夢想

冬鹿

夢想

「ハムスターはね?狭いところが好きなんだよ」



齋藤さんは目を爛々とさせ、僕にハムスターの習性を語り聞かせる。


「なんで狭いところが好きかっていうとね?元々ハムスターって穴を掘って巣穴で生活する動物だからなんだよ。

天敵から身を守れるっていう安心感があるからなのかな。天敵なんてここにはいないのにね。この前にマロンを見た時はね?滑車と床の隙間で寝てたの。」


どうやらスイッチが入ってしまったようだ。僕の返答の隙もなく齋藤さんのハムスタートークが続く。


全ての授業が終わった放課後、教室の隅で飼われているマロンと名付けられたジャンガリアンハムスターの世話をしながら、

こうして齋藤さんの動物トークを聞くのが僕の日課になっている。


ハムスターの世話をしなくてはならない飼育係という役職についているが故にいつのまにかそれがあたりまえになっていた。


本来であれば二人の飼育係が一日おきに交互に世話をすることになっている。


ケージの横には「飼育カレンダー」と書かれたホワイトボードが常設されており、

平日の一ヵ月分に佐藤、齋藤、佐藤、齋藤、佐藤…と交互に僕と齋藤さんの苗字が書かれており、その日の飼育担当者を表している。

…これを書く担任の先生はさぞや利き手を酷使したことだろう。


しかし実際の所は毎日僕と齋藤さんの二人で世話をしている。

齋藤さんはその動物好き故にか、交互でいいと言っているのに毎日世話をしている。

僕はというと…、理由の半分は負い目だ。齋藤さんばかりにやらせるわけにもいかない。


そしてもう半分は齋藤さん目当てだ。

普段は口数も少なくおとなしい彼女であるが動物を前にすると一変して元気に溢れてとてもよく喋るようになる。

最初はそのギャップから戸惑いはしたが、日に日にお喋りな齋藤さんの動物トークを聞くのが癖になっていき、今では平日の楽しみの一つとなっている。


「でね?マロンは去年も一昨年も気がつくと滑車の下にいるんだよね。よっぽどお気に入りなんだと思う。

お家が用意してあるのに、どっちかっていうと滑車の下にいる方が多いんじゃないかな?」


齋藤さんのハムスタートークは続く。


一昨年のことまでよく覚えてるものだ。

その記憶力に感心しつつ、改めて三年連続で飼育係を務める根性にも感心してしまう。

まあ、それは僕も同じなんだが…。


三年生の春からこのクラスでハムスターを飼い始めた。どうやらこれはこの小学校の恒例行事であり、

六年生までノンストップで世話をし続けるしきたりになっている。基本的に人数が少ない田舎の学校だからか、一クラスしかないことを逆手に取った行事なのだろう。


「命の大切さを知るため~」だったか?そんな大義名分を掲げ、学校側・教師側は飼育にほとんど介入してこない。


故に飼育係は責任重大だ。

皆やりたがらない中でただ一人立候補した変わり者が齋藤さんその人だ。


そして、「飼育係」と「じゃんけんが最も弱い男」の二つの称号を同時に獲得した、当時三年生の哀れな男が僕だ…。

しかし、「お喋りな齋藤さん」の面白さに気づいてからは僕もまた、齋藤さんと同じ変わり者に加わり飼育係三年目をむかえることとなったのだった。


「じゃあ、佐藤君はご飯と飲み物の補充しておいて?私はうんち片付けるから」


齋藤さんはそういうと何の躊躇いもなく、ゴマが散らばったトイレの砂の交換作業に入る。

まったくもって信じがたいが彼女は動物のお世話全てが好きなのではと時々感じてしまう。

役割は毎日交代しているが僕の時はこうもスムーズにはいかない。


もはや慣れた作業になったもので、

気がつくと世話は終了し僕と齋藤さんは帰りの身支度をしていた。

