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『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』発売100日目に際し、著者より

 『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』の発売日(2/21)から今日(5/31)で100日が経過しました。

 まずはご購入頂いた皆様へ感謝の言葉を述べさせて頂きたいと思います。本当にありがとうございます。SNSでは毎日のように何かしらの感想を見かけ、手書きのファンレターまで二通ほど貰い、思っていた以上の反響がありました。心より嬉しく思います。

 さて今回は発売100日目記念として、僕から一つ、告白したいことがあります。

 先に言っておきますが、クソ長いです。6500字以上あります。まあ、この件に関してはそれだけ語りたいことがあるということですのでご容赦下さい。ではまず骨子から語らせて頂きます。

 僕は男性でありながら男性を愛する人間、即ち、同性愛者です。

 ただし初恋は女性。しかも物心ついていない頃とかではなく、中1ぐらいまでガッツリ恋していました。よって同性愛者というより周囲に女っ気が無かっただけの両性愛者なのかもしれませんが、とりあえず現時点の自己認識は同性愛者です。ちなみに普段の生活ではクローゼット、つまり同性愛者であることを明かしていません。ただし妻子が居るようなこともありませんので、そこはご安心下さい。

 さて真実を明かしたところで、ここから僕が「同性愛者であることを隠した理由」と「同性愛者であることを明かすことにした理由」を三つずつ語りたいと思います。後ろ向き→前向きの方が読後感良いと思うので、まずは隠した理由の方からいきます。

 隠した理由の一つ目は、今日まで黙っていた理由に直結します。ある程度落ち着くまで語りたくなかったんですね。なぜなら「作者や作品にバイアスをかけてもらいたくないから」。

 僕は同性愛者ですが、男女の恋愛小説を好んで読みます。そして読むだけならまだしも、書きます。最近(でもないか)ボーイミーツガール小説である『御徒町カグヤナイツ』の公式連載を終えたばかりですし、『小笠原先輩は余命半年』という女性視点の恋愛短編小説をアップしたりもしています。そういったものを書く上で同性愛者としての感性が含まれていないとは言いませんが、同性愛者であることは僕の作家としてのスタンスを何ら規定するものではありません。

 しかし、世間はそうは行きません。カノホモ作中に書いた通りフレディ・マーキュリーでさえ好き勝手に言われるのです。僕なんか間違いなくひとたまりもない。例えば『小笠原先輩は余命半年』について「同性愛者だから自分の体験を元に女性視点の恋愛小説が書けるんだな」と理解されたりするかもしれません。でもこれは全くの見当違い。僕はあの作品のヒーローである小笠原先輩をそういった意味で魅力的とは感じておらず、視点人物である主人公の女の子と僕がシンクロするところはどこにもありません。

 また僕にかかるバイアス以外に、作品にかかるバイアスもあります。僕はカノホモを「大衆向けエンタメ青春小説」として仕上げました。そして実際にそういう感想を多く頂いています。しかし僕が自身の性指向を明かしてしまうと、中身ガン無視で「ゲイ向けゲイ小説」になってしまう可能性があった。それはどうしても避けたかったのです。というか避けないとあの作品を書いた意味がない。

 以上のように「浅原ナオト」及び『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』の両方にバイアスをかけないため、僕は自分の性指向を明かしませんでした。僕はこれからも多種多様な作品を書いていきたいと考えています。同性愛が絡むものも、そうでないものも。今後も僕を応援して下さる方がおりましたら、この点については強くご理解いただければ嬉しいです。

 さて隠した理由の二つ目ですが、それは「世の中の同性愛者はたいていクローゼットなものだから」です。

 メディアで同性の恋人がいて、同じ性指向の友人がいて、二丁目に飲みに行って……みたいな人が「普通のゲイ」的な紹介されることあるじゃないですか。あんなのは嘘です。いや、嘘は言いすぎました。でも「普通」の定義が「最も多い」ならば、それは間違っていると思います。そもそも二丁目に行っている時点で在住地域がかなり限定されるわけで、数として一番多いと考えるのはおかしいです。

