第2話 得体の知れない

 気がつくと、俺は自室の勉強机の前に立っていた。ついさっきまで玄関でレオと話していたはずだが、扉の鍵を開けて家に入り、階段を登って2階にあるこの部屋まで歩いてきた記憶が一切ない。つまり、レオが俺の身体を借りたってことだ。本当に記憶は引き継がれないらしい。


「おい」


 窓際で空を眺めているレオに詰め寄った。


「お前さっきの五分で何した?」

「なにも」


 答えるレオは俺に見向きもしない。相変わらず傲岸不遜な態度だが、それとは裏腹に声は弱っているのかと思うほど小さい。呆然と窓の外を眺める姿はまるで死期を悟った老獅子のように見えた。


「じゃあなんで俺の身体乗っ取ったんだ」

「チュートリアルってやつだ。俺様に身体を貸すとどうなるか、教えるより体験してもらった方が早いと思った。……いきなり乗っ取って悪かったな」


 まだ出会って一時間くらいだが、レオが自分から謝るタイプじゃないのは分かる。少なくとも俺はそう思っている。そんな奴が、今にも消えそうな儚さを俺の前に晒しているのだ。別になんでもいいが、流石に今のレオに対しては俺も強く言う気にはなれなかった。


「なぁ、今の五分で何があったんだ?」


 そこで初めてレオと目があった。半透明な上に毛深いせいで分かりづらかったが、隠しきれていない悲しみがレオの目を歪ませている。レオはすぐに目を逸らしてしばらく口を開かなかったが、俺の視線に耐えきれず、「俺様は」と話を切り出した。


「俺様は本当に死んだんだな」

 

 ……これは、そっとしておいた方が良かったか?


「まぁ、幽霊だからな……生きてたらそうはならない」


 長い沈黙が室内を支配した。俺もレオも、言葉も視線も交わさなかった。窓の外の黄昏を見つめる目には、生前家族と過ごした場所が映っているのかもしれない。それを邪魔することは出来なかった。


 それ以降、レオが俺に話しかけてくることはなかった。俺が話しかけても上の空。ずっと窓の外をみていた。夕飯を食べるためにリビングに行き、そのまま風呂に入ってから部屋に戻ってきたときも、レオはまだ窓の外を見ていた。


 これ以上は、ちょっと見ていられない。


「なぁレオ。今からゲームするけど……一緒にやるか?」


 物は試しにコントローラーを差し出してみた。焼石に水かもしれないが、この気まずい状況に変化を与えられるなら水でもありがたい。


「格ゲーでもパズルゲーでも何でもいいぞ。好きなの選んでくれ」


 ……待てよ。そもそも幽霊って物を持てるのか? 持てなかったらコントローラー操作できないじゃん。やばい、どうしよう。


「格ゲー。ボコボコにしてやる」


 俺の心配を他所に、レオは出来て当然と言わんばかりにコントローラーを手に取った。よかった、これで物が持てないとか言われたら、気まずいどころの騒ぎじゃない。


「言っとくけど俺強いから、ボコボコにされても文句言うなよ」

「フン、俺様もこのゲームは生前よくやった。覚悟しろよ」


 明日は土曜日。学校も無いし、多少夜更かししても問題はない。それに、俺も久しぶりに誰かとゲームがしたい。今は何も考えず、ゲームを楽しむとしよう。


「クソッ! 避けてんじゃねぇぞ! 動くな!」

「見えてる地雷を踏むバカがいるものか! 喰らえ!」

「そうくると思ったぜバカが! オラッ、カウンター!!」

「なに!?」

「形勢逆転! このまま終わりにしてやるよ!!」

「舐めるな! 俺様のPSプレイヤースキルがあればッ、これしきのこと!」

「無駄だ無駄だ! 俺が一年かけて組み上げたこのコンボに隙はない!」

「く、かくなるうえは……!」

「あきらめろ! お前はもう死んでるんだよぉぉ!」

「戒!」

「あ! おいテメェ汚ねぇぞ……」

 

 ────気づけば翌日、レオはすっかり元気になって、初めて出会ったときのあの尊大さと喧しさを取り戻していた。目を覚ましたとき、部屋の隅で一人で格ゲーをしているレオの姿をみて、昨日の出来事が夢ではないことを改めて理解した。

 

 もちろん、一緒にゲームをした記憶もある。やたら攻撃を躱すのが上手かったことも、ライオンのくせにRPGの魔王も裸足で逃げ出すレベルの卑怯な戦法を使ってきたことも、俺の記憶にはバッチリ残っている。

 

 それからまた数日。レオという特異な存在と出会ったことがきっかけで俺の日常、人生は激変した。なんてことにはならなかった。学校にいようと家にいようとレオはお構いなしについてくるし話しかけてくるが、そもそもレオは俺以外の人間には見えない。俺からすればライオンの幽霊が四六時中付き纏ってくる異常事態でも、側から見れば何も起きていないように見えるのだ。


 もしかしたら霊感が強い人間がクラスメイトの中にいて、俺の周りを付き纏ってくるレオを見て俺にも話しかけてくる。なんて展開を期待したけど、蓋を開けてみればいつもの日常。誰もレオの姿は見えないみたいだった。学校に行って、授業を受けて、帰ったら家でゲームをする。何回も何回も繰り返したルーチンワークにレオが加わっただけだった。レオも学校では案外大人しくしている。


