第10話 お祓い④
「香奈枝……!」
清人が嬉しそうに手を伸ばした。
だが香奈枝は冷ややかな眼差しで、その手を見つめるだけだった。
「……不思議ね。
あんたに会えたら言いたいこと、聞きたいことが山ほどあったはずなのに。
今はね、言葉を交わすことすら嫌悪してる自分がいるのよ」
「香奈枝?」
「ひとつだけ教えて。
――どうして、私は殺されなきゃいけなかったの?」
清人は小首を傾げ、淡く笑った。
「理由? 君は僕と教団を裏切ったじゃないか。
理想を掲げ、一緒に築こうと誓ったのに、君は僕を捨てた。
裏切り者を許すはずがないだろう? 僕は深く傷ついたんだ。
……酷い話だと思わないか?」
その口ぶりは、まるで“正しさ”を語るようだった。
背筋がぞくりと震える。
――狂気だ。
「師匠に相談したんだ。
『どうすれば香奈枝と彼女の力を、永遠に僕から離れないようにできるか』ってね。
師匠は優しかった。新しい術式を教えてくれたんだ。
魂の結びつき、浄化の力……。
肉体なんて器にすぎない。大事なのは魂だ。
僕たちは永遠に魂で結ばれた。
……なんて素晴らしいことだろう? 香奈枝も、そう思うだろう?」
恍惚と語る清人を前に、香奈枝は心の底から吐き気を覚えた。
「……気持ち悪い」
「え?」
「それは全部、あんたのエゴよ。私は望んでない。
あんたと一緒にいることも、力を貸すことも」
「香奈枝は我儘だなあ。この僕と永遠にいられるんだよ?」
話にならない。
言葉が通じる相手ではなかった。
そのとき、涼太郎が低く吐き捨てた。
「あんた、本当に気持ち悪ぃな」
清人の顔がぴくりと動く。
涼太郎は怯まず続けた。
「姉貴を殺して、魂を鎖で縛って、呪物の糧にした?
救いようがねぇ。
結局、自分が欲しいもんを手に入れるために全部やっただけだろ。
それが愛だ? 笑わせんな。
お前に姉貴をこれ以上、振り回させねぇ」
その言葉に、香奈枝は涙を滲ませ、そして小さく頷いた。
「ありがとう、涼太郎。……私の代わりに言ってくれて」
「……」
「でも、もういいわ。
これ以上言葉を交わしても、気分が悪くなるだけだから」
「香奈枝……?」
清人の声が揺れる。
香奈枝は真っすぐに彼を見据え、凛とした声で告げた。
「清人。私がこの五年間、どんな思いで閉じ込められていたか分かる?
孤独で、苦しくて、痛くて、終わらない地獄だった。
その同じ地獄を――あんたも味わいなさい」
言葉が落ちた瞬間、背後の巨大な呪物が轟音を立ててうねり上がった。
地鳴りのような振動。
黒い波が世界を飲み込む。
「やめろ、香奈枝! 僕を見捨てるのか! 僕たちは永遠に――!」
「バイバイ、清人」
冷ややかな別れ。
呪物は荒れ狂う奔流のように膨れ上がり、清人を一瞬で呑み込んだ。
「やめ……香奈枝ぇぇぇぇ――!!」
叫びも、伸ばした手も、闇の中へ沈む。
呪物の表面が激しく泡立ち、やがて光の波紋を散らして、静かに沈黙した。
……香奈枝の身体を覆っていた黒い影も、
するすると剥がれ落ち、細かな光の粒へ変わっていく。
「……やっと、解放されたのね」
香奈枝が深く息を吐き、涼太郎を見る。
その瞳には、自由を得た人の柔らかな光が宿っていた。
「ごめんね、涼太郎。あんたまで巻き込んで」
「……俺、結局何もできなかった。カッコ悪ぃな」
「そんなことない。
あんたが必死に頑張ってたの、ずっと知ってたよ。
少しやり方が曲がってただけ。ふふ……」
照れくさそうに笑う涼太郎。
その顔は、ようやく姉に褒められた少年のようだった。
香奈枝は次に東地へ視線を向ける。
「東地さん。本当にありがとうございました」
「僕は古川さんを助けに来ただけです」
「……相変わらずドライね。まあ、それがあなたらしいけど」
東地がわずかに微笑む。
「羽生君に伝えることは?」
「……全部、自業自得だから気にしないでって。
それと――ありがとう、って」
「承知しました」
香奈枝は安堵の表情で頷くと、古川の手をそっと握った。
「古川さん。あなたにまで迷惑をかけて……
怪我まで負わせて、本当にごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫じゃありません」
間髪入れずに口を挟む東地に、古川は思わず頬を赤らめた。
そのやり取りを見て、香奈枝は小さく笑う。
「松川のおじさんにはね……
生まれ変わったら、今度こそ神社の手伝いをたくさんするって伝えて」
「はい」
柔らかな光が二人の身体を包み込む。
涼太郎は最後に古川へ振り向き、短く言った。
「ありがとな」
その声は、不器用な弟の精一杯の感謝だった。
やがて姉弟の姿は無数の光の粒となって天へ舞い、静かに消えていった。
残された空間には、静けさと余韻だけが残る。
視界の端で、まだ蠢く影がある。
呑まれた清人だ。
生きているのか、死んでいるのか――。
「先生、この人は……?」
「これが呪い返しの代償です。
香奈枝さんが過ごした五年。
その同じ年月を、同じ苦痛と共に過ごさなければならない。
呪いが解けるのは、その時ですね」
「……亡くなったわけじゃ、ないんですね?」
「ええ。ただ
――五年後、正気のままかどうかは保証できませんが」
古川は小さく息を吐いた。
「それでも……良かった」
東地はその横顔を見つめ、静かに頷く。
「では、僕たちも戻りましょう」
「はい」
東地は古川を抱き寄せ、点野の糸を握った。
光が二人を包み、世界が眩い閃光に飲まれていく。
「――おかえり」
その声を最後に、幽界の景色は溶け、現実へ還っていった。
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