、そうおっしゃったんでしょうけど。
このパンフレットに関しては、後日、先生から、十部ほど作ってください、とお願いされまして。たぶん、楚人冠の単行本を出版社に働きかけようとしたのだと思いますが。
大学四年生の頃、星ファン活動をしていたせいか、講談社の宇山さんという編集さんから、星新一関係資料を貸してほしいという連絡が来まして。
星資料コレクターなんて、もっと上がいるのに、何でぼくのところに、と思いながらもお会いすることになりました。
その際、「今年のあなたの星新一ショートショートコンテスト応募作、星先生にお渡ししましたよ」とのこと。
この方、星新一ショートショートコンテストを企画・実行したほどの星新一通で、資料を貸して、というのも、いずれ星新一資料の単行本を出そうとしていたのでしょう。
その時の作品が、「冥途よいとこ」。
その年の暮れ、星先生から、手紙が。応募作では、冥途で死んだらどうなるのか、書いてなかったのですが、
「貴兄の作品、予選通過で私のところへ回ってきました。入選にしたかったのですが、地獄での関係者、みな死んでどうなったのか、気にする読者が出ることが予想されます。申しわけないが、入れることができませんでした。
(中略)アイデアがいいだけに、惜しい感じです。
といったしだいです。」
残念だけど、担当編集者から予選通過を知らされて、星先生自ら落選を言い渡されたのなんて、たぶんぼく一人だぞー。
大学のSF研仲間と二人で、よく星先生のご自宅に訪問していたのですが、「冥途よいとこ」の翌年、「ムラサキの鍵」を応募して、入選が知らされまして、授賞式の前に、ご自宅に訪問した時のこと。
(今回のは、当時の先生の作品がシュールに傾いているので、それに合わせてみました。東京のエヌ氏の会の某氏に見せたら「こんなことをしてまで入選したいか!」と言われてしまいましたが)
作品について、先生が、
「いやあ、あんなロボット物を思いつくとはね」
「えっ。ロボット物じゃありませんが」
先生、熟読に熟読を重ねて、作者が意図していないところまで読み込んでしまうんですよ。
え。というと、先生の勘違いがなかったら、入選してなかったわけ?勘違いがばれたらどうなるの?
しばらく気まずい沈黙が……
でもまあ、取り消しもなく、授賞式も終わり、講談社「ショートショートランド」1983/5月号掲載、単行本「ショートショートの広場 5」1983/6月刊、文庫本「ショートショートの広場」1985/7月刊、収録。
ということで、卑小ながら、僕のショートショートデビュー作になりました。