作品の良さとはすなわち個性である、私はそう強く信じている。ドグマをなぞり歩いただけではその作品は何か新しい感覚を読者に与えることはできない。ああ、知ってる、そういわれて後は元の場所に戻され、埃をかぶることになる。
例えばベンヤミンは「アウラ」という言葉を使ってこれを説明した(と私が考えているだけで確証はないが)。
しかしまた、個性は分量を間違えると強烈な不快感を生むことがある。環境活動家らの過剰な行動がいい例だろう。彼らの行動は強烈にスキャンダラスであり、芸術家が示す激烈な「個」というよりはむしろ、「孤」である者の哀しい叫びでしかない(ここに能動受動の対比が生まれたね)。
今の私の記述が「個」である、と思う。極端にセンセーショナルで理解不可能な「孤」ではない。歴史という巨大な本に1文、1頁を書き足すような行為、それが「個」なのだ。
以上。突発的で割愛三昧で申し訳ない。こんなに「個」を謳う人が悪文を作ってしまったというのは何とも皮肉なものだ。
さらに非常に傲慢ながら、下に拙著を貼っておく。
『Dialectics』https://kakuyomu.jp/works/2912051602525022674
※読みあいも何も強制しない。
参加する小説の設定画面で、自主企画欄にある「「『個』を愛し、『孤』を厭う」という言葉に鮮烈な共感を覚えた人たちの本棚」を選択してください。
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三島由紀夫と遠藤周作に悪い影響を受けましたかぶれ者ですが、何卒よろしくお願いしますもっと見る