 僕が思うに「普通のゲイ」の日常なんて、その辺の男性の日常と大して変わらないんですよ。でもそれは面白くないからメディアは取り上げず、一部の生き方や考え方がスタンダードとして世間に広まっていく。例えばこの文章を読んでいる異性愛者の皆さんは「同性愛者はみんな日本で同性婚が認められることを強く願っている」と思っていませんか?統計を取ったわけではないのでこっちが間違っているケースもあるとは思いますが、僕の肌感覚では別にそんなことないです。「自分はどっちでもいいけど選択肢は多い方がいいから認められた方がいいよね」ぐらいの人が一番多い印象。夫婦別姓に対する世間の反応と似たようなものと捉えて頂ければ雰囲気を理解しやすいと思います。

 そういう風に現実は分かりやすくないんです。そこで、お前が毎日のように学校や会社で話している相手が同性愛者でない保証なんてどこにもないんだと、そういうことが言いたくて僕は『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を書いたわけですが……その作者が「分かりやすくゲイ」だと台無しですよね。なので黙っていました。これからも(今のところ)著者プロフィールとして性指向を明記するつもりはなく、調べなきゃ分からないぐらいに留めておきたいと考えています。その旨、ご了承下さい。

 隠した理由の三つ目はありきたりで普遍的なもの。ごく一般的なカムアウトと変わりません。それは「カムアウトの反動が怖かったから」。

 そもそもカノホモはweb小説から書籍化した作品であり、僕には「出版前に明かす」以前に「サイト登録時に明かしておく」という選択肢がありました。それをやらなかった理由は既に語った「作者と作品にバイアスをかけて欲しくないから」なのですが、実は初期の頃はカノホモを読んだ誰かに「同性愛者なんですか?」と聞かれたら普通にYesと答えるつもりでした。現実世界への影響はゼロですし、別にそこまで隠したいものでも無かったので。

 ところが、聞かれなかったんですね。気になっている人は絶対にいたと思います。そういう作品なので。ただ「他人のセクシャリティに迂闊に触れない」という考えが思っていた以上に浸透していた。それはありがたかったのですが、心苦しくもありました。嘘をついているわけではない。言っていないだけ。それでもやはり、騙している感覚はありました。

 そんな状態のまま「浅原ナオト」はどんどん交流を広げていきます。「浅原ナオト」の交友はだいたいカノホモから始まっているのですが、中にはカノホモを読んでいない人もいます。そのうちに書籍化まで決まり、「浅原ナオト」の存在が大きくなり、僕は真実を明かすことで起きるかもしれない反動を恐れるようになりました。

 僕は同性愛者です。ですが、傍から見てそれはわかりません。興奮すると額に「♂」マークが浮かぶわけでも同性に触れるとハートのエフェクトが飛び交うわけでも背後に虹色のオーラを背負っているわけでもありません。ただ、そうであればいいのにと思ったことはあります。そうであれば最初から理解できるやつだけが近づいてきて、理解できないやつは近づいてこない。そういう風に生きられたのに、と。

 手に入らないことは怖くありません。だけど失うことは、たまらなく怖い。

 書籍化の話を打診された際、僕は担当編集に自らの性指向を明かしました。僕が同じ同性愛者以外に自身の性指向を明かしたのはそれが初めて。そしてこれが、二回目です。僕を取り巻く世界がどのように変わるのか。まずは粛々と、見極めたいと思います。

 さて、ここからは「同性愛者であることを明かすことにした理由」の方に移りたいと思います。つまりはっちゃけることにした理由なので、はっちゃけたものになります。結果として当たりの強い言葉も出てきますが、ご容赦下さい。

 一つ目の理由はシンプル。「好き放題言われてストレスが溜まるから」です。

 僕は自身が同性愛者でありながら作品タイトルに「ホモ」という言葉を使いました。これには表の理由と裏の理由があります。裏の理由はこれからtwitterで語ろうと思っているのですが、表の理由は既に別の近況ノートに記しました。そしてそこに僕は「マイノリティはどこにでもいる」ということを理解して欲しいと書きました。

 この「マイノリティはどこにでもいる」という考え方、僕はセクマイ議論に参加するならば何よりも先に抑えるべき基本思想だと捉えています。これさえ抑えればその他は枝葉末節。というか、これを抑えている時点でもう大事なところは理解できているので議論に参加する必要すらありません。逆にこれを抑えないまま深いところに突っ込むのは数字を読めないのに微積分を解こうとするようなものであり、僕の経験上そういう人は当事者性を失った言葉遊びみたいな議論しか出来ません。

