DAY BREAK-デイブレイク-

月炎

第1話 沈む町

 この山に入ってから、ずっと肌に付き纏っている殺気があった。

 それは隣に並び立つ男から度々向けられるそれよりも、ずっと陰湿で薄暗い。

 ひとつ判断を誤れば吞み込まれ殺される。ちょうど空を覆う雨雲のように重く垂れ込めたものだった。


「おい、じいさん! これでいいかよ!」


 夜が明けるのを待つ空の髪色をした男が、声を張り上げた。少しだけ苛立ちが含まれる大声が曇天の下、切り株ばかりが並ぶ開けた場所で響く。

 その中に置かれていた小屋から、小岩のような老人がのったりと現れた。


「うむ。まあ及第点だな」


 切り倒された木々を見ながら、老人は無造作に伸びた白い顎髭を撫で付けている。

 その腕は老人にしては鍛え上げられており、浅黒い肌には血管が浮かび上がっている。


「人にやらせといて上から目線だな」


 ったく、と悪態をつきながら男は筋肉質の体躯には似合わない色白の手に持っていた斧を乱暴に切り株へ振り下ろした。


「なんじゃあ! 文句あるんか! 貴様らのせいじゃろうて!」


 老人が唾を飛ばすほどがなり立てるのを、ギアークは指で耳栓しながら「へーへー」と受け流す。


「ん」


 そこへ大木を担いだ褐色肌の巨漢がのそのそと戻ってくる。

 下手をすればそこらの木々よりもでかいのではと錯覚しそうなほどの体格には、身体をさらにひとまわり大きく見せるだけの筋肉がついている。

 それでもさすがに枝先に葉が生い茂ったままの木は重いのか、積み重なっている木の山に下ろすと巨漢の男はふうと一息ついた。

 なぜか晒されている上半身の筋肉の山に出来た溝を汗が伝い落ちる。


「おー。おぬしはよう働いてくれるのう。この文句垂れとるばかりのガキとは大違いじゃ」

「ガキじゃねぇわ」


 ガーネットのような赤い瞳が鋭い眼光で睨みつけるも老人はただ鼻で笑って受け流す。


「さて。お前さんらはよう働いてくれたからの。飯にしよう。小屋の中で用意しとるんじゃ」


 そう言いながら老人は丸太を積み上げただけの簡素な小屋へ戻っていく。

 男の赤い瞳と、隣までやってきた巨漢の金色の瞳が交差して数秒。二人はゆっくりとした足取りで老人の後を追い掛けた。

 草土を踏む足音が小屋へ消えてすぐ。ぽつりと空から雫が落ちる。

 それはぱたぱたと地面を濡らし、次第に一寸の先も見えないほどの滝となって大雨が降り注いだ。


 小屋の中では暖炉に火がともされ、雨の中でも室内は暖かい室温を保っていた。

 時折弾ける薪の音を背景に、三人は暖炉の前へそれぞれ丸太椅子に腰掛ける。


「そういやお前さんらの名前を聞いとらんかったの」


 鍋の中で煮込まれる木の実飯を茶碗によそりながら、老人はなんてことのないよう訪ねてきた。


「知ったって意味ねぇだろ。どうせすぐ」

「ンダ」


 褐色の男が割り込むように名前を告げた。間髪入れずに隣に座っていた男の足がでるも、蹴られている男は意に介した様子も見せない。


「ほお。でかい小僧は素直でいいのう」


 朗らかに笑う老人が、赤い目を吊り上げている男を見やる。

 視線を感じ取った男は、瞬きひとつしてから「……ギアーク」と名乗った。


「俺たちに名乗らせたんだ。あんたも名乗るのが筋だろ」


 老人から手渡される茶碗を受け取りながら、燃え盛るような赤い瞳が老人をまっすぐに射抜く。

 うっすらと白濁としている老人の目が、やんわりと弧を描いた。


「知ったところで意味ないじゃろう」


 ギアークの口端がひくりと震える。だがそれも一瞬。数秒の沈黙の後、何かに納得したように「それもそうだな」とギアークは引き下がった。


「つーか、じいさんはこんな山ン中でなにしてんだよ」


 代わりにそう尋ねながら、手渡された茶碗を遊ばせる。

 漆の塗られた茶碗はあまりにこの場に不釣り合いだった。


「毒など入っとらんから安心せえ」


 見抜くような視線と、見透かす挑発的な笑いにギアークの視線が茶碗に戻る。


「隣の坊主はすでに食っとるぞ」

「あ! おめーはンとにさっきから無警戒に!」

「早く食べないと冷める」

「うはは! そうじゃぞ。温かいもんは温かいうちに食うのが美味いからな」


 呆れで比重の重くなった息を吐き出して、ギアークも木製スプーンを持ち直す。

 視線が横に向く。隣で平然と食べ続けているンダを数秒眺める。

