【短編版】スラム街の道具修理屋、厄介な客はお断りなのに下心のせいで世界を直すハメになる

いぬがみとうま

第1話:歯車墓場《ギア・グレイブ》の変態紳士

 機械油と錆の匂い、そして安酒の芳香。それが俺の城、「クロノ修理工房」の構成成分だ。

 王都ネストリアの下層街区、通称「歯車墓場ギア・グレイブ」。

 遥か頭上に広がる上層の貴族街から、廃棄されたスクラップが雨のように配管を通って降り注ぐこの場所で、俺、クロノ・ギアハルトは今日も今日とて、持ち込まれたガラクタと睨めっこしていた。


「やれやれ。どいつもこいつも、機械への敬意リスペクトが足りてねぇな」


 作業台の上に転がっているのは、旧式の自律歩行型・掃除機ゴーレムだ。

 メーカーは三流の『スチーム・パピー社』製。愛嬌のある犬型のフォルムをしているが、今は無惨な姿を晒している。

 左脚が根元からねじ切れ、腹部の動力炉からは悲しげな蒸気がシューシューと漏れ出し、目は明滅を繰り返して瀕死の状態だ。

 持ち主である近所のパン屋の婆さん――マダム・ロージー(推定六十五歳、ふくよかな二の腕が素晴らしい熟女だ)は、「ちょっと階段から転げ落ちちゃってねぇ」なんて言っていたが、どう見ても二階からプロレス技でも決めたような壊れ方だ。


「おいおい、そんな悲しい音を出すなよ。今すぐ楽にしてやるからな」


 俺は愛用のモノクル――片眼鏡の位置を直し、右手の人差し指でゴーレムの装甲に触れる。

 指先から微量な魔力を流し込み、対象の構造をスキャンする。

 瞬間、俺の網膜に青白い光の線が走り、脳裏にこのゴーレムの『完全な状態の設計図ブループリント』が展開される。


(……ふむ。メインスプリングの断裂、第三歯車の摩耗、排気ダクトの詰まり。ついでに言うと、設計段階から重心バランスが悪いな。これじゃあ転ぶのも無理はねぇ)


 前世、時計屋だったときの職人魂が疼く。

 ただ直すだけじゃ面白くない。二度と壊れないように、そしてなによりマダム・ロージーが腰を痛めないように、最適化してやるのがプロの仕事ってもんだ。


「よし、オペを開始する」


 俺はニヤリと笑い、スキルを発動させる。

 錬金術師の中でも、俺だけが使える唯一無二の神業。


「——【因果修復クロック・バック】」


 カシャ、カシャシャシャッ!


 俺の指先が触れた瞬間、ゴーレムの体が一度、物理法則を無視してバラバラに弾け飛んだ。

 数百個に及ぶネジ、歯車、バネ、外装プレートが空中に分解され、まるでプラネタリウムの星々のように俺の周囲に展開する。

 そして次の瞬間、それらは俺の脳内設計図に従い、あるべき場所へと凄まじい速度で収束していく。


 歪んだフレームは魔力によって叩き直され、切れた配線は再結合し、錆びついた関節は研磨され、油を差されたかのように滑らかになる。

 さらに、俺は工房の床に転がっていた別のガラクタ――壊れた扇風機のモーターと、年代物のバネを拾い上げ、再構成のプロセスに放り込んだ。


部品パーツが足りてねぇなと思ったが、こいつで補強だ。ついでに吸引力を三割増し、排気音は静音仕様にチューニングしてやる」


 カシャンッ!


