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再び二本松へ

月曜日に二本松で行われた墓前祭に出席してきたばかりなのに、昨日またしても二本松に行ってきました
これはこの日に「数楽カフェ」が開催されたためです。
昨年秋に二本松図書館で「敬学館教科書リスト」を写してきて、思いの外二本松藩で算学研究が盛んだったことに気づき、そうした断片に触れようとかねがね思っていたんですよ。

そして、もう一つ。
「ひみつの武器展」が夏休みの特別企画として開催されているためです。
こちらは、現在「鬼と天狗」が丁度戦闘シーンに差し掛かっているため、念の為、武具の検証をしたかったのです。
この時期の天狗党討伐の場面では「刀槍で戦う」のも珍しくなく、私も鳴海に槍を持たせて馬を駆けさせています。

一応解説しておくと、この時期の二本松藩に「銃」がなかったわけではないんですよ。
ただし、歩兵(農家などから参加した次男三男や、足軽など)が使っていたのは火縄銃などで、命中率は悪いです。
もしかしたら多少のゲベール銃はあったかもしれませんが、物によっては火縄銃より命中率が落ちる^^;
「直違の紋~」では剛介等にミニエー銃(エンフィールド銃)を使わせていますが、その4年前の1864年は、アメリカでは南北戦争真っ最中。その南北戦争が終了して(1867年)余った銃が、戊辰戦争のときに大量に日本国内に流れ込んだと言われていますから、弾丸・砲弾の飛距離なども、戊辰戦争のときと天狗党騒乱のときでは、若干違っていた可能性が高いです。

……というわけで、実際には刀槍で戦うのは珍しくなかったようです。
(水戸藩の御家老=筧助太夫も、自ら槍を振るって戦った記録が残されています)
さらに、槍や刀の細かいパーツの名称、そして実際の槍がどの程度の大きさなのか、また、作中の具足の名称が合っているかどうかも、確認したかったのです。
→これも、時代によって微妙に進化していきます。

ちなみに写真は、二本松藩の名家の一つ、青山家に伝えられた具足です。
その背後には、旗指物や槍も見えますね。
とりあえず写真撮影がOKだったので写真撮影をしまくり、パネルも含めて確認したところ、概ね「時代的な誤差」はなかったようで、ホッとしました。
(佩楯なども、幕末の当世具足まで見られたようです)

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