こうなると齋藤さんの口数も減ってくる。

このスイッチの切り替わりの速さも齋藤さんの特徴の一つだろう。


そうこうしているうちに僕と齋藤さんは下駄箱前で靴を履き替え下校を始める。

奇妙な縁といったところか、齋藤さんの家は僕の家の近くにあり、帰りの道順がほぼ同じとなる。

そして不思議なことに齋藤さんの後ろ姿を見ると無性に話しかけたくなる。

数刻前のおしゃべりな齋藤さんを見ていた影響だろうか。


「ねえ齋藤さん、ハムスターって野菜は食べるのかな?」


僕は齋藤さんに距離を詰め、普段から蓄積しているハムスタートークネタの一つを消費する。


「食べるよ、ハムスターの体に毒になっちゃうものもあるけど食べられるものも多いんだよ。

キャベツとかにんじんとか、特にブロッコリーは昔買ってたうちのハムちゃんが大好物だったんだよね。」


そう、ペラペラと返事をくれる齋藤さんを見て僕はトークネタが失敗に終わらなかったことに安堵し、

せっかく起こした火を耐えさせないようにと会話回しに徹する。


「ふーん?じゃあ今度給食でブロッコリー出たらマロンにあげてみる?」


「それはダメ!人間の調味料は基本的に動物の体に毒になるって、前テレビでみたの。あげるなら茹でただけのブロッコリーがいいよ。

前飼ってたうちの子は生のブロッコリーには見向きもしないのに

茹でたブロッコリーは信じられないくらい夢中で食べてたんだよ。

茹でたから食べやすくなるのかな?それとも味が変わるのかな?」


注意されてしまった…。

安易な返しをしたことを後悔した。

しかし、だとすると人間以外の動物は難儀な生き物だな。塩や醤油の旨みも知らずに生きているのか。


「私もブロッコリーをマロンにあげてみたいんだけどね…」と齋藤さんはため息を漏らす。


「…あげればいいんじゃない?持参してさ」


「だめだよ、ブロッコリーは授業に関係がないものだもん。」


…真面目か。いや、そこが齋藤さんの良さなのかもしれない。


「別に、マロンを喜ばせるためならちょっとくらいいいんじゃない?飼育係なんだしさ。裁量?のうちだよ。」と、僕は齋藤さんの希望を叶える方向に話を持っていく。


「…そうかな?」


「そうだよ」


僕の肯定を聞いた齋藤さんは押し黙ってしまった。困らせてしまっただろうか?

そんな会話中、気がつくと自宅目前まで来てしまいお別れのタイミングになっていた。

最悪だ…。後味の悪いお別れになってしまう、と気を落としたのも束の間、


「…じゃあ明日持ってくるね!」と齋藤さんから軽快な返事が返ってきた。


どうやらいい方向に会話がおさまったようだ。


僕はほっと胸を撫で下ろし別れの挨拶をしたのち、明日、マロンがブロッコリーを頬張る想像をしながら自宅に向かうのだった。




……違った。

僕はいまだに齋藤さんを理解しきれていなかったようだ。

翌日の金曜日の放課後、明日からの三連休に備えて水と餌を多めに用意しマロンのお世話を終えた後に

齋藤さんのランドセルから出てきたのはブロッコリーではなくお菓子の空き箱だった。


「……これは?」


いい反応をしたいところだが流石に動揺が態度に出てしまう。


「マロン用のお楽しみグッズ!昨日帰ってから作ってみたの。明日から三連休でしょ?多分マロンも退屈だろうから、マロンが喜びそうな物作ってきたんだよ。」


どうやら昨日「持ってくる」と言っていたのはブロッコリーではなく「マロンを喜ばせるもの」だったようだ。


ブロッコリーは?だなんて野暮なことは言わない。いいんだ、これで。


「…なるほど?どういう遊び道具?」


「遊び道具じゃないよ!二つ目のお家!

ほら、今のマロンのお家ってちょっと大きめっていうか、高さがあるでしょ?

