【もてなしには故郷の味を】
「Why today?」
「誰がシャレを言えと言った?」
シャレも何も、聞き慣れない単語をそのままオウム返しにしただけなのだが。さすがに辛辣が過ぎないだろうか。
クォードはルーシェから真顔で返された言葉に思わず渋面になった。そんなクォードにルーシェは『やれやれ』と言わんばかりに溜め息をつく。
「バレンタイン。お前もカレンからもらったのであろう? マシュマロ入りのホットショコラ」
「……確かに、あの日のお茶会には、お嬢様自らホットショコラの振る舞いがありましたが」
あれ、バレンタインだったのか。
「どうせお前は気付いておらんだろうし、カレンは気にせぬだろうと思って呼びつけてみれば、案の定か」
内心だけで呟いた声は、どうやらルーシェに筒抜けになっていたらしい。
そのことが面白くなくとも、ここでだんまりを決め込んでは話が進まない。
仕方なくクォードは、自ら口を開くことにした。
「案の定、とは?」
「カレンはああ見えて生粋のお嬢様じゃ。人に施すのは当たり前。そこに『お返し』が生まれるという発想がそもそもない」
だからバレンタインの振る舞いも、特に深い意味はないのだという。
──アルマリエにおけるバレンタインは、日頃世話になっている人間へ、感謝を込めて贈り物をする日……だったか。
人嫌いの引きこもりでありつつも、カレンは意外に義理堅い一面も持つ。
ルーシェの話によると、カレンはバレンタインには身近な人達にマシュマロ入りのホットショコラを、使用人達には公休と、少額ながら特別手当を出すのが恒例なのだという。
確かに言われてみれば、2/14は皆に休みが出されていたし、メイド長のフォルカは昼食の時にマシュマロ入りのホットショコラを美味しそうにすすっていた。都で流行っている飲み方なのかと思っていたが、恐らくあれもカレンの手によって淹れられたものだったのだろう。
「というか、なぜマシュマロ入りのホットショコラ?」
配り歩くならば、もっと持ち運びができて、日持ちする物にすればいいのではないだろうか。チョコレートでも、チョコクッキーでもいいだろう。
何ならチョコレートでなくても、さらに言えば甘味でなくてもいいはずだ。国によっては『チョコレートを渡す日』とされているが、アルマリエでその縛りはなかったはずだとクォードは記憶している。
「その場で飲まなければならないから、自然と一緒にゆっくり休憩することになるじゃろう?」
クォードが首を傾げていると、あっさりとルーシェが答えをくれた。いつになく丸みを帯びた柔らかな声に改めてルーシェに視線を据えれば、珍しいことにルーシェは何の含みもない優しい微笑みを浮かべている。
「カレンの実家であるミッドシェルジェ所城のランベルフォード城では、バレンタイン当日は大鍋でホットショコラを作って、城中と言わず街中の人間がワイワイ集まってお祭り騒ぎをするそうじゃ」
マシュマロ以外にも、ブランデーやフルーツ、ナッツなどのトッピングもたくさん用意して、皆で好き勝手にアレンジして楽しむ。そのうち街を挙げた酒盛りになるらしい。
「カレンにとって、バレンタインは大切な人との時間を楽しむ行事でな。人嫌いで有名なあの子が、毎年バレンタインだけは自主的に妾に面会を申し込みに来てくれるのだよ」
その言葉に、クォードは無言のまま目を瞠った。
脳裏に過ったのはひと月前、カレンが手ずからホットショコラを用意してくれたお茶会の光景だ。
【……何よ】
その日の魔術講座、もとい15時のお茶会は『茶菓不要』と通達されていた。そうでありながら『ちゃんと15時に研究室に来るように』と釘を刺されていたから、クォードはきちんと15時ジャストにカレンの研究室のドアをノックした。
そんなクォードを出迎えたのが、すでにティーテーブルに着席したカレンと、淹れたてと思わしき湯気を上げるホットショコラだった。
【私が甘味を用意してたら、何か悪いわけ?】
余程自分はその光景に呆気にとられていたのだろう。扉を開けたまま固まった自分に、カレンがツンケンした文字を向けてきたことを覚えている。
【……甘い飲み物、嫌いだった?】
それから妙にしおらしく、恐る恐る文字を出してきたのが何だかおかしくて笑ってしまったら、クッションをぶん投げられた。散々やり合ってから口をつけたマシュマロ入りホットショコラは少し冷めてはいたものの、十分美味しかったことを覚えている。