 それで僕があのタイトルで作品を発表すると、出てくるわけですよ。

 僕が当事者であることを想定せずタイトルに反応する「数字読めないのに微積分を解こうとする」人が。

 上で「同性愛者であることは僕の作家としてのスタンスを規定するものではない」とか書いておいてあれなのですが、カノホモは僕の性指向丸出しです。twitterでは「10分立ち読みしただけだけどこれ作者ゲイだろ」と言っているゲイの方も居ました(「買え」と思いました)。たぶん試し読みの範囲で分かります。少なくとも疑念は持つと思います。

 でも「数字読めないのに微積分を解こうとする」人って、その試し読みすらしないんですよね。そういう姿勢だからいつまで経っても数字読めないんですけど。そんなのに差別主義者とか言われればそりゃ「Uzeeeeeeeeeeeee!!!!!!!」ってなるでしょ。そういう人から僕自身が受ける苛立ちとか、編集部やカノホモを読んで下さった方が作品についてツイートする度にそういう人に絡まれないか心配になる不安とか、それがストレスフルでめんどくさくなったのでもう明かすことにしました。

 いや、この「マイノリティはどこにでもいる」という思想が現時点で世間に根付いていないこと自体は別にいいんですよ。そもそも根付いていないから僕はカノホモを書いたし、書けたのです。今の社会に「世間の人々は全ての人間について同性愛者かもしれない可能性を想定して動くべきである」みたいな過度な期待はしていません。

 ただマイノリティの味方という立場から他人を差別主義者呼ばわりまでする人がその程度の基礎も抑えていないのは、どう考えてもおかしいでしょう。申し訳ないけれど半年ROMって欲しい。僕はそういう「人間」を見ないで「LGBT」を見る人がいくら増えても世の中に良い流れが生まれるとは思えないのですが、最近は当事者ですらそうなっているケースが散見されて、正直空恐ろしい部分があります。

 なお「作者が同性愛者であることを想定してなお」という方に対するコメントは前述の通りtwitterで語ります。僕が同性愛者でありながらタイトルに「ホモ」を使った理由。それには以前述べたもの以外に僕個人のルーツが関わってきます。そのうちこちらにも転載します。
 
 そして二つ目の理由。これは一つ目の理由「好き放題言われてストレス溜まるから」に似ています。雑に言うと「好き放題言いたいことがあるから」です。主に、LGBTに関して。

 上で僕は「半年ROMれ」と書きましたが、半年ROMらないで議論ふっかける人が出てくるようになった理由は間違いなく「LGBTブーム」です。そもそも「LGBT」自体が絶対に一緒にできないものを強引に一緒にした当事者性の薄い言葉で、そんな言葉の上に乗っかった議論が当事者性を失うのは当然と言えば当然の帰結ではあります。

 そんな中、一応はマイノリティの一人として生きている以上、世の動きに言いたいことはあるわけです。ただそこで一言言うならば自身の立ち位置は明かしておくべきなんですよ。明かしているのと黙っているのとでは説得力が雲泥の差だし、そもそも自分の立ち位置を隠したまま横から好き勝手にものを言うのはあまりよろしくない。

 というわけで、明かしちゃおうかなと。今が過渡期ですからね。僕の言葉にどれだけ世界を動かす力があるか分かりませんが、言いたいことは言っていきたいと思います。

 そして三つ目。これは今までの二つとだいぶ毛色が違います。拙作に触れ、世界を信じるようになった当事者の方々の感想を受け、「僕も世界を信じたくなったから」です。

 カノホモはあのタイトルにも関わらず多くのマイノリティ当事者に届いています。むしろ反感を買うと思っていたのでこれは嬉しい誤算でした。特にゲイを表明しながら中身に一切触れる気なく批判を口にしていた人は(僕の知る限り)一人もいません。実は発売前はものすごく批判されるのではないかと警戒を抱いていたのですが、今となってはそのような考えを持っていたことに恥ずかしさを覚えます。

