• 詩・童話・その他
  • 歴史・時代・伝奇

300vs700

何の数字かというと、我らがなるみんと天狗党(田中隊+岩谷隊)が9/9に石名坂で激突したときの数字です。

これ、なるみんが太田にいた御家老に助けを求めたことから、「このときの鳴海はまだ戦い方が未熟だった」と評されることもあるようですが、数字だけ見たら、そりゃあ助けを求めるわ!
……と、リサーチしていて思いました。

実は双方とも、はっきりした数字は二本松サイドからは出てこないんですよ。
ですが、天狗党サイドで後に処刑されずに生き残った岩谷信成の談話、そして「幕末の日立~助川海防城の全貌~」にある9/26の助川海防城の鳴海の部隊の数値を合わせると、表題のような数字が弾き出された次第です。

兵力差は天狗党が2倍以上いた計算ですもんね、単純に考えて。
むしろ、この兵力差があって全滅せずに太田へ援軍を求められたなるみん、相当頑張ったのでは……。

それで二本松側の死者は10人未満ですから、むしろ損害は最小限に留めたと見るべきでしょう。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する