 黒髪が炎に照らされ、焦げ茶色に透き通り揺れているのを観察しながら、スプーンが思案するように宙でゆらゆらと揺れ「いや」と声を上げた。


「やっぱり俺はいらねぇわ」

「ふん。警戒心の強いガキじゃの」

「だからガキじゃねぇっつの」

「何を言うか。儂から見れば貴様らなど若造よ。ガキとほぼ一緒じゃ」

「話の通じねーじじいだな」


 漆塗の茶碗を足元に起きながら、んで?とギアークは話を戻した。


「山下の町じゃなくて、こんな山の中で木ばっか切り倒してなにしてんだよ」

「なにもこうも、木を切り倒しとるんじゃ」

「ジジイ。ボケてんのか」

「生意気な小僧じゃな」


 ぱき、と薪が内側から割れる。

 外からはまだ激しい雨音が響いている。



「じいさん。あんた、この国のもんじゃないだろ」



 暖炉の炎は燃え盛っている。衰退を知らずに。それにも関わらず、部屋の温度が急激に下がったような気がした。


 無音。


 聞こえていた物音が押しつぶされるほどの圧。

 重圧の中で、ギアークは老人を見据えている。ンダはそれを横目で見ている。



「なるほど。お前さんらにはお前さんらの事情があるようだ」


 老人の、先ほどまでと全く変わらない声色が重圧を取り払った。無音だった室内が音を取り戻し、再び雨音が小屋を包み込む。


「だがお前さんらの思うような面白い答えなどなにもないぞ」


 老人が立ち上がると、ひとつの手斧を手に取った。年季の入っている斧は持ち手が黒ずみ、老人の節くれだった手にぴったりとおさまっている。


「もう何十年になるかの。儂はただ、国に置いてきた女房と娘が……生涯困らんほどの金を貰えるという国の報酬に釣られ言われた通り木を切り続けておるだけの木こりじゃ」


 理由など知らんと言い切る老人の傍らの棚には、妙齢の女と無邪気な幼女が並び立つ写真が立てかけられている。

 そこに刻まれた名前を示す文字は共通語ではなく、またこの国の文字でもなかった。


「国の報酬……ねェ。ほんとうにお国様はあんたの家族に報酬をくれんのかね」


 皮肉を含んだ笑いを受けながら、老人は懐かしさに目を細め飾られた写真をそっと撫でる。

 妙齢の女性を撫で、そうして弾けるような笑顔を浮かべる幼女の頭を太い指がなぞる。


「くれるとも。儂はこの仕事に命を懸けとるからの」


 疑いのない声音の返答を、ギアークは鼻で笑う。そのまま言葉を続けようとして口を開きかけ。


「……まあ、なんでもいいわ。俺らには関係ねぇよ」


 嘲笑を消して、興味が失せたよう会話を区切らせた。


「そのようじゃな」


 老人も手斧をもとに戻し、話はそれで終わりをみせた。


 ンダと老人が飯を食い終える頃には雨は一時的な休憩を見せていて、ンダとギアークは荷物を持って小屋の外にいた。


「もう少し手伝っていかんか?」

「あほ抜かせじじい。あんたの小屋だって知らず勝手に使った水と食料分は働いただろうが」

「儂を驚かせ、腰を痛めさせた分が」

「それはコイツが働いて返しただろうがよ」


 そう言ってギアークはンダを指さした。

 ンダは無表情のまま、向けられた指に手を伸ばした。そのまま握り潰そうとしてくるのをギアークが蹴って牽制する。


「これ以上は釣り合わねぇ」

「それもそうじゃな。は~~良い助手だったんじゃがのぉ」

「助手じゃなくてただこき使ってただけだろ……」


 じゃあ、とギアークとンダは老人を背にする。

 老人のさらにその後ろには切り株だけが並んでいた。ずっと、ずっと。果てしなく。

 遠くにぽつんと点のような家が見えた。

 切り開いては小屋を建て。切り開いては小屋を建て。そう繰り返して来た跡が遥か先まで続いている。


「山下の町に行くのなら、長居せず出発するんじゃぞ」


 背後から投げかけられた言葉にギアークは軽く手を上げた。

 歩くギアークを追うようにンダも続いていく。

 ギアークの手は剣に触れたまま。ンダの手もまた、腰に差した剣を掴んでいる。

 見送る老人の気配が遠のくまで、ギアークの目つきは鋭いままだった。





「あんたたち、あの山を抜けてきたのかい?」


 ふっくらと発酵したパンのような女店主の驚く言葉に、ギアークは「ああ」と頷きを返した。

 雨雲に空を覆われ薄暗い宿内の中、蝋燭の炎がぼんやりとずぶ濡れの二人を照らしている。