 読了した当事者の方はみんな、僕の言いたいことを的確に読み取ってくれました。クリティカルヒットしている人も結構いて、当事者の感想にはやたら「しんどい」が多いのが印象に残っています。そして大げさな言い方をすると、拙作が「人生を見つめなおすきっかけなった」という人が少なからずいました。

 とあるビアンの方は、主人公の純くんから自分を認める少しの勇気を得て、創作のキャラクターである純くんに御礼を言ってくれました。
 とあるゲイの方は、物語が人の心に与える影響の大きさを感じ取って、自分も読む人に救いを与える創作をしてみたいと言ってくれました。

 そういう方々の感想に触れると、僕がいつまでも「さー、どっちでしょうか」とかやってるのが、カッコ悪く思えてくるんですね。「偉そうなこと言って、お前が一番誰のことも信じてないじゃん」みたいな。作家という立場や、作品の印象を考えているという建前はあるにしても、その根本にあるものが「僕が僕を取り巻く世界を信じていない」なのは間違いないと思います。

 だから少し、信じてみることにしました。僕が読者の方々に信じさせたものを、僕自身も信じてみます。その結果として打ちのめされ「やはりこの世は地獄だ」と思うこともあるかもしれません。ただ、それも一つの答えです。受け止めて生きていきます。

 以上、僕が同性愛者であることを隠した理由と明かした理由でした。最後に一つ、前向きなんだか後ろ向きなんだか分からないメッセージをマイノリティ当事者に送り、この近況ノートを〆たいと思います。

 僕は同性愛者であることをクローゼットにして社会で生きています。そして「浅原ナオト」として世に顔を出していません。簡単に言うと、逃げ道を作っています。ここから何が起きても「浅原ナオト」を消せばそれでおしまい。人生に深い影響は与えません。

 何が言いたいのかというと、もしカムアウトするならそれぐらい慎重になった方がいいということです。世の中には「同性愛なんて恥ずかしいことじゃないんだからどんどんカムアウトするべき」と言う人もいますが、僕はその思想には賛同出来ません。だってそれで何が起こったとしてもその人が責任取ってくれるわけじゃないし。

 僕の『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』やこの近況ノートは、当事者が読むとカムアウトしたくなる仕様になっています。でもちょっと待ってください。それを書いたやつ、現実世界ではカムアウトしていませんからね。小説家程度の箔をつけたところでリスクリターンが釣り合わないと考えていますからね。そこは忘れないで下さい。

 ただ、それでもカムアウトしたいと言うなら
 僕がまだ信じきれていない世界を、信じたいと言うのなら

 それは心から応援します。その際は僕の作品を利用して頂いて構いません。カノホモは当事者以外でも楽しめる青春小説です。そういう実績も出ている。だからカムアウトしたい人にカノホモを読んで貰って、反応を見て、それからカムアウトするというクッション的な役割を持てるのではないかと思います。

 なおここまで性指向について長々と、さも重大そうに述べましたが、実のところ僕の抱えているコンプレックスは顔面>>>>>>>>>>性指向であり、もしイケメンだったら何もかもフルオープンにして精力的に活動に励んだ挙句、情熱大陸に「面白いホモ小説家がいるんですけど、どうっすか?」と売り込みをかけるぐらいのことはやっていたかもしれないことを最後に追記しておきます。いや、ホモなんてそんなもんですって。本当に。

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 転載すると言って今日(2019年4月22日)まで忘れていたtwitterの呟きのまとめを貼付します。気になる方はご確認下さい。

 https://togetter.com/li/1233037

17件のコメント

  • 私は傍観者なので、そして無知なので。
    浅原さんの書かれたものを拝見して、そうなのか、と思うばかりです。
    一昔前に比べれば格段に受け入れられているように思いますが、当事者の方たちがどのように感じているのかは私には分かりません。
    ただ、親しい人には幸せでいて欲しいと思う。
    どんな選択をするにしろ、逃げ道を作ることは卑怯な訳ではないし、逃げ込める場所は必要だと思う。
    世の中は理不尽なもので満ちていて、だけど優しさも溢れている。
    浅原さんの選択が好い方向に転がりますように。
  • 早瀬 翠風さん

    めっちゃ返信遅れた……。

    一昔前に比べれば格段に受け入れられていると僕も思いますが、結局は本人の心構え次第なんですよね。現実には壁なんかなくたって当人に壁が見えているならその先には行けないんです。

