忍法異界転生

カタリ

第1話 天草四郎転生す

寛永十五年(西暦千六百三十八年)二月二十八日、肥前国島原ひぜんのくにしまばら


背後に雄大なる活火山・雲仙岳を背負い、正面は美しい有明の海に臨む、本来なら実に風光明媚な土地である。何処までも広がる青い空を背景に、雲仙の火口より立ち上る白煙。或いは太陽を浴びて輝く有明海の青と、その上に沸き立つ真っ白な雲。白青二色の美しい光景はしかしこの日、真逆の色に染め上げられていた。黒煙と、紅蓮の炎によって。

そしてその炎の中で、かつて義憤に燃え立ち上がった数万の人々の生命が潰えようとしていたのだった。



遡ること一年前、寛永十四年。ここ島原で上がった百姓一揆の火の手は、時同じくして肥後国天草で起こった一揆と合流し、瞬く間に有明海を炎の色に染め上げた。彼等が一揆を起こした理由は、苛政かせいと宗教弾圧。九公一民とさえ言われた年貢に加え、切支丹(キリスト教徒)に対する拷問や処刑に対し、島原と天草の民は遂に激発。島原藩主・松倉勝家まつくらかついえと、飛び地として天草を領有していた唐津藩主・寺沢堅高てらざわかたたかに反旗を翻した。


一揆勢は現地の切支丹達の間で神童と呼ばれていた少年・天草四郎時貞あまくさしろうときさだを旗頭に戴き、三万とも四万とも謂われる大軍勢となって島原の廃城・原城に立て籠もった。切支丹大名であった有馬ありま・小西の旧臣らも乱に合流し、一時は板倉勝重いたくらかつしげ率いる九州諸藩連合軍を敗走せしめるなど、その士気の高さを見せつける。


事態を重く見た幕府は、時の老中・松平伊豆守信綱まつだいらいずのかみのぶつなを総大将として派遣。信綱が纏め上げた兵は総勢十二万を超え、圧倒的優勢のまま原城を包囲するに至った。元より、後背地を持たず援軍の当てのない籠城は兵法上の下策。水をも漏らさぬ布陣により兵糧を絶たれた一揆衆の命運は、正に風前の灯火だった。


そして、運命のこの日。餓えに苦しむ一揆衆に対し、幕府軍は遂にその全力を以て襲い掛かったのであった。




「――――ッ!!――――――ッ!!」


誰のものとも知れぬ、言葉にならぬ悲鳴。敵とも味方ともつかぬ、ときの声。遠方より響く大砲の轟きと、間近で飛び交う鉄砲の発射音。それらがない交ぜとなった音が響き渡る城内を、一人の武者が駆けていた。具足をまとい、背にくくりつけた旗指し物には九曜の紋。兜は被らず険しい面立ちを晒したまま、敵味方が入り乱れる本丸を奥に向かって駆けてゆく。


その疾駆を阻むように、左右から一揆衆が襲い掛かって来る。具足などは無く、骨と皮ばかりのやせ細った体に農作業着を引っ掛け、鎌や鍬を手にする男達。伸び切った蓬髪ほうはつを振り乱し、こけた頬に目だけは血走り爛々とした様は、まさしく幽鬼のようだ。


しかし武者はそれらを一顧だにせず、手にした太刀で斬りつけ、あるいは押しのけ、足を止めずに突き進む。やがて本丸の最奥、荒れ果てた廃城にここだけは新しく建てられたと思しき大きな平屋づくりの家屋へ辿り着くと、戸を蹴り開けて躍り込んだ。


そこは一言で言えば、本堂だった。高い屋根を支える柱を除いて壁など無く、広い板張りの床が一面に広がっている。寺院の本堂を武者が連想したのは、広間の奥に台座がありそこに本尊が鎮座していたからだ。しかしそれは尋常の仏像でなく、見る者の目を疑わせるような奇怪さに満ちていた。しかも、それが二つある。


片方の像は、遠目には菩薩像のようにも見える。しかしその吊り上がった目、裂けたかのように大きく開かれた口、伸びた舌は決して仏の面相ではない。両手に髑髏どくろと蛮刀を携え、乳房を露わにし狐の如き獣に跨るその姿は、紛れもない鬼女の像であった。


