第3話:義妻のために鐘は鳴る
「……は?」
シルヴィアがポカンと口を開けた。
涙で濡れた顔が台無しだが、今の俺にはどうでもいい。
俺の視界には今、エレオノーラ・ローゼンバーグという女神しか映っていないのだから。
「ど、どういうこと? さっきまで『割に合わない』って……」
「訂正しよう。割に合う合わないの問題じゃない。これは義務だ。全人類の、いや、俺という個体の
俺は写真を指さし、高らかに宣言した。
声が裏返るほどの情熱を込めて。
「この人は、俺の『
工房の中に、俺の声が虚しく反響した。
シルヴィアは石化したように固まっている。
「ぎ、ぎさい? 偽の妻? 何を言って……」
「違う! 『義理の妻』と書いて『義妻』! 法的には他人の妻(未亡人含む)だが、魂のレベルで俺の妻である尊い存在のことだ! テストに出るぞここ!」
「出ないわよそんな狂った単語! あと私の母よ! 変な造語で呼ばないで!」
シルヴィアの鋭いツッコミ。いいぞ、その反応速度。やはり良い熟女になる素質がある。
だが、俺の決意は揺るがない。
「いいかシルヴィア。お前のお母様は、俺が守る。たとえ相手が国王だろうが、軍隊だろうが、神だろうが関係ない。俺の義妻に手を出す奴は、ネジの一本まで分解してやる」
俺はコートを翻し、壁にかけてあった愛用の工具鞄(ツールバッグ)を背負った。
中には、精密ドライバーから高出力魔導レンチ、違法改造したインパクトドライバーまで、あらゆる「修理(および破壊)」に必要な相棒たちが詰まっている。
さらに、腰のベルトには錬金術で作った特製の発煙筒や、即席の爆弾(中身は目覚まし時計の部品だ)をぶら下げる。
「行くぞ、シルヴィア。モタモタするな」
「え、行くって……どこへ?」
「決まってるだろ。王宮だ。俺の義妻が、悪い王様に囚われて泣いているんだぞ? 助けに行かない男がどこにいる」
俺はニヤリと笑い、片眼鏡を光らせた。
かつて宮廷錬金術師だった頃の知識と、スラムで培った度胸。そして何より、熟女への愛。
今の俺は無敵だ。
「で、でも、正面から行く気!? 警備兵に捕まるわよ!」
「誰が正面から行くかよ。裏口入学ならぬ、裏口侵入だ。……それに、ちょうどいいタイミングだ」
ドンドンドンドンッ!!
その時、工房のドアが激しく叩かれた。
さっきのシルヴィアのような上品なノックではない。ドアを破壊する勢いの連打だ。
扉の隙間から、男たちの殺気立った視線と怒号が飛び込んでくる。
「おいクロノォォ!! いるのは分かってんだぞ! 先月のツケを払いやがれ!!」
「開けろゴルァ! また酒代踏み倒す気か!!」
「ギルドの会費も未納だぞコラァ!!」
野太い怒号の大合唱。
借金取りと酒場の店主、ついでに町内会長まで混じっているようだ。
どうやら、俺の借金返済の期日は今日だったらしい。すっかり忘れていた。
「ひぃっ!? な、なによあれ!?」
「俺のファンクラブだ。熱烈だろう?」
「借金取りじゃない!」
ドアがミシミシと悲鳴を上げ、蝶番が外れかける。
あと数秒で突破されるだろう。
俺はシルヴィアの肩を抱き寄せ、工房の裏口にある窓を指さした。
彼女は「ひゃっ」と可愛らしい悲鳴を上げた。
「いいかシルヴィア。人生には逃げなきゃならない時がある。だが、これは逃走じゃない。戦略的撤退だ」
「言葉を飾らないで! ただの夜逃げでしょ!?」
「違う! 『借金取りから逃げるついでに、王宮へのカチコミ(救出作戦)を決行する』んだ!」
「動機が最低すぎる!!」
ガシャァァァン!!
俺は裏口の窓を蹴破った。
ガラス片が飛び散り、路地裏の湿った空気が流れ込んでくる。
「飛ぶぞ、育成枠!」
「誰が育成枠よーっ!!」
俺はシルヴィアを小脇に抱え、窓から飛び出した。
直後、工房のドアが破られ、雪崩れ込んできた男たちが「あ、逃げたぞ!」「追えぇぇ!!」と叫ぶのが聞こえた。
スラムの複雑に入り組んだ路地を、俺たちは疾走する。
背後からは怒号と足音。前方には、王都の地下へと続くマンホールが見えてくる。
「目的地は地下下水道だ! そこから王宮の真下まで抜ける!」
「げっ、下水道!? 臭いのは嫌よ!」
「我慢しろ! レディの嗜みとして、泥水の一つも啜っておけ! いい熟女になれんぞ!」
「なりたくないわよそんな熟女!!」
シルヴィアの絶叫と共に、俺たちはマンホールの中へと滑り込んだ。
暗闇と悪臭が俺たちを包み込む。
だが、俺の心は晴れやかだった。
待ってろよ、エレオノーラさん。
たとえ相手が国王だろうが、最強の騎士団だろうが、世界の理だろうが関係ない。
あんたを縛る鎖も、呪いも、運命さえも。
この俺が、新品同様に「修理」してやるからな!
こうして、俺と公爵令嬢の、不純で過酷な「
(了)
――
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スラム街の道具修理屋、厄介な客はお断りなのに下心のせいで世界を直すハメになる【短編版】 いぬがみとうま @tomainugami
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