「きゃぁ!! チョークが浮いてる!?」

「俺の筆箱が!!」

「ぽっ、ポルターガイストだぁっ!!」

「ガハハハハ!! そうだよ、俺様の仕業だよ!!」


 ……どうやら、前言撤回する必要がありそうだ。



 ポルターガイスト事件は、学校内では俺に絶対服従・破ったらゲーム禁止をレオに約束させたことで終幕を迎えた。学校も仕事もない幽霊にとって暇はこれ以上ない激痛のようで、俺がゲーム禁止を言い渡した瞬間、レオは手のひらを返して謝り倒してきた。何言っても聞かない自己中の権化みたいな奴が、必死に頭を下げて許しを乞う姿は見てて痛快だった。


 さておき、ポルターガイストが起こったことで騒ぎにはなったが、事件は先生が職員室に忘れ物を取りに行っている間に起こったことであり、生徒たちが必死に説明しても先生は授業をサボりたい怠け者の嘘だと断定して信じなかった。なので想像していたような大事にはならなかった。


 結局授業はいつも通り進んだ。生徒たちもしぶしぶではあったが、一旦は冷静になり、授業が始まるとなんやかんや集中していた。それでも、チャイムが鳴って先生が教室を出た瞬間、示し合わせたように同じ話題でまた騒がしくなった


 真昼間のポルターガイストは、クラスメイトにとっては思いの外衝撃的な体験だったようで、一週間経っても興奮は続いていた。休み時間に小説を読みながら聞き耳を立てれば、やれ誰かが持ち込んだ呪いとか学校の七不思議とか、中身のない議論を交わしている。全容を知っている立場からすればこの光景は何とも滑稽だった。


「お前は混ざらなくてもいいのか?」

『俺は嘘を付くのが下手だから。面倒ごとにはしたくないし』


 ノートの端に文字を書き、声の代わりに使う。人の目がある場所では筆談でレオと会話するようにしている。こうすれば誰にも気づかれずレオと会話することが出来るってわけだ。いつもならスマホのメモ機能を使うけど、学校でスマホは使えないから。


「お前の願いは、クラスメイトに自分を認めさせたい、だったな。それならこの状況を利用しない手はないと思うが?」

『なんで』

「学校でのお前を観察していて思ったが、お前他人と全く交流していないじゃないか。誰とも関わろうとしない、むしろ関わらないようにしてる。そんなんじゃいつまで経っても友達出来ねぇぞ」

『今更友達なんか出来ないよ。今までずっとぼっちだったんだぞ? いきなり知らない奴に話しかけられても迷惑だって』


 仮に向こうから話しかけられたとしても、上手く話せる気がしない。相手に合わせるのなんて俺には絶対無理だし、そもそも話せるような話題を持っていない。ポルターガイストに関してはレオの仕業だって知ってるせいで、下手なことは言えない。


 今パッと思いついたのは、俺が皆の前で「ポルターガイストがまた起こる」と、何秒後が具体的な数字まで指定して予言し、レオに指示を出すことで、俺が霊能力者であることを演出する方法。これなら確かに皆俺を凄いというかもしれないし俺が只者ではないと一見して理解するだろうが、これは俺が望む形じゃない。


 俺はあくまで俺という人間の存在を認められたいのだ。特別な力を持っていることを知らしめたいとは思わないし、それを自慢したいわけでもない。仮に実行したとして、むしろ不気味がられて今以上に孤立する可能性の方が高い気がする。自分を害するかもしれない相手に対して、仲よくしようと思える人間なんているはずがない。


 それ以前に俺に霊感はない。例外的にレオが見えるだけで、それもいつ見えなくなるか分からない。きっと契約が達成されたとき、つまり特別な人間になりたいという俺の願いがかなったとき、俺はレオのことが見えなくなるのだろう。


「なんでそこまでして人と関わることを避けるんだ? 孤独と一匹狼を履き違えてるのか?」

『そんな中二病染みた理由じゃない。他人に凡人だと思われたくないだけだよ』

「お前はアレか。自分のことを特別で凄い人間だと信じなきゃやってられないタイプか」


 レオはやれやれといった具合に首を振った。


「自分が凡人だと理解している。理解しているからそれを受け入れたくない。でもその割には、他人を見下して自分を上げるようなことはしない。ということは、だ」

「何が言いたい」

「お前、憧れちゃいけない人間に憧れてしまったクチだな?」


 気味が悪いと思ったのは、これで二回目だ。全て見透かされている感覚。何を言っても無駄だとすぐにわかってしまう。自分よりも遥かに高位な存在と相対していると、逆らってはならないと、本能が負けを認めてしまっている。


 ────俺様はお前の全てを知っている。


「何者なんだよ、お前」


 一体どこで、俺のことを知ったんだ? いつから俺のことを知っている?


「ただの幽霊さ」


 レオの答えは、俺の疑問の答えにはならなかった。そしてこれ以降、レオが俺に干渉してくることはなかった。改めて思うが、レオはただの幽霊じゃない。その正体はさっぱり分からないけど、絶対に何かを隠している。


 俺たちはどうして出会ったんだ? 俺はレオのことなんて知らなかった。レオは、俺がレオを呼んだと言っていたが、そうなのか? 本当はレオが俺を呼んだんじゃないのか? その理由は、目的は? なんのために俺に接触してきたんだ? 一体何を企んでいる? 俺の身体を使って、レオは何をしようとしているんだ?


 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。最後にレオの顔を見てみたが、何を考えているのか俺には分からなかった。獣らしからぬ理性の光を帯びた鋭い瞳は、一体どんな光景を映しているのだろうか。

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独りぼっちとライオン 金剛ハヤト@カクコン遅刻勢 @hunwariikouka

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