エピローグ

意識を取り戻した私は、あれから二週間の入院を余儀なくされた。

魂のほうは元気だったのに、身体は思いのほか重症だったらしい。


手の火傷は深く、神木に触れた瞬間に走った衝撃は神経まで傷つけていた。

点滴、検査、包帯、リハビリ。

思うように動かない指先を見て、

焦りと情けなさが胸に刺さる日もあった。


それでも――救われたのは、来てくれた人たちの顔だ。


会社の社長は、普段なら「古川ァ!」と怒鳴りそうなのに、

病室のドアを開けた瞬間に顔をくしゃくしゃにして泣いた。


親友の厚美は、私の手を握ったまま「勝手に死ぬなよ」と何度も言って、

最後には声にならない嗚咽を漏らした。


嬉しかった。

そして、申し訳なかった。


自分の無鉄砲さが、どれほど多くの人を心配させたのか。


あの夜の自分の判断が、どれほど危うい綱渡りだったのか。

ベッドの天井を見つめるたび、遅れて実感が追いかけてきた。


焦らず治療とリハビリを続け

ようやく日常生活を送れるところまで回復した。

そして、その間ずっと私を支えてくれたのは


――やっぱり東地先生だった。


毎日ではない。

けれど先生は、忙しい合間を縫って必ず顔を出してくれた。

「今日は痛みどうですか」

淡々と聞きながら、コーヒーを置く手が優しかった。


眠れない夜にLINEを送れば、短い一言だけでも返してくれた。


――“大丈夫。今のままで大丈夫ですから”。


あの言葉が、どれだけ私を現実につなぎ留めたか分からない。


「では、退院の手続きをしてきますね」


晴れやかな笑みを浮かべて先生は部屋を出ていった。

残された病室では、担当医の羽生さんがベッドに腰掛け、

コーヒー片手にくつろいでいる。


「サボりですか?」


「ちげぇよ。担当患者が今日退院するんで、お見送りだ」


「お見送りにしては、寛ぎっぷりが凄いですが?