 心地よい金属音と共に、作業台の上には、工場出荷時……いや、それ以上の輝きを放つ掃除機ゴーレムが鎮座していた。

 動力炉の蒸気漏れは止まり、規則正しい駆動音を奏でている。


「わんっ!」


 ゴーレムが元気よく吠え(排気音だ)、尻尾を振った。


「よしよし、いい子だ。マダム・ロージーによろしくな。……あわよくば、今度デートの約束でも取り付けてきてくれ」


 俺は満足げに、手元にあった安ウイスキーの瓶を煽る。

 喉を焼くアルコールの刺激。これがないと、どうも体のネジが締まらない。

 時刻は午後二時。優雅なティータイムならぬ、アルコールタイムだ。


 工房の外からは、スラム特有の喧騒が聞こえてくる。

 蒸気機関車の走る音、露天商のダミ声、どこかの夫婦喧嘩の怒号。

 王都ネストリア。蒸気と魔導技術が融合したこの機巧都市ギア・シティにおいて、最下層であるこの街は、都市の排泄物とエネルギーの吹き溜まりだ。

 だが、俺はこの場所が嫌いじゃない。

 ここには「壊れたモノ」が溢れている。人間も、機械も。

 それを直すのが、俺の仕事であり、生き甲斐だからだ。


「……さて、次はどいつだ?」


 俺が伸びをした、その時だった。

 工房の錆びついたドアが、控えめに、不安まじりのリズムで叩かれたのは。


 コン、コン、コン。


 借金取りのオッサンたちの無粋な連打とは違う。

 もっと繊細で、品のある音だ。


「……開いてるぜ。借金取りなら帰ってくれ、金なら来世で払うと伝えてるはずだ」


 俺が適当に応じると、ギギ、と軋んだ音を立ててドアが開く。

 逆光の中に立っていたのは、この薄汚いスラムには似つかわしくない、一輪の花だった。


 亜麻色の髪をツインテールに結び、意志の強そうな金色の瞳を輝かせた少女。

 顔立ちは人形のように整っているが、吊り上がった目尻が勝ち気な性格を物語っている。

 上質な生地のドレスに、目立たないように旅用のマントを羽織っているが、その所作の一つ一つから隠しきれない育ちの良さが滲み出ていた。

 年齢は……十六、七ってところか。


(……チッ、お子様ランチか)


 俺のテンションは垂直落下した。

 悪いが、俺のストライクゾーンは熟成されたワインのように芳醇な三十代以降だ。

 酸いも甘いも噛み分けた大人の女性、その目尻に刻まれた笑いシワの一本一本にこそ、俺は美を見出す。

 目の前の少女は、確かに美しい。将来有望そうな顔立ちはしている——いわゆる「育成枠」としては極上素材だが、今の俺には食指が動かない。まだ青い果実だ。


 少女は埃っぽい工房の中を見回し、少しだけ鼻に皺を寄せてから、ハンカチで口元を覆った。

 典型的なお嬢様だ。泥水の一杯も啜ったことがなさそうな顔をしている。


「……ここが、『よろず屋クロノ修理工房』? ずいぶんと……趣のある場所ね」

「『汚い』と言いたいなら正直に言えよ、お嬢ちゃん。俺は飾らない言葉が好きだ」


 俺は椅子の背もたれに体重を預け、ふてぶてしく言い放つ。

 少女はムッとしたように眉をひそめ、スタスタと俺の目の前まで歩いてきた。


「あなたが……クロノ・ギアハルトね? 元・王宮筆頭錬金術師にして、今はしがない修理屋の」

「過去の肩書きは捨てた。今はただのクロノだ。……で、何の用だ? 壊れたオルゴールの修理か? それとも家出した猫の捜索か? 悪いが今は予約で一杯でね。来年の春に来てくれ」


 嘘だ。今日の仕事はさっきの掃除機で終わりだ。

 だが、貴族のガキの相手なんて面倒ごとは御免だ。どうせロクな依頼じゃない。


「嘘をおっしゃい。暇そうに昼間からお酒を飲んでいるだけに見えるわ」

「職人には休息アイドリングが必要なんだよ。エンジンの暖機運転みたいなもんだ」

「……減らず口を」


 少女は俺の前の客用椅子に——座面に油汚れがないか入念に確認し、自分のハンカチを敷いてから——座り、真っ直ぐに俺を見た。

 その瞳には、切迫した色が浮かんでいた。


「単刀直入に言うわ。クロノ・ギアハルト。あなたに、ある『修理』を依頼したいの」

「断る」

「まだ何も言っていないわ!」

「どうせ面倒ごとなんだろ。俺の勘はよく当たるんだ」


 俺はあくびを噛み殺す。

 だが、少女は引かなかった。彼女はカバンから分厚い革袋を取り出し、作業台の上にドンと置いた。

 ジャラリ、と重たい金属音が響く。中身は間違いなく金貨だ。しかも、かなりの量。


「……前金よ。成功報酬はこの十倍払うわ。これでも『面倒』だと言うの?」


 俺は片目を開け、金袋をチラリと見る。

 ……悪くない額だ。これがあれば、溜まりに溜まった酒場のツケも、工具のローンも一括返済できるだろう。

 だが、俺の職人としての勘が警鐘を鳴らしていた。

 高額な報酬には、それ相応の危険リスクがつきものだ。


「金で頬を叩くのは嫌いじゃないがな……。だが、俺は気まぐれな修理屋だ。心が動かなきゃ、王様の命令でも動かねぇ確率が高い」

「……王様の、命令でも?」


 少女の声色が、少しだけ変わった。

 彼女は周囲を警戒するように声を潜め、身を乗り出してくる。


「なら、ちょうどいいわ。……私の依頼は、その『王様』に関することなのだから」


 俺の手が止まる。

 ウイスキーのグラスを置く。

 カラン、と氷が溶ける音が、静まり返った工房に響いた。


「……おいおい。冗談なら他所でやってくれよ」

「冗談でこんな汚い……趣のある場所に来ると思う?」


 少女――シルヴィア・ローゼンバーグと名乗った公爵令嬢は、真剣な眼差しで俺を射抜いた。


「私の母を……母、エレオノーラをしてほしいの。王宮の最上階に囚われている、母を」


 スラムの片隅で始まったその会話が、俺の平穏な(そして貧乏な)日常を粉々に砕くハンマーの一撃だとは、この時の俺はまだ、半分くらいしか気づいていなかった。


 

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