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年賀状終い

 年賀状終いという言葉が流行っている。ネットのみならずテレビニュースでも「どうしたら失礼にならずに年賀状をやめることができるか」などと、誠にくだらない話をまじめにやっている。
 凡そこういう流行というのは底意が知れているので、要は面倒くさがりが「みんなで、年賀状なんて形式的で意味のないものを止めましょう」と他の面倒くさがりに呼びかけ同調圧力で自分の怠惰を正当化しようと考えているのである。止めたければ、さっさと一人で止めるが良い。大人のくせにそういう自律性の欠けた行為はみっとも良いものではない。
 そもそも年賀状というのは、「本来は年始の挨拶回りに行きたいところですが、遠い(ないしは諸事情で)ので参ることが出来ませんので・・・」という欠礼の挨拶であり、年賀状終いというのは「欠礼を更に欠くという行為ないし宣言」である。
 と、まあ、ここまでは一方的な非難をしているようだが、僕の周りにも年賀状を終いにしている人は何人か居て、「歳を取ったので」とか、なんだか済まなそうに止める事を通知してくるのである。そもそも今の若い人たちは最初から年賀状なんて出さない人が多いわけで、年賀状終いを言ってくるのはそこそこ歳を重ねた人が多い。
 本来、歳をとって仕事もしていないのだから暇の筈なのに・・・などと心の奥底では意地悪なことを考えるのだが、もしかしたら本当に何かの事情があるのかも知れないし、そもそも歳を取ると新年などめでたくもないというのが実情なのかもしれない。
 「めでたさも中くらい」なら良い方で、やれやれ、また新年か、面倒だなどという中老年が増えているのであろう。めでたく感じていない人から「おめでとうございます」などと言われても片腹痛いので、まあ、放っておけば良いだけの話と言えばいい話なのである・・・が・・・。
 よく考えてみると昔はなんだか滅茶苦茶たくさん年賀状を書いていた記憶がある。個人的には百枚程度であったけど、それに加えて会社でも数十枚、下手すれば百枚近く書いて送っていたし、向こうからも百枚くらい届いたものだ。
 そもそも会社から送っていた相手は仕事関係の交渉相手や投資銀行の人たちで、実は年賀状が互いに届いた当日に丁々発止の交渉を始めたりして、おめでとうございます、もクソもない状況であったりした。
 その上ビジネス年賀状は殆ど印刷であり、少しは手書きを加えている物もあったが、大半は表も裏も印刷だけの物だった。個人でも印刷が流行り初め、その上プリントゴッコやPCベースの年賀状も出現した。ああいうビジネス年賀状やそれにつられた印刷型年賀状が賀状に負のイメージを植え付けたような気がしてならない。 年賀状が最も発行されたのは2003年のことで、確かにその頃はビジネス年賀状や印刷賀状が大量に発行されていた時代である。

 僕は今40枚くらい年賀状を書いている。だんだんと減ってきた理由の一つは先方から年賀状終いを宣言してきたものである。それに加え、僕は年賀状を貰った人の賀状を年末まで取っておいて、それに対して翌年の賀状を書くようにしているので、向こうから一度でも来ないと自動的に減ることになるのでそうして減ったのもあるだろう。また三が日のうちに届かない年賀状の相手には翌年出さないことにした時もあるので、そうやって減った分もある。40枚くらいだと、住所を書きながら相手の顔を思い浮かべたりする。もう十年近く会っていない相手の10年前の姿を思い出しつつ、きっと随分と老けたんだろうな、などとにやにやしたりする。そんなことが一年に一度ほど有っていいのではないか?
 面倒だとか、郵便料金が高いとか様々な理由をつけて年賀状を書かないことを呼びかけている輩はたくさんいるが、どうも情緒に欠けた行為である。あまり友達にしたくない。そういう方からは年賀状、いりませんと言えば、win-winなのでしょうかね?

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