だからマロンは気に入らなくて滑車の下に行っちゃうんだと思うんだよね。

だからこのお家も置いて好きな時に好きな方を使ってもらおうと思って。

二つのお家を行き来できるだけでもきっと楽しいと思うの!」


そう言いつつ齋藤さんはキラキラのシールでデコレーションされた平たいお菓子箱をいそいそとケージの中の豆腐のような形状の小屋の上に配置する。

どうやら二階建てのイメージらしい。はしごや階段はないがマロンは普段から小屋の上に登ることがあるため行き来は可能だろう。


「…いろいろ張ってあるね」


「かわいいでしょ?お気に入りのシールいろいろ張ったんだよ。〇〇ちゃんも可愛いって褒めてくれたの。」

あろうことか、それのデコレーションされたお菓子箱は既にクラスの女の子にお披露目済みらしい。


授業に関係ない物の持ち込みに後ろ向きであった昨日の齋藤さんとは思えない行動力だ。


もしかしたら僕が齋藤さんを悪の道に引っ張ってしまったのではと、心に何かがチクリと刺さる感覚がした。



「…入らないね」

と怪訝そうな表情を浮かべた齋藤さんは、ケージの隅で硬直しているマロンを見ながら不満を漏らす。


まあ、自分の寝床の上を巨大な物体が占拠したのだから警戒するのも無理もない。

しかし、入るのを待っていたら日が暮れるかもしれない。


「多分警戒してるんだよ。様子を見ようか」

と僕は放置の流れに持っていく。


来週には気に入っててくれるといいんだけど…、そんな心配をしつつ僕と齋藤さんは身支度を済ませて学校を出るのだった。




「…でもなんでブロッコリーは持ってこなかったの?」


しまった、言わないようにしていたのに。


帰り道に齋藤さんに声のかけるのにも慣れてしまったからか、声かけ一発目でやらかしてしまう。緊張感がなくなるとこういうミスをしてしまうのだからいただけない。


「それがさー、家になかったんだよね。


買いにいこっかなーとも思ったんだけどさ?三連休中にママとお買い物に行く予定もあるし、その時でいいかなって」


いつものトーンで齋藤さんからの返答が返ってくる。


気を悪くさせるのではという僕の心配は杞憂に終わった。


「でも火曜日はちゃんと持ってくるよ、茹でたやつ!硬いのも好きかもだけど、前私が飼ってた子みたいに偏食かもしれないしね。マロンは柔らかい物好きと見たね!私は!」


よほどに好みの予想に自信があるのだろう。齋藤さんはいつも以上の元気いっぱいな声で「授業に関係ない物」の持ち込み宣言をする。


放課後には冷めるんじゃ…なんて言わないさ、冷めても柔らかさは健在なはずだ。


そんな他愛もない話をしているとお別れの場所に到着する。日に日に帰宅にかかる時間が短くなってる気がする。

足の長さが伸びて歩幅が広がったからだろうか?話し足りない気持ちは来週にお預けした僕は齋藤さんと別れ、先ほどの会話を思い出す。


…偏食かもしれない、か…

念の為、生のブロッコリーは僕が持っていくか、逆かもしれないしな

そう決意した僕は帰宅後、冷蔵庫の野菜室を漁るのだった。





三連休というものは始まる時は幸せだが、終わる時はとても憂鬱になるのは僕だけだろうか。

特別な日が終わるのだからそれはそうだろう。

いや待てよ?次の週が四日で終わるのだからそこまで不幸じゃないんじゃないか?

そんなくだらないことを考えながら、あっという間に終わってしまった三連休を悔やみつつ足早に学校へ向かう。


背中のランドセルの中では僕が歩くたび、ガサッガサッと若干不愉快な音が響く。

生のブロッコリーの欠片が少々入ったビニール袋がランドセルの中で暴れているのがわかる。

放課後に齋藤さんの持ってくるブロッコリーがマロンの口に合わなかった時用の備えだ。

しかし、満を持して出した生のブロッコリーも食べなかったら目も当てられない。

僕はいつもより早めに登校し、マロンに一欠片与えて食いつきを確認することにした。



「おっ!佐藤じゃん。え、お前今日早くね?」


校舎の前についた時、そんなハツラツとした声をかけてきたのは同じクラスの男子である澤田だ。

クラスのムードメーカーとでも言える、悪い奴ではないが少々我が強い奴だ。

…面倒なやつに出会ったものだ。そういえば澤田はいつも僕より早く登校してたっけか。

こんなに早くから来てるんだな。


…ちょっとまずいか?

