第三章 勇者の必殺技は、山火事の元
ゴーレム事件以来、セレンさんの僕に対する態度は、親愛を通り越して「信仰」に近づいていた。
朝起きれば洗面器を持って待機し、歩けば小石をどけ、食事を出せば合掌して涙を流して食べる。
少し居心地が悪いが、まあ、彼女がここで安心して暮らせるならそれでいい。
そんな穏やかな午後のティータイムをぶち壊したのは、またしても「来客」だった。
「出てこい! 深淵の魔王よ! 人類の希望たる我らが、貴様の首を取りに来た!」
森の入り口で、若々しい声が響き渡った。
やれやれ、今度はなんだ。
窓から覗くと、きらびやかな装備に身を包んだ四人組が立っていた。
金髪の美少年剣士、ローブを羽織った賢者風の女、大柄な戦士、そして身軽そうな狩人。
典型的な、そう、昔読んだ絵本に出てくる「勇者パーティ」そのものだ。
「うわあ、コスプレ集団かな? それとも劇団の練習?」
「……ジル様。あれは『光の勇者ヘリオス』の一行です」
紅茶を淹れていたセレンの手が止まる。カップがカチャカチャと震えている。
彼女の顔は青ざめていた。
「彼らは……私の元仲間です。人類最強の戦力。まさか、私を追ってきたのか、それともこの場所の『真実』に気づいて……」
「お知り合いでしたか。じゃあ、お茶でも出しましょうか」
僕は立ち上がったが、セレンが必死に袖を掴んだ。
「ダメです! 彼らはここを『魔王城』だと思っている! 問答無用で極大魔法を撃ち込んできます!」
その警告は、一瞬遅かった。
外の金髪少年が、聖剣を高く掲げていた。
刀身から、太陽そのもののような凄まじい熱量と光が溢れ出す。
「食らえ! 神聖魔術奥義『プロミネンス・ノヴァ』!!」
純白の閃光が、僕の小屋めがけて一直線に放たれた。
周囲の木々が一瞬で炭化し、大気が悲鳴を上げる。
セレンが「終わった」と目を閉じた。
まったく、最近の若者は。
僕は呆れながら、玄関のドアを開けて、その光の奔流に右手をかざした。
「コラッ! 山火事になったらどうするんですか!」
パシッ。
僕は飛んできた火の粉(に見えた極大魔法)を、人差し指と親指で摘んだ。
ジュッ、と指先で小さな音がする。
ただそれだけで、森を消し飛ばすはずだった熱量は、蝋燭の火を吹き消すように消滅した。
僕の『剪定』は、物理的なモノだけじゃない。エネルギーの流れだって、余分なら切り落とせる。
「な……!?」
「ば、馬鹿な……! 聖剣の全出力を……指先一つで!?」
勇者たちが腰を抜かしてへたり込んだ。
彼らの顔には、世界の理不尽を目の当たりにした絶望が張り付いている。
僕は説教モードで彼らに歩み寄った。
「君たちねえ、花火遊びなら河川敷でやりなさい。ここは私有地だし、乾燥注意報が出てるんだよ」
僕は勇者の額に、ペチンとデコピンを見舞った。
手加減はしたつもりだ。
けれど、勇者くんは「ぶべラッ!?」と奇妙な声を上げ、音速で森の彼方へと吹っ飛んでいった。
ついでに、その衝撃波に巻き込まれて、他の三人も空の彼方へ消えていく。
「……あ、ちょっと強く弾きすぎたかな」
空に四つの星が煌めくのを見送りながら、僕は反省した。
後ろを振り返ると、セレンが膝から崩れ落ちていた。
「人類の……希望が……。デコピン一発で……」
「いやあ、しつこいセールスかと思ってつい。知り合いならもっと優しくすればよかったですね」
「いいえ……いいのです、ジル様。あの方々は、本当の『強さ』を知る必要がありました」
セレンは恍惚とした表情で、僕の足元に跪いた。
彼女の中で、僕のポジションが「絶対神」へと完全にシフトした瞬間だった。
「おや、騒がしいと思ったら、また虫除けをしたのかね?」
不意に、庭の茂みから一人の老人が現れた。
隣人のグランじいさんだ。いつも縁側でお茶を飲みに来る、気さくなご近所さんである。
ただ、その瞳孔が爬虫類のように縦に割れていることや、影が巨大なドラゴンの形をしていることは、まあ、個性の範疇だと思っている。
「ええ、グランさん。最近、マナーの悪いハイカーが多くて」
「フォフォフォ。あれを『ハイカー』と呼ぶのは、世界でお主だけじゃろうて。……お主のその力、いつか『天』に見つからねばよいがの」
グランじいさんは意味深なことを言いながら、空を見上げた。
その視線の先、雲の切れ間から覗く空が、どこか不自然に歪んでいるように見えた。
まるで、ガラスの天井にヒビが入っているような。
「天? 雨漏りなら、直せばいいだけですよ」
僕はなんの気なしに答えたが、グランじいさんとセレンは顔を見合わせ、深刻そうに頷き合っていた。
まったく、みんな心配性だなあ。
でも、今日の夕食に用意した「特別な魚」を見れば、きっと元気が出るはずだ。
それは、今朝がた庭の池(に見える時空の裂け目)で釣れた、虹色に光る不思議な魚なのだから。
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