もう片方はと言えば、こちらは更に異様である。隣に並ぶ鬼女の像と同じく乳房を晒した姿だが、その首から上は黒い山羊のものであった。腰から下も山羊や牛の如き蹄を生やしたものであり、奇怪な印を結ぶ手指が乙女と見紛みまが繊手せんしゅであることが、かえって怖気おぞけふるう有り様である。


真っ当な仏道には有り得ぬ、間違いなく邪教の祭壇であろう。


光の差さぬ本堂で武者がこれだけのことを見て取れたのは、床一面に並べられた蝋燭ろうそくのお陰である。そして何十本とあるそれに下から照らされ、本堂の闇に浮かび上がる人影が二つ。


一つは本尊のすぐ前、蝋燭に埋もれるようにしてうずくまる老人である。背は小さく、伸び切った総髪そうはつはすべて白髪となっているが、落ちくぼんだまなこ炯々けいけいとした光を放って武者をめつけている。


もう一つは、こちらも蝋燭に囲まれ本堂の中央にたたずんでいた。武者が闖入してきた音に振り返ったのだろう、白いおもてに黒真珠の如く輝く切れ長の双眸そうぼうが流し目で武者を射抜く。その眼差しに、恐れを知らぬ武者もたまらずぞくりと背を震わせた。


(……魔性!)


それはまさに、魔性のなせる美貌であった。白皙はくせき細面ほそおもては当世一代の絵師がその流麗な筆で一息に描き上げたかのような美しさで、そのくちびるあかさが鮮烈に目に飛び込んでくる。若衆髷わかしゅまげを高く結い上げ、両耳の前から一房ずつ胸元まで垂らした髪はぬばたまの黒。その細身の長身を包むのは、襦袢じゅばんのような和装でありながら天鵞絨びろうどの如き光沢で輝き、首周りには南蛮なんばん伴天連バテレン(キリスト教宣教師)を思わせる襞襟ひだえりおおわれている。


明らかに男性でありながら、危ういまでの美しさを異装に包んだ佳人。尋常じんじょうの者であるはずが無かった。


武者は先程感じた震えを懸命に飲み下すと、その手の太刀を構え直す。蝋燭を蹴倒さぬよう、慎重に歩を進めながら佳人に向けて声を掛けた。


それがしは肥後細川家家臣、陣佐左衛門と申す。一揆勢の首魁しゅかい、天草四郎時貞殿とお見受けする。その首もらい受ける!」


左衛門の名乗りを受け、天草四郎と呼ばれた佳人はゆっくりと彼に向き直った。そして、っ、と大笑すると、その美女と見紛うような美貌に不似合いな荒々しい言葉を返す。


「肥後んさむらいが、こん首ば取りに来たか!かぞ、見事討ち果たして末代までのほまれにせい!!」


そして四郎はこちらも太刀を抜き放ち、左衛門へ向け駆け寄ってくる。左衛門も大きく踏み出し、振り上げた太刀を袈裟懸けさがけに振り下ろした。

――ざん


異様な手応えに、左衛門は目をみはった。彼が渾身こんしんの斬撃を放った刹那、四郎は何かに足を取られたかのように大きくまろび、前のめりにその身を泳がせていた。四郎の左肩口から入って右胴へ抜けるはずだった袈裟斬りは、一揆の総大将のうなじを捉え、その首を斬り飛ばす。


左衛門が震えたのは、その手に伝わった感触ゆえである。まるで豆腐に包丁を立てるかのように、するりと滑らかに首を切り落としたのだ。かつて味わった事のない手応えに怪しみつつ、左衛門はもう一人の老人に残心ざんしんを見せながら、床に伏した四郎のしかばねに目をやる。


(……血が出ておらぬ?)


