• 歴史・時代・伝奇
  • 創作論・評論

【考証・想像】高麗の使者「乙相賀取文」という名前

《日本書紀・斉明天皇紀》に六年正月筑紫に来航した高麗国の使いを「乙相賀取文」という名で記している。

「乙相」は官位とみられ、人物の名は「賀取文」だが、これは時の高麗大臣「蓋蘇文」の名と酷似している(どちらも表記は高麗語の音を写したもので漢字に意味はない)。

蓋蘇文は当時大変な権勢を持った国際的に有名な政治家。その大物と同じ(またはよく似た)名前の使者が来るということは、記録の誤りを疑うべき所ではないかと思われる。偶然の一致でもありえないことはないが、不審の感は拭えない。

おそらく本来は「蓋蘇文の名で使者乙相某が来た」といったことであったものを、どこかで取り違えて使者の名に「賀取文」が代入されてしまったのではないか。そう考え拙作ではそのようにしておいた。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する