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孤独な過激派の死

 49年前に日本企業を標的にテロ行為をした「東アジア反日武装戦線」の容疑者と見られる男が、癌末期の症状を患っていると悟り、自分が犯人だと告白、事情の詳細を語る前に死亡した。
 海外へ逃亡したのではないか、或いは既に死亡しているのではないか、と思われていた男が事件を起こした場所の隣の県で、ちゃっかりとカラオケなど歌って過ごしていたとは・・・とあっけにとられている人も多いだろう。
 有名な三菱重工業爆破事件を始めとしたこの頃の活動となると、日米の安全保障条約が「戦後の反省」と矛盾しているのではないかという素朴な疑問から発生した学生運動も大きく岐路へと外れてしまっている。誰の目にも「何を目的に何をやっているのか」さっぱり分らない「迷走した極左運動」としか捉えられない状況に陥っていたのは明白であった。
 遅れてきた過激派の一人である彼が本当のところ、挫折したあとに何を思って暮らしていたのか聞いてみたかったという思いもあった。そうしたことも含めるとある意味で大きなニュースではあるが、一方で実際の所殆どの国民にとって企業爆破事件などは「もう忘却のかなた」にある、ないしは「全く知らない」事件であるのが事実であろう。

 しかしこの既視感は何だろう?
 実は今、新しい小説を書くに当たってオウム真理教に関する書物を幾つか読んでいる。その中に「菊池直子」に関する記載があって、これがまた今回の桐島聡と全く同じような状況であったことに誰も触れないのが不思議なのである。
 オウム真理教の「走る爆弾娘」菊池直子が逮捕されたのは神奈川県相模原市、奇しくも今回の逃走犯とみられる男が暮らしていのは奈川県藤沢市で、「海外逃亡」どころか、東京から電車で1000円程度で行ける場所で小市民生活を送っていたという事実。
 いやあ、日本の警察、とりわけ神奈川県警・・・大丈夫っすか?
 警視庁とつまらないプライドで鍔迫り合いなどしていたからの「体たらく」ではないかと心配している。(まあ自首してきた平田信を「冗談を言うな」と帰した警視庁も人のことを言えないか・・・)
 その菊池直子は逃走後知り合った男性と同棲し(男性は後で菊池の素性を知ったが警察に突き出すことも別れることもしなかったらしく、かといって結婚もできなかったらしい。そのため犯人蔵匿で捕まっている)櫻井という偽名で暮らしていた。桐島聡は内田と名乗り、周りからウッチーと呼ばれていたらしい。
櫻井とかウッチー、と名乗れば捕まらないのか?本人名義の口座とか携帯を諦めれば大丈夫なのか?
 重要指名手配犯と張り出されたあの黄色のポスターがなんだか「やっている感」を出すためのアリバイ作りに見えてきてしまう。そもそも20年前とか50年前の「あれ」で「隣人を疑え」というのは結構難しいし、警察内で見当たり捜査をしている人だって分らないものを市民が分るわけない。今回の写真を見比べても、「そう言われればそうかもしれない」程度の感想しか浮かばない。交番にポスターを掲示して市民の協力を求めるのを悪いこととは思わないが、いつまでたってもそれでいいのか、と考えないのだろうか?

 因みにこのニュースが流れたとき、「紙の保険証だからこんなことが起きるんだ」みたいな変な投稿がSNSに大量に出回り、「え、自費診療じゃないのか(少なくともその選択肢がある事を無視するのはいかがなものか?)」と思っていたらやはり保険証は持っていなかったみたいで大量投稿が瞬殺されていて笑った。しかしもっと笑ったのは「たぶん、自費診療という建付けで入院したけど結局殆ど払わなかっただろうなぁ」ということを誰も指摘していないことである。しみじみとした貧乏な生活者の最期であり、もしかしたら「払えないし、じゃあここで告白しちゃうか・・・」みたいな気持ちもあったのではないか、というささやかな疑問も湧き起こっている。
 実際の所、どうなったんだろう。死亡したからと行ってまさか親戚に払わせるわけにもいかないだろうなあ。まだ本人確認がされていないうちから「遺体引き取り拒否」などというニュースが流れているくらいだし(それもそれで変な記事である)
 おそらく親戚はとんでもないとばっちりを食らってずっと公安にチェックをされていたんだろうし、それほど迷惑を受けていない行旅死亡人だって引き受けない親族がある世知辛い世の中であることを考えれば「非情」などとは他人が言うべき言葉ではない。親戚をチェックする前に1168円払って桜田門から藤沢に行けば一発で捕まえることができた筈なのにねぇ。親戚も恨んでいるであろう。うん、払いたくないだろう。
 結局、病院が泣くか税金で賄われるかしかないのだろう・・・ストーブ二個しかない彼の部屋の様子から「癌」の治療費や入院費を払える匂いはしない。結局ウッチーの思い通りと言うことですかね。

 まあ実際の所、ウッチーがそんな大それた奴だなんて誰も思っていなかったのだろう。周りに居た人の話を聞けば聞くほど過激派の最期というより「道を間違えてしまった学生が最期に辿り着いたどん詰まり」感しか感じないのだ。
 桐島にしても菊池にしてもおそらくは「今の社会」に疑問を持ったナイーブな若者であって、ナイーブというのは「無垢」ではなく「無知」であるから、その点では責められるべきで「無知」故に左翼の教義やらオウムの教理などに屈して罪を犯したのであろう。その無知さはSNSでやたら攻撃的な人の無知さよりは「白い」ように見えるが実際の所、質は悪いのである。そんな歴史は散々繰り返されているのだから、「自分で考えずに他人(えせ共産主義者やらえせ尊師)に寄りかかるその姿勢こそが罪」ということくらい大人になるまでに弁えなければならない。
 更に一言付け加えると「紙の保険証」と同じくらいに「そんな奴を雇っている工務店」に対する攻撃の意図、満々の投稿も見られたが本当に恥ずかしいなぁ。たぶん、それはそういう(人手不足に悩んでいる)中小工務店個々の問題ではなく「社会システム」の問題なのだ。どうせ攻撃するならせめて「検挙すべき神奈川県警」の方が先でしょ。こんなことを言う人たちも別な意味でどん詰まりに辿り着いてしまっているのかも知れない。

 結局、なんだかんだと言ってあの狂気の時代は同時に日本という国が途轍もないスピードで発展し、その歪みが色々とあった時代だったのだ。そんな時代、どん詰まり感はどこにもなかったよね。懐かしむわけではないけれど。

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