ブロッコリー試食現場などを彼に見られたら面白がって放課後に彼も参加しかねない。

そうなっては、実に面白くないことになる。

僕は澤田を適当に受け流し、学校へと急いだ。



教室に到着するなり僕はクラスの隅のケージの横にランドセルを置き、いそいそとブロッコリーを取り出そうとし、…そして手が止まる。

金曜日に配置したお菓子箱がない。

いや、あった、お菓子箱は元々あった一階にあたる小屋の右隣にあった。…縦にだ。


そのお菓子箱は垂直立ちしている。


マロンが気に入らなくてハウスから落としたのか…?と勘ぐりながらケージを上から覗き込むと垂直立ちしたお菓子箱の奥底には、

暗くてよく見えないが灰色の縞模様がチラッと見えた。


「…マロン?お前そこにいるのか?」


そう声をかけながらお菓子箱を揺すってみるが中で動く様子は見られない。

なら一階の小屋の中か…、そう安堵した。いや、安堵しようとしていた。

気がつくと僕はお菓子箱の中に指を突っ込んでいた。…無視できなかったんだ、箱を揺すったときの重量感が。

そして指先にフワッとした毛の感触を感じた僕は…、戦慄した。


マロンは垂直立ちしたお菓子箱の中で息を引き取っていた。



…まずい


…まずい


この状況は本当にまずい


僕は慌てて回収作業にあたる。


澤田がくる、それまでに、それまでに…


必死だった。


お菓子箱からマロンの亡骸を取り出しケージの隅に配置する。硬直した姿勢のまま転がってしまうマロンの姿を見て

息が止まりそうになるが、今は感情的になっている場合ではない。


お菓子箱を回収してランドセルにねじこんだ直後、


「はー!?朝から世話してんの?さては餌の補充忘れたか?」


ケラケラと笑いながら軽口を叩く澤田が扉を元気よく開けて入ってきた。

…見られたか?いや大丈夫、大丈夫なはずだ。


「ああ、ちょっとね…」


僕は言いかけて、言葉が詰まる。

ちょっと、なんだ?下手なことを言うな

マロンの死はすぐに明らかになる。


「…ちょっとね…、マロンが今までにないような変なところで寝てるからどうしたのかなーって」


澤田と一緒に死を目撃したことにしよう。

ブツは回収した、謎の死ということになるが今できる最善の選択だろう。


「ふーん?どれどれ…」


何か引っ掛かる様子の澤田は、なんの躊躇もなくケージに手を入れマロンを掴む。


ばかっやめろ…、こいつは生きた動物にも平気でそういうことをするのか?

澤田の神経を疑いつつも、少し安堵してしまう。掴めば一発でわかる、そいつはもう…


「うわっ!死んでんじゃん!なんでこんなところで死んでんの!?」


よし、とりあえずは難を逃れたか。


「…え?うそ、マジで言ってる…?」


まだ確信を得てない人間が澤田の叫びを聞いたら、せいぜいこんなもんだろうと思われる適度なリアクションを返す。

しかし澤田はそう単純じゃなかった。


「…これ、お前がやったろ?」


小さな声で澤田はぼそりとつぶやいた。

それは確信した、と言うより確認したいだけのようにみえた。

…何かを勘づかれたか?いや、問題ないはずだ。落ち着け…、妥当なリアクションで返すんだ。


「は!?なわけないだろ!俺が今?どうやって!」


「それはわからん、だけどなんか佐藤、お前焦りすぎだ」


「そりゃ焦るだろ!死んでるって言われて!殺したことにされて!」


「その前からだ、俺が入ってきた時からお前はやたらに焦ってた。わざわざ扉も閉めてたし、お前なんか隠してんだろ」


あぁ、もう、こういうやつなんだ。

その方向に持って行ってお前になんの利益がある?もう勘弁してくれ…。

そんな祈りも届かず、澤田の追求が続く。


「…あ、そうか、佐藤お前、先週餌やり忘れたな?こいつが死んでんの見て、餌のやり忘れがバレないようにって今、水と餌を補充したんだろ」


「いや!そうじゃない!これは…!」


喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

これは…なに?言うつもりか?


『齋藤さんの置いたお菓子箱からマロンは出られなくなって餓死したんだ』とでも…?

偽装工作という罪まで背負わされそうになり、焦って本当のことを言いそうになる。

そりゃあ、偽装工作したけども。澤田のいうような私利私欲のためじゃない、僕はただ…

…待て、本当のことってなんだ。それじゃあ齋藤さん一人が悪いみたいじゃないか。このリスクに気づけなかった僕の罪でもある。

…もうだめだ、だいぶ苦しい。

いっそお菓子箱を僕が配置したことにして本当のことを言うか?

