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新章公開 十の巻「妖の戦」(その二)

https://kakuyomu.jp/works/16817139557879395382/episodes/16817330652666671728

 八の巻で土蜘蛛が登場してから、ここで蛇神とようやく相対します。長かった。
 でもまだまだ戦は続く。
 先のノートでも書かせていただいたとおり、この戦争シーンは予定外、かなり考え考え書いています。なのでもたつくというか、ちょっと冗長かな?という心配がありますね。
 動きのあるシーンが続くので、それで普段より字数がかかっている、と思いたい(苦笑)。

 この妖怪戦争、テーマ的には「ディスコミニュケーション」。蛇神にしても土蜘蛛にしても、守りたい者がいて、思いはある意味同じなのですが、食い違う。それが争いを生んでしまうのだと、そういう形に展開してゆくつもりです。

 …大体蛇骨婆のせいですがね。あのクソババアが余計なアイデア出すからさぁ(苦笑)

 「ようやく」という副詞。このノートの一行目にもありますが、「ずっと期待して待っていたことが起こる」というような使い方が今は一般的だと思います。
「ようやく」の後には「いいことが起こる」わけですね。
 ただ、ちょっと古い小説とかで、そうではない使い方が出てきます。「だんだんと」という意味での使い方。この場合、「ようやく」の後は良いことが起こるとは限らない。「ようやく(だんだん)」事態が悪化することもあるわけです。

 ワタクシがこういう用法に出会ったのは、かの有名な吉川英治の「三国志」。
 劉備玄徳亡き後、蜀の国を支えようと孤軍奮闘の諸葛亮孔明の様子を描写するのに、「蜀にはようやく人がいなくなってきた」と。いい将軍が次々に亡くなって、という文脈です。いい将がいなくなることが「よいこと」のはずがないわけで、実はこの用法に出会った時、すごい違和感があったのを覚えています。

 ですが。今はこの使い方、ワタクシすごく好きなんです。この物寂しさというか、ノスタルジックな雰囲気が……なので、本章でも一か所、こういう意味での「ようやく」を使っています。本作は時代物なので、これもアリかな、と。

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