    その壁を壊しうるのは周囲や社会ではなく僕自身。無理して壊す必要はないのでしょうが、もし壊すことが出来たならその報告はここでやりたいと思っています。気遣い頂き、ありがとうございました。
  • 私は異性愛者ですが、今は愛している異性はいません。

    「人と違っていたっていい」という世の中になりつつありますが、もう少し進化して「普通」の幅が大きくなるといいですね。異性愛が普通なら同性愛も普通、バイセクシャルでも、どちらも愛せなくても。誰かを愛したり、愛さなかったりすることはごくあたりまえだと思います。

    私もずっと言えないことがありますが、私の作品を読んでくださった方は気づいているかもしれません。打ち明けていなくても、何気ない言葉に差別や偏見を感じます。もっと知識と言葉を持たなければ、話せないでしょう。私はとても無力ですが、とても普通の人間だと思っています。

    浅原さんのご活躍をお祈りしています^^
  • 100日目記念、おめでとうございます!

    6500字、4回おかわりして読みました。
    たっぷり拝読したのに、気持ちをうまく言葉にできなくてすごくもどかしいのですが、なんというか、深い思慮を感じる文章が心に沁みて、より一層浅原さんのファンになりました。
    ますますのご活躍を切に願っております。

    それでは、また。良い一週間を!
  • 初めまして。感想をお送りしたくカクヨムにアカウントを取りました。
    まずこの作品を世に出してくださり、本当にありがとうございました。
    読んでいて、古典「フロントランナー」を思い出しました。アラフォーのバイセクシュアル女子です。割とがっちりリブリブした界隈にいます。

    この小説のテーマは「物語は世界を変える」ではないかと思いました。(的外れでしたら失礼しました)
    (togetterまで読んだ上で作品を手に取ったので)この作品が表象と主体の取り扱いに挑戦したものではないか、という仮説を持ちながら読みました。”ホモ”という名乗りと「愛されたい・繋がりたい」という主体を持つジュンと、”腐女子”という名乗りと「愛されたい・繋がりたい」という主体を持つ安藤さん。二人がその両方をどちらも諦めずに新しい物語を紡ぐまでの物語だと読み、とても感動しました。

    私も過去に、自分の青春に共感される物語が欲しいとずっと思っていました。この小説がそんな人たちを共感させ、癒し、明日に向かう希望を与えるものになることを祈っております。
  • 伊藤愛夏 さん

    お久しぶりです。お互いに色々抱えてますよね。でも僕ら以外の人も色々と抱えているはずで、そんな中なにも抱えていない人を「普通」と呼ぶのなら、きっと世の中に「普通」な人なんていないのでしょう。

    秘密を打ち明けることが必ずしも良いことではないと思います。ただ打ち明けられるだけの知識と言葉を持って損はありません。まずは「出来ない」ではなく「やらない」と思える日が来ることを心よりお祈り申し上げます。
  • 犬飼鯛音 さん

    至って普通な6500文字の短編小説を読んだ感想のようだ……でもそれがいいですね。元気出ます。文中でも言及しているようにまだ執筆活動を続ける気はありますので、今後ともよろしくお願いいたします
  • @minatsu さん

    拙作をお読みいただき、またわざわざアカウントまで取って感想頂き、本当にありがとうございます。冷静ぶってますが、あの表明をした後にリブリブした界隈(これ普通の人には分かんないだろうなあ……)の方から作品に対する賛辞を頂けるのは、本当にめちゃくちゃ嬉しいです。

    「物語は世界を変える」は……どうだろう。的外れとは思いませんが、書いている最中にそんな深いことを考えていた気もあまりしません。ただ僕にはどうしても叫びたいことがあって、それがたまたま「物語は世界を変える」だった。そういう感覚です。上手く言えないんですけど。