だめだ、齋藤さんはデコレーションしたハムスター用のお菓子箱をクラスの女の子にお披露目済みだ。いずれ繋がってしまう。


ふと最悪の可能性を脳裏に浮かび、ケージ横の今では機能していない飼育カレンダーを見る。

…よかった、先週の金曜日の飼育担当は[佐藤]だ。帰りの会の後、皆教室には残らずそそくさと帰ってしまう人ばかりのクラスだ、

毎日二人でやってるなんて大抵の人は知らない。マロンの死の原因に齋藤さんが結びつく可能性はもうなくなっただろう。


…とても、とっても不本意な罪だけど、


…もう、これでいいんじゃないか?



そんな諦めの中、僕の思考時間が長かったからか澤田は確信してしまったようだ。


「…やっぱりそうなんだな。よく見りゃ餌も水も全然減ってねえじゃん。今足したからだろ?

見苦しいんだよ、お前はやることが。

…終わったなお前」


澤田はそう吐き捨てると教室を出て行った。



そりゃあ、…減るわけないじゃんか。

三日で力尽きたなら金曜日あたりからもう出られなくなったんだろう。

困ったな。澤田は、そう、澤田ならこの後…

と、考えるまもなく答え合わせが強行された。

一人、また一人と教室に入ってくるクラスメイトが僕に罵倒を浴びせてくる。

おそらく澤田は教室の手前に待機し、登校してくるクラスメイトに真実を聞かせているようだ。

罵倒の内容から察するに、その真実ってやつは


「佐藤が金曜日に飼育をサボったせいでマロンは餓死し、

しかも自分の罪を隠蔽しようと火曜日の朝にマロンの死体を横目に餌の補充をしたクズ男」といったところか。


五、六人から攻め立てられる中、澤田が帰ってきた。とても険しい表情の担任の先生を連れて…。

どうやら澤田は教室の前で演説していたわけではなく、先生を呼びに行く最中にすれ違うクラスメイト一人ずつに説明していったようだ。

なんとも仕事ができる男じゃないか、是非とも彼には将来大成してほしいものだ。

意気消沈していると、気がついたら時にはクラスメイト全員が登校完了し大騒ぎになっていた。


…齋藤さんは?だめだ、見当たらない。

いや、いる、あの女の子達がエンジンを組むように囲っている中心にいるのが齋藤さんか。

齋藤さんは膝を床について顔を覆っていた。

周りの女の子たちは齋藤さんを慰め、元気づけている。

そのうち何人かは親の仇でも見るかのような殺気だった目で僕を睨みつけている。

それもそうか、僕は齋藤さんのかわいがっていたハムスターを殺し、あまつさえ我が身可愛さの保身から偽装工作までやってのけたクズだ。



もういいよ


もうそれでいいからさ


いいから


早く



早くこの悪夢が終わってくれ



そう、思うことしかできなかった。




ふと我に帰ると僕は職員室にいた。

目の前にいる先生は眉間を押さえながら


「なんでお世話せずに帰ったの?」と、小言のようなことを言っている。


先生の机の上にはマロンのケージと…、亡骸もある。

どうやら先生の手でケージは回収され、僕は連行されたようだ。

教室は今どうなっているだろうか?齋藤さんはまだ泣いているだろうか?

そっちにばかり意識が持っていかれて先生のお小言があまり頭に入ってこない。

どうやら先生は言いたいことはつまりはこういうことらしい、失敗は誰にでもあると、

でもそれを誤魔化そうとするのはいけないと、そして今日中に反省文をで提出しろとのことだ。

言ってることはもっともだが、澤田の発言一つを鵜呑みにしている点が妙に引っかかる。子供ならともかく大人がそれでいいのか?

まあ、僕が容疑を積極的に否認しないならその判断も仕方ないか。



先生と一緒に教室に戻った時のみんなの視線が痛かった。

「ちゃんと反省したか!?」という声が教室に響く。

澤田だ、とてもにこやかは彼の表情は

もう過ぎたことだ

と僕に言っているようだった。

彼は今回の件にもう満足したらしい。

とりあえずそっちはよかった、これ以上の災害にはならなそうだ。

問題は…

僕は周りに悟られぬよう齋藤さんの様子を伺う。

齋藤さんは…机で突っ伏したまま小刻みに肩が跳ねていた。


齋藤さんは知っているはずだ。


金曜日に一緒に世話をしたんだ。


澤田の触れ込みが誤りだってことは知っている。


じゃあこの謎の死をどう思ってる?