「なんにもなくてよかったねぇあんたたち」

「あの山になんかあんのか」


 女店主から渡されたごわごわとして決して質の良くないタオルで濡れた体を軽く拭いていると、ようやくンダもタオルを受け取って同じように体を拭き始めた。


「ここらじゃ有名な話だよ。あそこには危険な魔物がいるんだ」

「へぇ……。どんな?」

「なんでも、物凄い凶暴らしくてね。その魔物に遭遇したら最後、生きて帰れはしないんだとさ」


 あんたら運がよかったねぇと女店主は受付台に肘を置いたまましみじみと頷く。


「実際、あの山じゃ何人も行方不明者が出てるよ」

「この国の警備隊は何してんだ。討伐部隊とか出さねぇのか?」


 タオルで丁寧に髪の水気をふき取りながら、ギアークは夜明けの髪の隙間から赤い瞳を覗かせ女店主に視線を向ける。

 女店主から帰ってくるのは失意と諦観。期待することをやめ、現状適応と、現状維持に慣れ親しんだ一市民の顔で、女店主は首を横に振る。


「山に入らなきゃ被害はないんだ。そんな一魔物ごときに国が動いてくれるもんか」


 山に入れば被害がある。女店主はそう言い切りながらも、自分に言い聞かすよう言葉を口から滑り出す。

 使い終えたタオルを女店主に返しながらその言葉を聞くギアークは、表情に感情を滲ませずただ淡々と事実を確認する。


「町の奴らは。自警団くらいはいんだろ」

「自警団の連中は国からの要請で、もうずっと洞窟の前に突っ立ったまま……って、アンタ、血がでてるじゃないか。ほら、そこ」


 手渡されたタオルが女店主の落ちた視界を遮る。ギアークたちのお腹辺りをぼんやりと視界に入れていた女店主は落ちた気分を持ち上げるよう顔をあげ、薄明るい光に照らされた客人の顔を見て目を丸めた。

 返されたタオルをそのままに指摘した箇所へ近付ける女店主を、ギアークは手で制す。


「あんまり触れないほうがいいぜ。火傷するからな」


 ギアークのガーネットのような瞳の輝きが、炎のように揺らめく。

 いつの間にか出来ていた頬の傷から滲むわずかな血が、色鮮やかな炎のゆらめきへ。

 ぼっと音を立て蝋燭ほどの炎が傷口の先端から血の線を辿るよう燃やし尽くし、火が頬を舐めていく。終着点までゆらめいた火は点火した時よりも軽い音を立てて掻き消えた。

 後に残るのは、色白の頬も引かれた赤い線のみ。


「あんた、ずいぶんと便利な固有魔法を持ってるじゃないか」


 突如として生まれた炎に面をくらった女店主はタオルを差し出そうとした体勢のまま、はあ~と感嘆の息を吐き出す。

 羨望の視線をまんざらでもないような表情で受け止めながら、ギアークは知らぬまに出来ていた傷口を親指でなぞる。

 血は燃えて消えたが、光源が蝋燭しかない薄暗い空間でぼんやりと浮かび上がる肌には火傷ひとつない。同時に、傷は生々しいまま。


「俺の固有魔法がとくべつ便利なわけじゃねェよ。何事も使いようってこんだ」

「まあ、それはそうかもしれないねぇ」


 納得の様子を見せた女店主は、受付の下から木札をとって寄越す。


「部屋の番号はその木札に書いてあるから、使用中は扉にかけといてくれ。最後のときに木札は返却だからなくさないようにね」


 木札を受け取ったギアークが二階にあがろうと視線を階段へ向け。それから横目で斜め後ろに立つ巨体へ視線を向ける。手にはタオル。

 ブーツの底が褐色の足を蹴飛ばす。さきほどから一言も発さない置物のようなンダは、ただ鬱陶しげな瞳をギアークへ向けた。

 赤い視線がタオルを見つめてから、顎で女店主をくいっと示す。

 瞬き数回。呼吸が三回。のっそりとタオルが女店主へ返される。

 それを最後まで見届けることなく、ギアークは階段を上り始めた。数段遅れで後ろから足音がついてくる。


 階段を上り終えたギアークは木札に書かれた部屋番号を確認し、すぐに足を止めた。

 部屋は一番近い場所だった。部屋に書かれた番号と木札の番号の一致を確認するよう視線が往復し、廊下の先を、他の部屋扉を確認する。

 どの部屋にも木札はかけられていない。

 自分たちが言葉を発しなければ、二階はしん……と静まり返り、雨の音だけが反響する。

 ばたばたと廊下の先から迫ってくるような雨音に吞み込まれる前に、ギアークたちは部屋へと入った。

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