    今日まで沢山のセクマイ当事者の方が僕の作品を読み、感想という形で言葉をくれています。「しんどかった」「辛かった」という感想も多いのですが、最後には光を見てくれているようです。この物語が多くの人々の世界を変え、新しい物語を紡ぐ糧になってくれればと、僕も強く願っています。
  • 初めまして、カノホモとても楽しく読ませていただきました。
    私はBLが好きですが、この本は腐女子というより1人の小説好きな人間として読みました。でも世界は簡単にしたがります。きっと私が友人にこの本を勧めたら、BL小説を勧められた、と感じるだろうし、私がBLが好きなことを知らなければ、腐女子なの?と思うかもしれません。
    そうじゃない人は勿論いるし、そういう人とだけ付き合っていられれは楽なのですが、そうは行かないので、私はBLが好きなことをあまり言わないようにするし、腐女子仲間にはこういった本を積極的に薦めません。簡単にされてしまいがちだから。
    この本を読んで思ったことは、純粋に、男の子の同性愛者が羨ましいなぁ、ということです。
    勃つか、勃たないかで区別できる。異性愛者なら可愛い女の子の裸を見ればいいし、それで勃たなくて、男の人なら勃つ、というのなら同性愛者。どちらも勃たないなら無性愛者。他にもマイノリティはありますが、大体の性的指向はわかります。(勿論、そんな簡単に出来てない!と主張したい男の人もいるでしょうが)
    女の子はどうすれば分かるのでしょう。異性愛者だからといって、男の裸に欲情するのが一般的でもなく、勃たないからセックスできない、ということも無く。女を抱けるゲイのように、男に抱かれることのできるビアンは少数派ではないと思います。
    セックスしたくないわけではないから無性愛者ではない。でも女の子に対する好きと恋愛の違いもわからないし、男の人を好きかも、と思ってもそれは自分の生活を犠牲に出来るほどではない、ただの憧れのように思える。
    だから、ペニスが勃つか勃たないか、という判別方法があるのはとても羨ましいです。簡単に2つに分けていたけれど、女の子に取れる方法はないのでしょうか。
    長々と失礼しました。本編への感想に近くなってしまってすみません。後半は、ただ、書きたくて書いてしまったので無視して頂いて結構です。セクシャリティに迷うということは案外簡単に起きてしまうので、久しぶり改めて考えさせられてしまいました。私が迷い始めた時は純くんより年下だったのに、つい最近制服も着られない年になり、「18までは経験不足により無性愛などの診断はできない」というどこかで見たものを頼りに生きてきたのに年齢を思い出し更に訳が分からなくなってしまったのでここに失礼します。自分語りが多くてすみません。でもほんとに面白かったです。本は大好きですが久しぶりに感情を揺さぶってくる小説を読めて楽しかったです。古典もいいですがやはりエンタメは楽しいなと感じました。年の差も好きです。
  • 初めまして。あと返信遅れ申し訳ありません。ドラマ化以降、応援やレビューやフォローなど通知がモリモリ来ているので見逃しました……すいません

    自分も男性同性愛者は女性のそれよりアイデンティティの認識という点において圧倒的に「楽」だと思います。実際、女性の方は揺らぎやすく、「付き合ってみたけど違った」という事態がよく起こるという話を聞いたことがあります。自認に依存するものなので人生の中でアイデンティティを獲得するしかなく、こうすれば分かるといった明確な基準もないようです。

    そんな中でも大事なのは「自分」を見失わないことかなと思います。一般論ではなく「自分」がどうしたいのか。分からないなら分からないでもいい。ただ本やネットで得た知識に合わせて「自分」の方を曲げてしまうのは避けた方が良いのだろう、と。きっと無理やり曲げたところで心が納得出来ないでしょうからね。その結果として混乱が増える。だったら最初から「自分」だけを見据えていくのが、一番良さそうな気はします。

    まあ何にせよ、まずは作品を楽しんで頂けたようで何よりです。コミカライズもされましたし、ドラマも放映中ですのでよろしければ是非。読了及び感想いただき、ありがとうございました。
  • 初めまして。宜しくお願いします。
    こういうコメントを送信するのは、初めてです。
    NHKのドラマをきっかけに、浅原さんを知りました。原作も読んでいます。まだ、途中までですが、とても、心に刺さります。
    どうして、刺さるか、書いてみようと思います。

