第2話:公爵令嬢の依頼と職人の流儀

「王宮の最上階に囚われている、だと?」


 俺は眉をひそめ、手元のウイスキーを一口啜った。

 シルヴィアの話は、俺の予想を遥かに超えてきな臭いものだった。


 彼女の家、ローゼンバーグ公爵家は、代々王家に仕える名門中の名門だ。

 その当主である父親は既に亡くなり、現在は未亡人である母親のエレオノーラが家を取り仕切っている……はずだった。

 だが、三ヶ月前。国王レグルス三世の「招待」を受けて王宮に上がったエレオノーラは、そのまま帰ってこなかったという。


「公式発表では『原因不明の病に倒れ、王宮の最先端医療施設で治療を受けている』とされているわ。でも、それは嘘よ」


 シルヴィアは悔しげに唇を噛む。


「母は病気なんかじゃない。……『呪い』をかけられたのよ。それも、王家が秘匿する古代のアーティファクトによって」

「呪い、ねぇ。医者じゃなくて、教会に行けよ」

「宮廷魔導師も、高名な司祭も、誰も治せなかったわ! 彼らは口を揃えて言ったの。『これは生命の回路そのものが書き換えられている。魔法や奇跡の範疇ではない』って」


 なるほど。

 魔法や奇跡で治せないなら、それは「故障」だ。

 人体の構造、魔力の循環、魂の定着。それらのシステムにエラーが生じている状態。

 ならば、それは俺の管轄テリトリーだ。


「……で? その『故障』の原因は?」

「……国王陛下よ」


 シルヴィアの声が震える。


「陛下は……狂っているわ。亡くなられた王妃様を蘇らせるために、母を『器』にしようとしているの」


 レグルス三世。

 国民からは「愛妻家」として知られる王だが、その愛妻が数年前に病死してからは、ふさぎ込んでいるという噂だった。

 まさか、その愛が拗れに拗れて、オカルトに走っていたとはな。


「母は……エレオノーラは、亡き王妃様と魔力の波長が似ているらしいの。だから、陛下は母に呪いをかけ、意識を封じ、王妃様の魂を降ろす儀式の準備を進めている……!」


 シルヴィアは両手で顔を覆う。

 気丈に振る舞ってはいるが、まだ十六歳の少女だ。母親が狂王の生贄にされそうになっているという現実に、押しつぶされそうになっているのだろう。


「……なるほどな。つまり、俺に『王宮に不法侵入して』『最強の警備網と近衛騎士団を突破し』『国王の愛人を奪還して』『ついでに国宝級の呪いを解け』と?」

「愛人じゃないわ! 母は被害者よ!」

「どっちでもいい。……割に合わねぇよ」


 俺は首を横に振った。

 無理だ。リスクが高すぎる。

 俺はただの修理屋だ。前世も、今世も。

 世界の危機だとか、王家の陰謀だとか、そういう大層な物語の主人公になるつもりはない。

 俺が欲しいのは、美味い酒と、美しい時計と、そしてたまに眺める極上の熟女。それだけでいい。


「帰りな、お嬢ちゃん。ママが恋しいなら、枕でも濡らして寝てるんだな。俺は国家反逆罪でギロチンにかかる趣味はない」

「……っ! この、卑怯者! お金ならいくらでも払うと言ったでしょう! 公爵家の全財産を投げ打ってでも!」

「金の問題じゃねぇと言ってるだろ。俺の心の歯車が動かねぇんだよ」


 俺は冷たく突き放す。

 実際、俺のスキル【因果修復クロック・バック】を使えば、王宮の結界を破ることも、呪いを解くことも不可能ではないだろう。

 だが、動機がない。

 俺を突き動かすのは、いつだって「美学」と「情熱」だ。

 壊れた機械が可哀想だとか、この時計を直せば持ち主が喜ぶとか、そういうシンプルな感情だ。

 見ず知らずの他人のために、命を懸けるほどの情熱は持ち合わせていない。


「……最低」


 シルヴィアの目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。

 その涙は、工房の埃っぽい床に吸い込まれて消えた。


「あなたの噂を聞いて……わざわざこんな掃き溜めまで来たのに。天才錬金術師だなんて、嘘っぱちじゃない!」

「天才じゃねぇよ。ただの器用貧乏だ」

「……もういいわ。帰ります」


 シルヴィアは乱暴に涙を拭い、席を立った。

 その背中は小さく、震えていた。

 ……やれやれ、泣かせちまったか。これだから子供の相手は苦手なんだ。

 俺はバツが悪そうに頭を掻く。


 その時。

 シルヴィアが立ち上がった拍子に、彼女の鞄から何かが滑り落ちた。

 一枚の、写真が入ったロケットペンダントだ。


 カチャン、と乾いた音がして、ロケットが開く。


「……あ」


 シルヴィアが慌てて拾おうとする。

 俺は何気なく、床に落ちたそのロケットに目をやった。


「…………」


 言葉が、止まった。

 心臓の鼓動が、一拍スキップした。

 世界の色が変わった。


 そこに写っていたのは、奇跡だった。


 シルヴィアの面影を残しつつ、それを極限まで成熟させ、洗練させた美貌。

 憂いを帯びた垂れ気味の目尻。

 慈愛に満ちた口元。

 喪服のような黒いドレスに包まれた、豊満かつ清楚な肢体。

 それはまさに、俺が長年追い求めていた理想郷アヴァロン

 完成された美。時を重ねることでしか到達し得ない、至高の領域。


(……なんてことだ)


 俺は呻いた。

 脳内の歯車が、狂ったように回転を始める。

 IQが急降下し、代わりに本能の電圧が限界突破する。

 理性が吹き飛び、蒸気となって耳から噴き出すのを感じた。


「おい、待て」


 俺の声は、自分でも驚くほど低く、真剣な響きを帯びていた。

 シルヴィアがビクリと肩を震わせて振り返る。


「な、なによ。もう帰るって……」

「そのロケットを見せろ」

「え? これ? 母の写真だけど……」


 俺はガタリと椅子を蹴倒して立ち上がり、シルヴィアの手からロケットを引ったくった(紳士的に)。


 そして、モノクル越しにその写真を凝視する。

 間違いない。

 これは、芸術品だ。いや、国宝だ。

 こんな素晴らしい存在が、今まさに危機に瀕しているだと?

 狂王の手によって、その尊厳を汚されようとしているだと?


 ふざけるな。

 それは世界の損失だ。宇宙の崩壊に等しい。


「……シルヴィア」


 俺は彼女の名前を呼んだ。

 さっきまでの、面倒くさそうな態度は微塵もない。


「依頼を受ける。いや、受けさせてくれ。頼む」


 

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