第四章 雨漏り修理は、神殺しのハサミで
夕食のメインディッシュは、我ながら傑作だった。
皿の上に鎮座するのは、今朝がた庭の池で釣り上げた「七色に光る魚」のムニエルだ。
バターと焦がし醤油の香ばしい匂いが、食卓を支配している。
「さあ、冷めないうちにどうぞ。この魚、鱗を取るのが大変だったんですよ。まるで金属みたいに硬くて」
僕はにこやかにナイフを入れた。
サクッ、という軽快な音がして、虹色の皮が割れる。中から現れたのは、真珠のように白く、光を放つ身だ。
湯気と共に立ち上る香りは、魚というよりは、高級な香木やお香のようで、それでいて強烈に食欲をそそるものだった。
「いただきます……」
セレンさんは、まるで聖遺物に触れるかのような手つきでフォークを運んだ。
隣の席では、グランじいさんが「ほほう、これはまた『位』の高いやつじゃな」とニヤニヤしながら、ワインを傾けている。
セレンさんが、その一口を口に含んだ。
咀嚼する。
その瞬間、カラン、と彼女の手からフォークが滑り落ちた。
「あ……あ、あ……」
彼女の瞳孔が開き、虚空を見つめている。
美味しいのかな? それとも小骨があっただろうか。
「セレンさん?」
僕が声をかけると、彼女はガタガタと震え出した。
いや、震えているのは彼女だけではない。
彼女の全身から、凄まじい黄金のオーラが噴き出していた。
「見え……見えた……。世界の、真実が……」
セレンさんはうわ言のように呟く。
――彼女が見たのは、『味』ではなかった。
その魚肉が内包していた膨大な『
――彼女は理解してしまったのだ。自分が今食べたものが、ただの魚ではなく、上位次元からこの世界を監視するために遣わされた『
そして、この場所――ジルという男が「庭」と呼んで住んでいるこの森が、異世界の辺境などではないことを。
ここは、天界と下界、魔界と現世、あらゆる次元が交差する『世界の結び目(特異点)』。
あふれ出す異界の植物や、迷い込む神獣や魔王を、ジルが『剪定』し、間引き、時には『調理』することで、世界の崩壊を防いでいる最前線の防波堤。
ジルは、スローライフを楽しんでいるのではない。
彼という存在そのものが、この世界の「免疫機能」であり、最強の「捕食者」なのだと。――
「おいしい……。冒涜的なまでに、おいしい……!」
セレンさんは涙を流しながら、憑かれたようにナイフを動かし始めた。
高位の天使を体内に取り込むことで、彼女の魂の
僕には、彼女が夢中で食べてくれているようにしか見えないけれど。
「よかった。口に合ったみたいだ」
僕が自分の分を口に運ぼうとした、その時だった。
バキイイイイイイイッ!!
不快な音が響いた。
食器が割れた音ではない。
空が、割れた音だ。
家の屋根が吹き飛び、夜空がむき出しになる。
だが、そこにあるのは星空ではなかった。
空の裂け目から、巨大な「目」が覗き込んでいた。
月よりも巨大な、黄金の眼球。それがギョロリと動き、僕たちの食卓に焦点を合わせた。
『……我ガ使イヲ、食ラウ者ヨ……』
脳に直接響くような轟音が、大気を震わせる。
グランじいさんが「おっと」と言ってワイングラスを押さえた。
セレンさんは腰を抜かし、
「そ、創造神デウス・エクス……!」
と絶叫している。
僕はため息をつき、ナプキンで口元を拭った。
「またか。最近、この辺りの地盤が緩んでいるのかな」
僕は椅子から立ち上がり、壁に立てかけてあった愛用の剪定バサミを手に取った。
空の「目」が、怒りに充血していく。
次の瞬間、空の裂け目から、都市ひとつを消滅させるほどの極太の
『滅ビヨ、不敬ナル――』
「うるさいなあ。食事中ですよ」
僕はハサミを開き、空に向かってジャンプした。
庭の梯子を駆け上がるような気軽さで、空気を足場にして跳躍する。
狙うのは、あのうるさい「雷」と、その奥にある「裂け目」の綻びだ。
相手が神だろうが、天変地異だろうが、関係ない。
僕の平穏な暮らしを邪魔するものは、全て「伸びすぎた枝」に過ぎないのだから。
「――『万象剪定』」
夜空に、銀色の閃光が奔った。
僕のハサミが、概念ごと空間を切り裂いた軌跡だ。
一瞬の静寂。
次の瞬間、降り注ごうとしていた神罰は霧散し、巨大な目玉は「痛ッ!」とでも言うように瞬きをして、裂け目の向こうへと引っ込んだ。
僕は空中でハサミを振って、刃についた光の粒子を払い、ふわりと地面に着地した。
裂け目は綺麗に塞がり、いつもの美しい星空が戻ってくる。
我ながら神業的な庭仕事だ。
「ふぅ。やれやれ、明日、屋根の修理をしなければ……」
僕が食卓に戻ると、セレンさんが信じられないものを見る目で僕を見つめていた。
「……ジル様。あなた、神様を……『切った』んですね?」
「え? ああ、雨雲を切っただけですよ。すぐに晴れてよかった」
「……はい。そうですね。雨雲です……ね」
セレンさんは深く頷き、残りのムニエルを口に放り込んだ。
彼女の瞳の奥で、紫色の光が強く、鋭く輝く。
彼女は悟ったのだ。
この人が「雨雲だ」と言えば、神ですら雨雲になる。この世界の|常識《ルール》を決めているのは、神ではない。このエプロン姿の庭師なのだ、と。
「なら、私がその『日常』を守ります。……たとえ、相手が全知全能の神々であっても」
彼女は空になった皿を置き、ニッコリと微笑んだ。その笑顔は騎士のものではなく、神すら喰らう捕食者の共犯者のそれだった。
グランじいさんが「やれやれ、世界で一番恐ろしい家庭が爆誕しおったわ」と愉快そうに笑う。
僕は首を傾げながら、デザートの準備に取り掛かることにした。
冷蔵庫には、まだ「禁断の
僕の異世界スローライフは、まだ道半ば。
(了)
深淵の庭師は、今日も神獣を煮込む 〜庭の「雑草(魔神)」が邪魔なので剪定バサミで駆除したら、聖騎士に神と崇められました〜【短編版】 いぬがみとうま @tomainugami
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