古代の高句麗(高麗)国末期の権臣。
淵は姓、蓋蘇文は名。《新唐書・東夷列伝》に「姓は泉氏」とあるが、唐の高祖李淵の諱を避けて書き換えたものとみられる。《三国史記・新羅本紀》にはその弟「淵浄土」の名が見える。日本では「いりかすみ」として知られ、《日本書紀・皇極天皇紀》に「伊梨柯須弥」と表記されている。原音は「イル・カスム」のようであったらしい。
栄留王を弑殺したとされることから、史書では秩序を乱した逆臣と評される。しかし宝臧王を立てて権力の集中を進め、新羅が唐と結んで高句麗を討とうとする試みによく対抗した。その在世の間は高句麗は安泰だった。