…わからない


わからないけど


お菓子箱が絡んでいることは隠し通せたと信じたい。彼女が『自分が殺した』とわずかにでもそう感じないことを願うばかりだった。



授業中に僕はこっそり反省文を書きながら気持ちを整理させる。

なぜあんなことになったのか、冷静に考えるだけの心の余裕ができてきた。

あのお菓子箱は小屋と滑車の隙間に、箱がすっぽりとはまり込んでいた。

…多分だけど、中に入ったマロンの重みで箱の右端から一気に落ちたのだろう。


ああ…、なんでこの可能性に気づかなかったんだ。

マロン、お前はどんな気持ちで…。


どれだけ考え事をしていたのだろうか、気がつくと一日の授業は終わってしまった。

こんなにも授業が頭に入らない日があっただろうか。

適当に書き上げた反省文を先生に提出してそそくさと教室を出る。

反省文をパッと見た先生は文字数が少ないだの、もっと書くことがあるだろうだのブツクサ文句を言っていたが知ったことではない。

言えるわけないんだ、本当の反省なんて。でっちあげの反省文の精度をこれ以上向上させられるほど僕は器用じゃないんだ。

そもそも多かれ少なかれ、それをひっくるめて僕の反省の形だろう。

テコ入れしないでくれよ、僕の反省ってやつをさ。


それよりもさっき教室を出て行ってしまった齋藤さんを見失わないようにする方がよっぽど大事だった。



いつもの帰り道、僕は齋藤さんの10mほど後ろを歩いてる。

どうしていつもこれだけの途方もない距離を簡単に詰め話しかけられたのだろうか、一週間前の自分が信じられないほどに今日の僕は足が前に出なかった。

しかし、前に出ない足とは裏腹にいつもはネタ探しに苦労するトークネタが今日は溢れて止まらない。


僕は齋藤さんに聞きたいことが山ほどある。


齋藤さん、君は


マロンの謎の死をどう思ってるんだ?

お菓子箱がなくなってることには気づいた?

僕があのお菓子箱を今持ってるって言ったら、君は欲しいか?

今日は茹でたブロッコリー持ってきた?

そのランドセルの中にはまだ入っている?


…でも、もう何も聞けない。

齋藤さんと僕が話せば必ずマロンの死に、なぜ死んだかに話が行き着いてしまう。

そうなったらお菓子箱の中で死んでいたことも誤魔化しきれなくなってしまうかも知れない。


齋藤さんが「自分がマロンを殺した」と感じてしまう未来につながる可能性を全て潰したい僕は、もう齋藤さんに話しかけることができなくなっていた。


もうすぐお別れの分岐点、そんな道で齋藤さんは後ろを振り返り僕と目が合った。

何か声を出そうとしたのだろうか、

齋藤さんの口がわずかに開いた気がしたが…、気のせいだろう

その直後には齋藤さんはまた前を向き、歩みを進め分岐点を通過してしまう。


…せめて、せめて齋藤さんにだけでも真実をわかってもらえたら、僕の心はどんなに楽になるだろうかと思ってしまう。

でもそれは齋藤さんの心にとてつもない重しを与えることになる。だめだ。それだけはだめなんだ。


齋藤さん…


頼むから、頼むから一つだけ教えて欲しい…


どうして君は、



…僕に何も聞こうとしないんだ?



僕はその後も、

前を歩くランドセルの色だけを毎日見送ることしかできなかった。






「……結局マロンってブロッコリーを好きになってたのかな」


もう何度目だろうか、ブロッコリーを茹でるたびに十年前のあの日のことを思いだす。

あの頃の一週間には、俺の人生の心残りの半数が集約されている。

いつか齋藤さんが欲しがるかもしれないと、とっておいた潰れたお菓子箱はいつのまにかどこかへ行ってしまった。

まあ、渡さなくて正解だったかもしれない。

大概の人にとってはもう見たくもないものだろうし。

そんな昔の思い出を何度も何度も思い出してしまう。この先もブロッコリーを茹でるたびに思い出すのだろう。


…あの事件の日以来、小学校を卒業するまでの間、下校中に前を歩く齋藤さんのランドセルを変わらぬ距離で見続けることしかできなかったという後悔の思い出を。

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夢想 冬鹿 @fuyuzika

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