    私は、性的趣向とすれば、いわゆる普通に入ります。
    でも、純くんの心情は良くわかるマイノリティーの部分を持ってきます。
    私は癌の末期患者です。
    2人に一人の時代とはいえ、あちら側とこちら側に分けられるほど、多数派と少数派、大きな溝があります。
    頭髪もつるっ禿げなのに、カツラを被り、周りを騙して生活しています。正確にいうと、何人かには打ち明けていますが、両親は、オペをして元気になっていると信じたいわけで、ハゲている娘のことは知りません。悲しませるから、話せません。職場の人には、上司と最低限の方のみ病名は告げましたが、ハゲや末期なのは知らない感じです。

    原作にある、なんで?と言う葛藤の海に沈んでいく感じは私にとって消えることはないと、今は思ってます。神様は意地が悪い…と、神様が居ると思えない私にも、その気持ちはわかる…神様が居ると思える人は祈れるから、いいなぁーとも思いました。

    普通が欲しい…
    子ども達が困った時、相談するあれやこれやに、やきもきしながら対処したり、子どもが家庭を持つのを見守り、孫の面倒を頼まれたり、そういう普通が欲しい。癌患者であって私としての願い…渇望です。

    ボヘミアン・ラプソディ以降をこれから読みます。
    小笠原先輩は余命半年、読みました。

    読んで頂き、ありがとうございます。




  • >@K_E_I 様

    作品をお読み頂き、またコメント頂きありがとうございます。こういうコメントを送信するのは初めてということであり、そうさせる力をもった作品を書けたことを嬉しくに思います。

    あなたの人生について何かを語ることは、僕には出来そうもありません。「普通が欲しい」という若き日の僕も抱いた渇望を否定することも出来ない。「人の数だけ普通があるんだよ」なんていう行儀のいい正論をぶちまける気にもなれないです。きっと何の意味もないから。

    今言えるのはただ一つ。最後までお読み頂けると嬉しいです。あなたが期待するような物語ではないかもしれません。創られた綺麗な御伽噺だと感じるかもしれません。それでも、読んで貰いたい。その上であなたに何か善きものを残すことが出来たとすれば、それは僕にとってこの上ない名誉です。

    あなたが時間を費やしても良いと思える物語を紡げたことを誇りに感じます。気が向けばで構いませんので、続きをお楽しみ下さい。よろしくお願いいたします。
  • >猫次郎[ネコジロヲ]様

    読了及びコメントありがとうございます。色々と悩ましい環境にいらっしゃるとは思いますが、そんな中でも前向きな力を与えられたことを嬉しく思います。

    >世間的に見れば異常かもしれないけれど、でも、私自身は普通なんだ

    そうですね。普通の人なんて結局はどこにもいないのだから、主観でいいと思います。自分で自分を評価していきましょう。

    余談ですが現代の中二でも柴咲コウや福山雅治が美男美女の代表で通ることに地味に驚きました。福山雅治は何となく分かるけど、柴咲コウも現役で行けるのか……ちょっと嬉しい
  • 子育て中の40代専業主婦です。ドラマ5話くらいでハマりすぎて我慢出来なくなり、カノホモイッキ読みしました。
    出産後仕事もやめ、随分長々と閉鎖的なループされるがままの毎日を送っていて、それにも大して何も思わなくなっていた私でしたが、この本に胸ぐらを掴まれてグワングワンされたような衝撃をうけました。
    私自身、純くんと会う前の三浦さん同様、同性愛者と思われる人は身の周りにひとりもいなかったので、彼らは私にとってとても遠い、テレビの中のふんわりとした存在でした。純くんが苦しめられていた「気持ち悪い」という感情などを持つどころか、あまり真剣に考えた事もなかったのが正直なところです。
    でも何度も繰り返し読むほどカノホモにどハマりし、純くんの気持ちをわかりたくてクイーンばっかり聴いてる今、自分の身の周りにはいないと決め付けてたけど、知らなかっただけで確かにいる、
    たくさん傷つきながら色んな思いを抱えながらかもしれないけど、私と同じように日々を生きてる、
    今更この歳になってやっとそれに気づけたんだと目からウロコがというか、視界が拓けたというか、一番伝えたいところで語彙力なさすぎてかなしくなりますが、とにかくこれだけ今LGBTの話題が取り上げられているにもかかわらず、自分がいかに無関心だったかを恥ずかしながら思い知りました。

