第4話 予定日当日

 最初の検診時、医師が私に告げた予定日当日の朝。

 静かなのにどこか騒々しく感じて目を覚ますと、窓の外にはたくさんの雪が降り落ちていた。道路を走る車もいつもよりスピードを落としている。私はパジャマの上にフリースを羽織ると、スリッパを履いてリビングへ移動した。


 昨日受けた最後のチェックでは、十五の耳卵じらんすべてが経過良好との診断だった。

 「研究所では担当者が待機していますので、保持カードを忘れずにお持ち下さいね。お困りの際は力になりますので、いつでもご連絡下さい」とにこやかに医者は微笑んだが、私はお辞儀を返すことしか出来なかった。


「外は寒そうだね」

 耳卵に問い掛けると、コンコンと音が鳴った。

 やや高い響きは肯定の意だ。

 あれから私は耳卵に何度も呼び掛けることで、同じコンコンという音でも高低によって意味が異なることに気が付いた。

 高く軽やかな時は、質問に対する同意や、嬉しい楽しいといった前向きな感情を表し、低く重い時は否定や悲しいなど、拒絶の意志を表している。


 予定日当日は午前十時までに受付を済ませるのが決まりだ。孵化した後もその後の手続きなどがあるため朝食はしっかり食べてくるようにと指示されていたが、あまり食欲が湧かない。私は昨晩作ったばかりの麦茶をカップに注ぐ。

 ノンカフェインの飲み物も今日で終わりだ。菌や寄生虫への感染を懸念して控えていた生の魚は勿論、生ハムやナチュラルチーズなども口に出来るようになる。

 孵化してしまえば生活習慣など、何もかもが元通りになるのだ。

 耳卵がいなくなることを除いて。

 私は目を閉じ、手の平で覆うようにして右耳を塞いだ。

「じらんちゃん。本当に今日、孵化するの?」

 口から出た言葉が耳の中で震動する。その震えを受け、耳卵は歌うように陽気な音を立てた。ようやく外の世界へ出られると喜んでいるのだろうか。

「私の耳の中は、居心地が悪かった?」

 否定の意を表す低い音が、右耳の中で響いた。

「……ずっと、そこにいたらいいのに」

 耳卵は答えない。独り言だと思ったのか、あるいは返事に窮したのか。

 大きくひとつ深呼吸をすると、私は身支度を整えるため洗面所に向かった。


 研究所の担当者に案内された個室は、壁紙をはじめ全体的に暖色系でまとめられていて、小さい頃にテレビで見た妊産婦第一を掲げた高級な産婦人科の分娩室の映像を思い出した。耳卵から孵った『似人にひと』が耳から転げ落ちないよう、保持者はベッドに横たわり、ひたすら孵化の時を待つ。


 右耳にある耳卵の数は、受付で手渡した保持カードに記録されている。出てきたばかりの『似人』を驚かせないよう、全ての耳卵が孵化するまで部屋への立ち入りは禁止されるものの、天井の四隅及びベッドの真上に設置された監視カメラを通じていつでも職員が駆け付けられるようになっている。保持カードにある数と孵化した『似人』の数はその場で照合されるため、全ての『似人』が回収されるまで保持者は研究所を出ることは出来ない。


 右耳の中、順調に育った耳卵のこれからについて想像する。

 泣いては駄目だ。

 泣くことは国家の考えに背くことを意味している。

 耳卵保持者として国に『似人』を渡すことは素晴らしいことであり、尊い行いなのだ。

 そう思おうとすればするほど、私は鳩尾みぞおちがきゅうと苦しくなった。


 十五の『似人』は私の耳から出て行った後、どんな生活を送るのか。

 人間の日常を守るため、人間の心の重荷を軽くするため、ただ消費されることが決められている運命。

 老いて亡くなる瞬間、「この世界に出てきて良かった」と思える『似人』がどれだけいるのだろう。そもそも、『似人』を取り巻く環境は『似人』に対して老いるまで生きることを許してくれるのか。卵のままずっと耳の中にいれば守ってあげられるのに、私には耳卵が孵化することを止められない。


 監視カメラに涙をこらえている様子が映らないよう枕に顔をうずめたその時、右耳の中でパリンという音が聞こえた。


 孵化が始まったのだ。


 最初の一音から間もなく、ガラスが割れるような甲高い音が幾つも重なり、その中を小さなカエルの脚のようなぬるりとした物が耳の内側に触れるのを感じた。湿り気を帯びたそれは、複雑な構造であるはずの耳の中を外側に向かって正確に移動している。