──大切な人との時間を楽しむ行事、ねぇ……
「ちなみにホワイトデーというのは、バレンタインのお返しをする日のことじゃ。東ではあまり馴染みのない風習かもしれぬがな」
ルーシェに説明された言葉を反芻し、時間差でジワリと落ち着かなさを噛み締めた瞬間、そこに水を差すかのようにスパッとルーシェは言葉を発した。寝耳に水な話に眉を跳ね上げると、ルーシェはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「しかもお返しは3倍返しが基本とされておる」
「はぁっ!?」
「『知らなかった』の一言で済ませても、カレンは気にせぬじゃろうがのぉ? はたしてバカみたいに高いお前のプライドがそれを許すかのぉ?」
恐らくルーシェはこの一言で慌てるクォードが見たかったのだろう。行儀悪くテーブルに肘をついたルーシェはニヤニヤと実に悪人面で笑っている。
気に食わない。しかしルーシェに指摘された通り、知ってしまった以上『知らなかった』の一言で通してしまえるほど、クォードの矜持は低くない。
さらに言うならば最近は、あの引きこもり娘にもそれなりの敬意と感謝と、ちょみっとばかしの親愛も感じている。こちらが気付いていなかったとはいえ、向こうが感謝の念を特別に表してくれたのは事実だ。ならばこちらも相応のものを返すのが筋だろう。
──何か考えねぇと。
ニヤニヤと笑い続けるルーシェに舌打ちをしながらも、クォードの思考は必死に何が良いかを考え始めていた。
※ ※ ※
離宮に帰ったら執事がいる日常には慣れたけども、研究室の扉を開けたら執事がいるのは驚きだった。
さらにテーブルの上に何やら見慣れない料理が所狭しと並べられているのだから、さらに驚いた。
──何事!?
「お帰りなさいませ、お嬢様。わたくしの不在をいいことに、昼食と15時のお茶をすっぽかしたそうですね」
入室したところで固まっていると、背後でパタリと扉がしまった。何だかデジャヴを感じる流れだ。
確かに今日のカレンは昼食と15時のお茶をすっぽかして書庫に閉じこもっていた。朝食の時にクォードから『クソ女皇陛下からなぜかわたくしだけ皇宮に来るようにとお呼び出しがあったので、出掛けて参ります』と聞かされていたから、これ幸いとばかりにその不在を狙って閉じこもっていたというのも確かにある。
──でも、それとこの大量の食事は関係なくない!?
「ひとまず、どうぞこちらへ」
思わず硬直したままヒクヒクと鼻を動かすと、食欲を刺激するスパイシーな香りが漂ってきた。まるでその香りに返事をするかのようにカレンの腹からはくぅ、と小さく音が鳴る。
カレンはそんな己の腹に恨めしい視線を向けてから、ソロリ、ソロリとテーブルに近付いた。警戒心の強い子猫のような動きにも静かな表情を崩さなかったクォードは、カレンが椅子の傍らまで到達するといつものように椅子を引いてくれる。
──えっと、パンと、肉炒めと、スープ? あ、サラダっぽいものもある。
「本日は、ホワイトデーということですので。先月のホットショコラのお返しに、わたくしの故郷の料理を用意してみました」
椅子に腰を下ろし、手が届く距離まで近付いてみても、並んでいるのが何料理なのかよく分からない。
カレンが興味半分、警戒心半分で鼻をヒクつかせていると、テーブルを半周回ったクォードが己の椅子をぞんざいに引いた。そんなクォードから発された思わぬ言葉に顔を跳ね上げると、腰を下ろしたクォードが長い腕を伸ばしてカレンの前に置かれた大皿を示す。
「これは薄切りにした味付き肉を挟んだパン。隣に並んでるのが、肉の代わりに焼いた魚を挟んだやつ。カルセドアの王都では魚を挟んだやつの方が一般的なんだが、こっちじゃあんまり魚は食べないだろ?」
さらにクォードの指先は隣の皿へ滑っていった。
「こっちはパンに挟まっている肉と同じ物を、香辛料と野菜を加えて炒めたやつ。割とカルセドアではどこでも食べれた料理だな。スープは豆をすり潰したやつで……こっちで言うところのポタージュに近い。同じ豆が見つからなかったから、似たような豆で作った」
【え? これ全部、クォードが作ったの?】
「全部はさすがに無理だろ。料理人達に手伝ってもらった」