    でも私が何よりこのお話が好きだと思えたのは、純くんと三浦さんの切なくて瑞々しい青春ストーリーだったからです。当事者ではない、年代も違う人が読んでも刺さりまくるお話だったからです。
    そこがとても私にとってありがたかったなぁと感謝の気持ちが湧きます。
    お別れの前までずっとお互いを苗字で呼び合ってた所とか、最後に風になって純くんを応援しにきたのは誰かな?と考えたらみんなあり得そうと心が温かくなったり。好きすぎて話が止まりませんが。
    投稿などしたことないのですが、このお話を書いてくださった先生にお礼が言いたいだけです。
    長々稚拙な、しかも興奮気味な文章を送りつけた無礼をお許しください。始まった大阪編も楽しみにしてます。
    お身体ご自愛ください。
  • >@mochi1116 様

    ドラマから原作までたどり着いて頂きありがとうございます。拙作が読み手に衝撃を与え、新しい視点を提供できたのであれば光栄に思います。僕はあまり難しく考えすぎる必要もないと思ってますけどね。間違いなく周りに「そういう人」がいること、そしてそれが「人間」であること。それさえ分かって貰えれば十分かなと。

    青春ストーリーだから良かったというのはとても嬉しいです。レッテルを越えた人間同士の物語として届き、それが心を動かしたのであれば、自分もそのように書いた甲斐があったなと感じます。

    重ねて、わざわざアカウントまで取ってコメント頂きありがとうございました。番外編もよろしくお願いいたします。
  • 初めまして。10代の学生です。「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」そして「彼女が好きなものはホモであって僕ではない 再会」拝読しました。
    まずは、「カノホモ」という作品を生んでくださり本当にありがとうございます。コメントなどを送ったことはないのですが、どうしてもこの作品に出会えたことの感謝を伝えたくて、今回カクヨムのアカウントを作りました。

    私は同性愛者ではありませんが、マイノリティであることに悩む人間の1人です。最近、LGBTQが話題に取り上げられることが増え、授業でも取り上げられるようになったのですが、なんだかLGBTQという言葉ばかりが一人歩きしていて、口では理解を示すようなことを言うけれど、ふとした瞬間に無意識の差別や拒絶が現れる人が多いなぁ、と感じていた時にこの作品に出会いました。この作品を読んで真っ先に感じたのは「痛み」でした。セクシュアルマイノリティを題材にした作品は他にも読んだことがあるのですが、どこか非現実的というか、違う世界の話としか思えませんでした(フィクションならば当たり前なのかもしれませんが)。でも「カノホモ」は違いました。綺麗事が一切なくて、読んでいる時、純くんの目を通して見る世界とこれまで自分が見てきた世界が重なり、奇異の目で見られる時の心の痛みや「普通」に交われない苦しさなどを思い出し、とにかく辛かったです。でも、それと同時に、自分と同じ世界で生きている仲間を見つけられたような気がして嬉しくも感じました。一緒に悩んでくれる仲間ができたみたいで、心の支えになりました。
    私がマイノリティであることに不安を感じる反対に、マジョリティに属しているということは安心感を与えてくれるのだと思います。でも、1人1人の人間として向き合えば、誰一人として同じ人などいなくて、きっとみんなマイノリティで「普通」など存在しないんじゃないかなと思います。純くんと三浦さんのように、相手に対して1人の人として向き合うことができれば、摩擦がゼロにされることもなくなりそうですね。

    思いが溢れてなかなかうまくまとめられませんでしたが、少しでも感謝が伝わっていれば幸いです。
    「カノホモ」、本当に大好きです。宝物の二冊です。浅原さんの作品に出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。
  • 深山樹 様

    はじめまして。力の入ったコメントありがとうございます。

    LGBTQという言葉の「記号」感は分かります。元々は属性を表す言葉ではなく政治的連帯を表す言葉なので(ウーマンリブみたいなもの)、当然と言えば当然なのですが、血が通ってないですよね。そういう穴を埋めるためにカノホモのような創作物が必要なのでしょう。一緒に悩んでくれる仲間ができたようで心の支えになったとの言葉、とても嬉しく思います。

    感謝は伝わりましたよ。宝物と言って頂いた二冊が深山様のこの先の人生を良い方向に導くことを祈っています。他にも色々書いていますし、これからも執筆は続けますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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