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「桜紅葉」 時代ごった煮

 本作に登場する、日ノ本の国の妖たち。基本的にはすべて作者のワタクシのオリジナル。「なんとなくそれっぽい」名前や姿を持ってはいますが、特定の説話などにがっちり元があるわけではありません。
 ワタクシとしてはむしろそれは本作の「弱点」と思っています。せっかく平安日本という時代・世界が定められているのだから、もう少し取材をして、特有のネタを詰め込んだら、時代物としての雰囲気がグッと上がるのですが……

 これは本作に着手してからある意味、ずっと思っていたことで。
 仮にも平安時代を描くなら、例えば「源氏物語」なりを半年ROMっとけ、と。
 じゃないと作品が薄っぺらになるぞ?と。

 それを「だって書きたくなっちゃったんだもん」と、だだこねしてここまで書いてしまったわけなのですが。八の巻以降、露骨に「平安み」が薄れてしまっているのがわかりますよね。「時代」ジャンルにいて肩身が狭い。

 そもそも本作のメインタイトル「逆理桜紅葉」っていうのが、「歌舞伎」っぽい。
まぁこのことについては、歌舞伎で平安時代のお話がないわけじゃないのでいいかな、とは思いつつ、歌舞伎そのものは室町→江戸文化。歌舞伎風にすると、純粋な平安みからは当然遠ざかる。

 そこで土蜘蛛ですが。いやもう、彼は全く「歌舞伎キャラ」。掌から糸を投げるとか、すでに作者のビジュアルイメージがまんま歌舞伎。時代的には「鎌倉武士」でしょうね。それどころか、大百足なんかもう完全フル装備の「戦国」武将。
 五の巻の冒頭で柏木が大納言を呼ぶシーン、「大殿様」と書いて「おとど」とルビってあります。平安みを出したいな、と思っての小細工だったのですが、八の巻で蛍が土蜘蛛に呼びかけるところでは、同じ言葉にルビは「おおとの」。これまたグッと戦国時代っぽい。
 この辺のミスマッチは、「敢えて」と思ってはいます。人間世界と妖世界の文化の違いを、時代の違いに翻訳してみるというか。妖たちの方が「時代を先取り」している、そういう演出意図……なのですが。

 それが上手く効いてるのかと自問すると「さてね?」と思わざるを得ません。結局最初に書いた通り、平安ものを目指しながら平安リソースの足りない自分が、かろうじて「和風」「時代物」を維持するには、これまた薄いけれど、他の時代要素をかき集めるしかないという苦肉の策。

 反省しつつ、それでも。完結に向けて筆を進めます。

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