斬首にはおびただしい流血が付き物である。此度こたびの合戦で、左衛門は幾度いくどもそのさまを目にしている。心の臓から頭まで血を押し上げる首の太い血管は、破れれば天井に達するほどの勢いで血を撒き散らす。しかし四郎の死体は胴の側からも、飛んで落ちた首からも血が流れていない。いやそもそも、その断面が……。


「ひいっ!」


左衛門は武者にあるまじき、肺腑はいふから空気を絞り出すような悲鳴を上げた。何故ならば彼が見つめていた絶命したはずの四郎の屍が、手をつき膝を曲げゆっくりと起き上がったからだ。息をすることも出来ず、笑いそうになる膝で懸命に立ちながら左衛門が見守る中、立ち上がった四郎の胴体はそろそろと歩き出す。やがてそれは床に転がる自分の首に手を伸ばし、小脇に抱えて左衛門に向き直った。


――にぃっ。


笑った。胴体に抱えられた、左衛門がその手で斬り落としたはずの首が。もはや左衛門は両の足で立つことが出来ず、腰が抜けたようにその場へ座り込む。天草四郎であったものは彼に背を向けると、異形の本尊に向かって歩き出した。


宗意そうい。先に行くぞ」


「次は魔界で相見あいまみえましょうぞ、四郎様」


体と繋がっていない四郎の首が声を発すると、本尊の前に座る老人がそれに答える。気がつけばこの本堂は、左衛門と四郎の剣戟けんげきによって転がった蝋燭の火が燃え移り、一面の火の海と化しつつあった。その火が四郎の装束に飛び火すると、またたく間に総身に火が回る。そして四郎の体はあめが溶けるが如く、みるみるうちに形を無くして消え去ってしまった。



「な…な…何事なんごつか……」


腰が抜けて座り込んだまま、息も絶え絶えに左衛門が声を漏らす。それに対するいらえが、炎の海の向こうから聞こえて来た。


「四郎様はな、魔人に転生てんしょうされたのよ」


「ま、魔人じゃと……」


全身を火に包まれていながらも、動ぜずに座すままの老人が声を上げる。宗意と呼ばれていたことからも、この老人こそが一揆の軍師と目される森宗意軒もりそういけんであろう。


「我が不知火しらぬい流忍術に荼枳尼天だにきてんの呪法、そして伴天連の邪法までも加えた一世一代の秘術、忍法・魔人転生。四郎様は仏道より見放された魔界にち、魔性の者となってこの世によみがえる。公儀こうぎに、徳川に、武士の世に仇成あだなすためにな」


最早もはやその姿は半ばとろけかかっているにも関わらず、宗意軒の声は明瞭に左衛門の耳に届く。


「帰って伊豆(松平信綱)に伝えい。百姓と切支丹、有馬や小西、本渡ほんど栖本すもと国衆くにしゅう達。貴様らにしいたげられた者共の恨み、必ずや四郎様と儂が思い知らせてくれるとな」


その声を最後に、老人の姿は完全に炎の中に消え去った。左衛門は呆然とそれを見終わった後でようやく我に返り、這うようにして本堂から逃げ出したのだった。




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地面に背中から落ちた衝撃で、僕は意識を取り戻した。


「あっ……いたたた……」


下は牧草が生えているとはいえ、羊を囲うための柵の上から落ちたんだからそりゃあ痛い。苦痛を我慢して起き上がると、腰を伸ばして自分が生まれ育った農場を見渡す。その瞬間、当たり前に馴染んだはずの景色が何だかとても不思議な風景のように思えて来た。得も言われぬ違和感に、慌てて今何をしていたかを思い出そうとする。


「えーと、ここは迷宮都市アモルファスの郊外にある僕の家の農場。羊の番をしていた僕は、囲いの柵の上を歩いて遊んでいて、それで足を滑らせて……」


言葉にすると、色々なことが鮮明になっていく。


「一揆衆を率いて反乱を起こして、落城の最中さなかに最後の秘術で魔界に転生しようとして……えぇ~~っ!!」


そうだ、思い出した。思い出してしまった。


僕は、いや俺は、肥後国天草の住人にして島原と天草で決起した一揆の首領、益田時貞ますだときさだ。人呼んで、天草四郎であったことを。

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忍法異界転生 カタリ @katari4413

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