 気持ち悪さはなかった。

 孵化したばかりの『似人』を見られることへの期待感と、職員に見付かる前に『似人』を逃がさなければという焦燥感が私の中でせめぎ合う。


 ペタリ。


 最初の『似人』が出てきた。耳の中で動いている『似人』を揺らさないよう、私は顔を少しだけそちらへ向けた。

 人間に似た姿をした二ミリ程度の『似人』が、裸で座り込んだまま黙って私を見ている。


 男にも女にも見える特殊な体。

 意志があるのかないのか読み取れない、大きな目。

 

 一体目の後ろを付いて来たのか、続々と耳から這い出て来た『似人』たちは産声を上げることなく、外の世界の眩しさに何度か瞬きを繰り返した。


 私は素早く個体数を数える。

 十四。

 耳に残っている『似人』は、あと一体。

 どうしよう、どうしたらいい?


「おめでとうございます」

 唐突に扉が開いたかと思ったら、祝う声と共に三名の職員が入って来た。

 まだ全ての『似人』が出てきていないのに、どうして。

 私は咄嗟に首を鳴らすフリをして、勢いよく頭を左に振る。右耳の奥がガサリと鳴り、小さな物体がごろんと入り込んだのが分かった。


「孵化作業、お疲れ様でした。まずは『似人』を回収させていただきますね」

 説明担当の職員が残る二人に合図を送る。手元のタブレットと照らし合わせながら、職員たちは慣れた手付きで『似人』を虫かご状のケースに収めていった。

「はい、確かに保持カードに記録されている通り、十四、孵化出来ていますね」


 保持カードに記録されている通り?

 そんなはずはない、初回の検診で医師は確かに私に十五と告げたし、最後のチェックでも十五と数を挙げた上で、経過良好と笑ったのだ。

 まさか登録ミスがあったとでもいうのだろうか。


 混乱状態のまま担当者から今後に関する説明がなされ、気付けば私の左手には『ハハカード』が、右手には報酬額が記載された小切手があった。


「お疲れ様でした」


 見送りの職員によるねぎらいの言葉に対して私は何も言わずに頭だけ下げると、足早に研究所を離れ帰宅した。部屋中のカーテンを閉め、私は耳に入った水を抜くように、手で右耳を覆いながら頭を右へ傾けて何度か振った。


 出てきてと強く願う。


 しばらく続けたところで、ぬるりとした温かな物が手の平に転がり落ちてきた。

 恐る恐る、それを見る。

 人間とよく似た姿をした大きな目を持った個体。

 十五番目の『似人』だった。


「じらんちゃん」


 もう卵の姿ではないのに、私の口を突いて出たのは毎日のように呼び掛け続けた名前だった。『似人』はゆっくりと首を動かして私を見た後、微笑んでいるように目を細め、口角を持ち上げた。感情など関係ない、ただの新生児微笑のようなものなのかもしれない。けれど今の私にとってこの笑みは、十四の『似人』を犠牲にして得たものに他ならなかった。


「ごめん、ごめんね」


 物言わない『似人』に向かって私は泣きながら謝罪し、これからのことを考えた。

 『似人』を全て引き渡さなかったことが発覚すれば、私は耳卵逃亡罪よりも更に重い罰を受けることになるだろう。せっかく一体だけでも救うことが出来たというのに、ここで捕まる訳にはいかない。とはいえ、『似人』の成長速度を考えればこのまま自宅で隠すことも得策ではないだろう。


 ――お困りの際は力になりますので、いつでもご連絡下さい。


 最後のチェックの時、医者に言われた言葉が不意によみがえる。

 実際の数とカードに登録された耳卵の数の違いが、ただのミスではなかったとしたら。

 SNSで噂されている『似人』をかくまう団体が実在するとして、それがあの医者と関係のある可能性は?


 あの医者が私のどこを見て『似人』をかばう人間だと思ったのかは分からない。

 もしかすると、賭けに負ける可能性だってある。

 それでも『似人』の未来に少しでも繋がる糸になるならば、私はそれを摑まえたい。


「行こう」


 上着のポケットの中にそっと『似人』を収める。

 ハハカードと小切手を破り捨て、私は専用ダイヤルを鳴らした。

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