……それより、あー、入院費が怖いな。退院したら頑張って働かなきゃ」


思わずぽつりと呟けば、羽生さんがニカリと笑った。


「そこは“あしながおじさん”が払ってくれたから大丈夫だ」

「……あしながおじさん?」

「まぁ、気にすんな」


ガシガシと頭を撫でられたが、最後まで正体は教えてくれなかった。

――でも、だいたい察しはつく。

察してしまうから、余計に胸が熱くなる。


羽生さんはふと、私の手元へ視線を落とす。


「……手の傷、残っちまったな」

「でも、痛みはありませんし、ちゃんと動きますから」


私が微笑むと、羽生さんは眉を下げつつも、

ほっとしたように頷いた。


「但馬さん……消える前に何か頼みごとをしようとしてたみたいなんです。

聞く前に消えちゃって。それが気掛かりで」


「心配すんな。あいつなら、化けてでも伝えに来るだろうよ」


思わず笑ってしまった。

確かに、彼ならやりかねない。嫌なくらい、想像できる。


沈黙が少し落ちる。

羽生さんはカップの縁を指で撫でるようにして、ぽつりと聞いた。


「香奈枝は……元気そうだったか?」

「……会いたかったですか?」


「んーー、そりゃぁな。

でも元気そうだって東地から伝言も聞いた。

なら、それでいいさ。アイツが幸せなら、それでいい」


少し寂しそうな横顔。

五年分の悔いが、そこだけ薄く影を落としている。


「愛ですね」


「……何言ってんだお前」


「いやー……とんと恋愛と縁のない生活してきたから、

そういうのちょっと憧れますね。

手の傷でさらに婚期を逃しそうで心配ですけど」


「ぶふぉ」

羽生さんは盛大にコーヒーを吹き出して笑った。


「お前さん、その言葉を東地の前で言ってみろ? 即入籍だぞ」


にやり、といたずらっぽく笑った、その瞬間。

病室のドアが開き、退院手続きを終えた東地先生が戻ってきた。


「手続き終わりましたよ」


「ありがとうございます!」


受け取った書類を胸に抱きしめる私の耳元へ、

羽生さんがこそっと囁く。


「ほら、もう一回言ってみろ?」


ニマニマしながら言ってきたので、

その頭にチョップを落としておいた。


「では行きましょうか。

点野君がお店で退院祝いを用意してくれているそうです」


「わぁ……嬉しい!」


病院食ばかりの生活に終止符。しかも点野さんの料理。

一気にテンションが上がる。


「羽生君、あとで店に来てくださいね」


「おう。また後でな」


改めて羽生さんにお礼を言い、ぺこりと頭を下げる。

羽生さんは私の頭に手を置いて、くしゃりと撫でた。


「それを言うなら、その何十倍も礼を言わせてくれ。香奈枝の件を含めてな」

「……私は何もしてませんよ?」

「そう思ってるのはお前さんだけだ。実際俺は救われたからな?」

「……んー……じゃ、はいって言っておきますね?」


「おう。……あーそれから、

さっきの話。貰い手がなかったら俺が引き取ってやるよ」


羽生さんはニカリと揶揄うように微笑んだ。


「ペットじゃありませんよ、もう!」

「ハハハ。んじゃ俺は仕事に戻るな。じゃ、東地。また後でな」


「はい。待ってますね」


羽生さんは手を振って部屋を出ていった。

東地先生は私の荷物を持ちながら、ふと尋ねる。


「何のお話をされていたんですか?」

「あー……香奈枝さんのお話ですね」


「“貰う”というのは?」


「それは……

私が婚期を逃したらって話ですね……ただの揶揄いですよ」


私は少しむすっとしながら答えた。

先生は「そうですか」と、にこりと微笑む。

――その微笑が、妙に静かだった。


「古川さん」


ふいに、先生が私を抱き寄せた。

「えっ、せ……先生?」


鼓動が跳ねる。

先生の体温と匂いに包まれて、身体が固まった。


「覚えていますか。

戻ったら大事なお話がありますって言ったこと」


「あ……はい」


胸がきゅっと縮む。

嬉しいような、怖いような、逃げたくなるような

――でも、逃げたくない。


先生は少しだけ息を吐いて、言った。


「……君が意識を失った時、初めて本気で怖いと思いました」


低い声。冗談が混ざらない、本音の声。


「無茶をして怪我をして……

本当に、もう二度とあんな思いはしたくありません」


「……ごめんなさい」

小さく呟くと、先生の腕の力が少しだけ強くなった。


「でもね」


先生は続ける。


「君がいたから、僕たちは五年間の停滞を終わらせることができました。

本当にありがとう」


その言葉で、胸の奥が熱くなる。


“役に立ちたかった” なんて軽い気持ちじゃない。

私は、ただ――誰かを放っておけなかった。

それが間違いだったとしても、先生はそこで私を否定しなかった。


「それから――」


先生は少しだけ視線を落として、まっすぐ私を見た。


「貰い手なら、僕以外認めません」


「……え」


時間が止まったみたいに、言葉が出てこなかった。


次の瞬間、先生の端正な顔が近づいて、唇が触れる。

頬に触れた髪がくすぐったくて、

何度も角度を変えて重ねられる口づけに、頭が真っ白になる。


「……っ、せんせ……」


離れた時には、顔が真っ赤で、先生の顔がまともに見られなかった。

先生は笑うでもなく、ふざけるでもなく、確かめるように言った。


「好きですよ、水姫さん。本気です」


「……わ、私も……先生のそういう所含めて……好きです」


口にした途端、自分の声が震えているのが分かった。

でも、それでいい。逃げないと決めた。


先生は満足げに微笑んだ。

――その笑顔が、私の“現実”だった。


「では、行きましょうか」


差し出された手を握り返す。

まだ体力が完全ではない私に、先生は歩幅を合わせてくれる。

その優しさが、たまらなく嬉しかった。


病院を出た空は、雲間から射す陽射しが明るくて。

まるで、新しい生活の始まりを祝福しているみたいに感じた。


そして私は、ふと手の傷を見下ろす。

――この傷は、怖さの記憶でもある。

でも同時に、“戻ってきた証”でもあった。



数日後。

東地は前条寺家を訪れていた。

清人の件の報告を、浅子へ伝えるためだ。


「そう……清人は死んではいないのね」


浅子は静かに目を閉じ、息を吐いた。


「はい。呪い返しの解除のためには、五年は時間を要しますが」


「それでも……あの子が生きていてくれるなら」


安堵の言葉には、矛盾が含まれている。

憎むべき罪を犯した孫。

それでも“生きていてほしい”と願う祖母。

それが人間だと、東地は思う。


浅子は目を開け、淡々と続けた。


「そうそう、師匠と呼んでいた男が新しい教祖になったそうよ。

最初からこれが狙いだったのかしらね」


「そうですか……ならば前条寺家でのやり方で、復讐はできますね」


「前条寺家のやり方……なるほど、そうね」


浅子は小さく微笑んだ。

その笑みには、慈悲ではない“決着”の色があった。


「東地先生は、前条寺家に入るつもりは……やはり無いのかしら?」


「申し訳ございません。大切な人ができましたから」


真っ直ぐな言葉。

浅子は小さな溜息を吐き、けれどどこか嬉しそうに笑った。


「そう……残念だけれど、諦めるしかないわね」


東地は深く頭を下げ、屋敷を後にする。


外へ出ると、空気が軽かった。

胸の奥に絡みついていた糸が、すっとほどけていくようだった。


その時、携帯が震える。

画面には古川からのメッセージ。


《松川神社に来ています。御神木の跡地に、新しい祠が出来ていました》


祠の写真が添付されている。

失われたものが、形を変えて残っている。

――そんな静かな慰めを感じさせる光景だった。


《出先の仕事が終わったので、これから戻ります。一緒にご飯どうですか?》


東地は小さく笑みをこぼし、返信した。


《はーい。神社で待っています》


直ぐに届く愛しい人からの返信。

光の差し込む参道を思い浮かべながら、車を走らせる。


――引き寄せたのは、僕なのか。彼女なのか。

けれどそんなことは、もうどちらでもよかった。


縁は、結ばれるべくして結ばれる時がある。

それが善であれ、業であれ、救いであれ。


東地はハンドルを握る指に力を込める。

そして心の中で、ひとつだけ誓った。


この心地よい縁を、大切に守り抜く。


END

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