とはいえ、アルマリエの料理人である離宮のコック達もカルセドア料理の調理経験はなかったはずだ。クォード自ら厨房に入り、実際に手を動かしたに違いない。
「さっさと食え。冷めたらマズい」
カレンが驚きとともに注ぐ視線にいたたまれなくなったのだろう。クォードはさっさと白手袋を外すと、容赦なくカレンの前に置かれていた大皿から魚サンドをさらっていく。
その動きにハッと我に返ったカレンも、ひとまず魚サンドを手に取った。口元に運んでヒクヒクと鼻を動かすと、やはり嗅ぎ慣れない香りが漂ってくる。
【いただきます】
それでもカレンはお嬢様らしからぬ大きな口を開くと、パクリと魚サンドにかじりついた。その潔さに先に魚サンドにかじりついていたクォードが目を丸くする。
──せっかくクォードが用意してくれたんだし。
それに、クォードの故郷の味ならば、じっくり味わってみたい。
そんな心境とともに、カレンはモグモグと口を動かした。焼いた魚とレタス、さらに玉ねぎが挟まっているのだろうか。シャキシャキ、モグモグと噛みしめれば噛みしめるほど、魚の旨味と玉ねぎの辛さが程よく口の中に広がっていく。パンのおかげで腹持ちも良さそうだ。
【美味しい】
ゴクン、と一口目を飲み込んでから、カレンはクッションに文字を送った。感想は遠隔操作のクッション表示に任せ、実際の口は二口目を味わうことに専念させる。
【確かに普段魚を食べる機会ってあんまりないけども。それを残念に思うくらい、これは美味しいね】
対するクォードは、カレンの感想に心底驚いたようだった。魚サンドを咀嚼していた口が、カレンの感想を目にした瞬間から止まっている。
そんなクォードを他所に魚サンドをもりもり食べ終わったカレンは、次いで肉サンドの方にも手を伸ばした。モキュ、と一口噛み締めたカレンは、口の中で弾けた旨味に目を輝かせる。
【これ、美味しい!】
さらに肉炒めに頬を緩め、豆のポタージュに感嘆の息をつきながら、カレンは次々と料理を腹に収めていく。
アルマリエ次期国主候補であり、由緒正しき公爵家の姫であるカレンだが、実は魔力属性的にかなり燃費が悪い。見た目と性格から食が細いと思われがちだが、実際は食べようと思えばいくらでも食べれる大食漢だ。『よく食べ、よく鍛錬し、よく眠れ』という剣豪公爵家な実家の教えもあり、『食べる』と決めた時にはガッツリ食べるのがカレンの流儀である。
「プッ」
思いがけずありついた食事に舌鼓を打っていたら、何やら小さく噴き出す音が聞こえてきた。そして現状、そんな声を出す人間はこの場に一人しかいない。
カレンが疑問とともに視線を上げると、クォードが笑みをこらえるように唇を震わせていた。一瞬『人の食事姿を見て噴き出すとは失礼な』と文句がこぼれかけたが、クォードの目元が柔らかく緩んでいることに気付いた瞬間、胸を占めた文句は消えていく。
「美味しそうに食うなぁ、お前」
さらに思わず、といった風情でこぼされた声には、単純なおかしさとか、料理を喜んでもらえた嬉しさ以上の感情がこもっていたような気がして。
【……何よ】
それが何となく面白くなかったから、カレンは思わずツンケンした言葉を返した。
【美味しい料理を美味しいと思って、何か悪い?】
「いや、」
一度瞼を閉じたクォードは、次に目を開いてカレンを見据えた時には、いつものように不敵な笑みを浮かべていた。
「太るんじゃねぇぞ、お嬢様」
【余計なお世話!】
憎たらしい執事の発言に無表情を若干ムッとしかめたカレンは、それでも皿に残った最後の肉炒めをクォードに掠め取られないように、意地汚く皿を手元に囲い込んだのだった。
※ ※ ※
今はなき故郷の味をこうして喜んでくれる人がいる。一緒に楽しんでくれる人がいる。
──ったく。返礼品であるはずなのに、俺が喜んじまってどうすんだっての。
カレンに気付かれないように、クォードは胸に生まれた感情をそっと噛み締める。
──こんなに喜んでもらえるなら、たまには思い出に向き合ってみるのも、悪くはねぇな。
痛みばかり覚える記憶も、この主と過ごしているうちに、いつかは優しさに彩られる日が来るのかもしれない。
そんなことを頭の片隅で思いながら、クォードは懐かしい故郷の味とともに、無表情を輝かせるお嬢様の表情の変化を思う存分噛みしめることにした。
【END】