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Twitter再掲・比翼鳳凰SS【対の喧嘩は犬も喰わない】


 対の在り方というのは、対それぞれだ。対の数だけ在り方があると言ってもいい。

 常に隣にあり、もはや相方は己の同位体に近しい対。近すぎるがゆえに扱いが雑になりがちな対。対であるがゆえに言いたい放題のやりたい放題をして仲が険悪になる対。本当にそれぞれだ。

 ちなみに慈雲と貴陽の対は、泉部の中でも特に仲が良い対に分類されているらしい。涼麗と黄季の対も同様だ。

 そう。涼麗とも黄季とも関係が近しいと言える慈雲だが、思い返してみればあの二人が対を誓い合ってから言い合いらしい言い合いをしている姿は見たことがない。

 なかったのだ、今までは。

「氷柳さんっ!」

 ダンッという鈍い音が響いたのは、慈雲が備品室から長官室に戻ろうと廊下を歩いていた時のことだった。その音がちょうど目の前の角を曲がった向こう側からすることに気付いた慈雲は、思わず足を止めると気配を殺す。

「だんまりですか? それで逃げ切れるとでも?」

 低く廊下に響く声は、間違いなく黄季のものだった。普段は誰が相手であっても朗らかで礼儀正しい黄季の声が、今は声音の圧だけで周囲をひれ伏させるような不穏な響きを帯びている。

 ──おいおいおいおい、何があったよ?

 黄季がこんな声を上げるのは対永膳のみかと思っていたのだが、どうやら今、黄季が怒りを向けている相手は氷柳こと涼麗であるらしい。

 黄季がここまで怒りを露わにすることも珍しいことだが、その相手が涼麗となると天変地異並の珍事だ。そもそも黄季の唯一の逆鱗が涼麗であると言っても過言ではない。その逆鱗当人が黄季の逆鱗に触れるとは、一体何をしでかしたというのか。

「それとも、黙っていれば俺がなし崩しで許すとでも踏んでいるんですか?」

 慈雲は思わず気配を殺したままソロリと角の先を覗き込む。

 そしてそこで繰り広げられていた光景に目を丸くした。

 ──あれは……無意識、だろうな。

 涼麗の右手首を取って動きを止めた黄季は、さらに涼麗を壁際に追い詰めると己の右手を涼麗の顔の横について完璧に逃げ場を潰していた。

 背中を壁に預けた涼麗と、怒りも露わに涼麗に詰め寄る黄季の距離がいつになく近い。涼麗の方が黄季より頭半分ほど大きいから、そこに手をつくために無意識のうちに大きく踏み込んでいるせいだろう。

 その距離感に驚いているのか、はたまた黄季がこんな乱暴な手段を用いたことに驚いているのか、無表情が常な涼麗が分かりやすく目を丸くし、さらに視線まで泳がせている。

 まさに壁ドン。

 慈雲に言わせるならば、涼麗が黄季に壁ドンをかますならばまだしも、黄季が涼麗に壁ドンをかますなど、考えもしなかった事態である。

 ──涼麗は普段から無意識に黄季と距離が近いからな。無意識の事故でいつかやらかすとは思ってたんだが。

 日頃、不用意な接触をしでかさないように涼麗の分まで気を付けているであろう黄季の方がしでかすとは。ますます一体何事なのか。

「ちょっと氷柳さん? 聞いてます?」

 慈雲は思わずそのまま静観を決め込む。

 その瞬間、涼麗の右手首を押さえていた黄季の手が離れ、涼麗の顔に伸びた。迷いなく動いた指先は、涼麗の顎を掴むとグイッと強引に黄季の方へ涼麗の視線を引き戻す。

「『人の話はきちんと目を見て聞け』って言ったの、氷柳さんの方ですよ」

 ──顎クイ!?

 強引に黄季の方へ顔を向けさせられた涼麗は、今度こそ言葉を失ったかのような顔をしていた。恐らく今、慈雲も涼麗と同じような顔をしている。

 ──いやいやいやいや、黄季、お前な……!!

 黄季は涼麗の顔面に弱い。いや、大半の人間があの美貌に一目置かざるを得ないといった方が正しいのか。黄季もその例に漏れず、一番傍にいる時間が長いくせにいまだに涼麗の美貌にあてられている瞬間があることを慈雲は知っている。

 そんな黄季が、まさかの顎クイ。

 この近距離で涼麗と相対していることに気付いていないどころか、何かと見惚れているご尊顔に己が指をめり込ませていることを意にも介していない。普段の黄季ならばとうの昔に自分がしでかした失態に気付いて、頭が地面にめり込む勢いで土下座している。

「氷柳さん、いい加減に認めましょうか」

 もはや天地が引っくり返りかねない珍事に、慈雲は思わず内心だけで『涼麗お前何しでかしたんだよ!?』と悲鳴を上げる。

 そんな慈雲の視線の先で、黄季がことさら低く声を上げた。

「俺が仕込んでいた煮豚、こっそり食べましたよねっ!?」

 ──え? 煮豚?

 思わぬ単語に慈雲は思わず目を瞬かせる。だがスッと視線を逸らした涼麗の反応を見るに、どうやらそれが事実であるらしい。

 さらに慈雲の聞き間違いでないことを証明するかのように、黄季の言葉が怒涛の勢いで続く。

「あれは今晩の夕飯に出すから食べちゃダメって、俺昨日散々言いましたよねっ!? 美味しく仕上がるのは今晩だから、つまみ食いしちゃダメですよってっ!! それに氷柳さんは『分かった』ってちゃんと言ったじゃないですかっ!!」
「たくさんあった」
「三本仕込んであった内の一本が半分の大きさになってたら気付きますっ!! いくら中まで火が通ってたとはいえ、煮上がってない煮豚をあんなに食べちゃうってどうなんですかっ!? 夕飯足りてなかったんですかっ!? 美味しくなかったでしょうっ!?」
「あの状態でも十分美味かっ……、……」
「今のは自白として認めますね?」
「……」
「氷柳さん?」
「……………………………盗み食いをした上に、しらばっくれようとして……大変、申し訳、ありませんでした……」

 涼麗の口から謝罪が出てきたのを機に、慈雲は再び廊下の角の奥へ身を隠した。思わずそのまま身を翻し、元来た廊下を足音と気配を殺したまま引き返す。

 何だか、色々と想定外なことが起きすぎてお腹いっぱいだ。

 ──あの黄季が、涼麗相手に壁ドンやら顎クイやらをかましたってのも驚きだが……

 慈雲としては、涼麗が結構な量のつまみ食いをするほど食い意地が張るようになっていた、という部分が一番衝撃だった。あの霞を喰って生きていた涼麗が、完成を待ちきれずにひっそりつまみ食いをするとは、随分と変わったものだ。

 ──黄季が涼麗の胃袋をガッツリ掴んでるってことは知ってたけども。

 一体どれほどの美味さなのだろうか。一度食べてみたいものだが、案外独占欲と、黄季の料理に対してのみ食い意地が張っている涼麗のことだ。恐らく黄季に頼んでみても、涼麗によって断られるだろう。

 何はともあれ、対の喧嘩は犬も喰わない。

 慈雲は『もう少し備品室で時間を潰してから帰るか』と心に決めた。


【了】

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