2食目:ジェネリックビッグマック②

  第三章:ジェネリックビッグマック


 目の前に置かれたそれは、ハルアの知る「食事」とはかけ離れた姿をしていた。


 茶色く焦げた肉の塊。

 とろりと溶け落ちるオレンジ色の油脂。

 そして、そこから立ち上る、脳を直接殴りつけるような暴力的な香り。


「こ、これを……手で?」

「ああ。上品にナイフなんざ使うな。大口開けてかぶりつくんだ」


 リュージはニヤリと笑い、自らもビール瓶を開けた。

 ハルアは恐る恐る、巨大なサンドイッチを両手で持ち上げた。


 温かい。


 パンを通して伝わってくる熱が、指先から冷え切った身体へと伝播していく。

 意を決して、ハルアは口を大きく開けた。

 王女としての作法も、恥じらいも、空腹という獣の前には無力だった。

 彼女は、その茶色い塊に喰らいついた。


 ザクッ……!


 最初に感じたのは、トーストされた食パンの軽快な歯ごたえだった。

 サクサクとした香ばしさが弾けたかと思うと、次の瞬間、世界が変わった。


 ジュワワッ!!!


 前歯がパティを噛み切った瞬間、閉じ込められていた肉汁がダムの決壊のように溢れ出したのだ。


 ただの脂ではない。牛の強烈な旨味が凝縮されたスープの奔流。


「んぐっ!?」


 ハルアは思わず目を見開いた。


 熱い。でも、美味しい。

 カリカリに焼かれた表面のクリスピーな食感と、中の粗挽き肉の弾力。噛むたびに、肉そのものの味が舌の上で暴れ回る。

 だが、真の衝撃はその後にやってきた。


 ――ソースだ。


 マヨネーズのまろやかさと、ケチャップの酸味、マスタードの刺激。

 それらが混ざり合い、複雑怪奇なハーモニーを奏で始めたところに、あの「白い粉」が牙を剥いた。


 うま味。


 それは味覚の第五要素にして、生命の根源的な味。

 アミノ酸の結晶が舌の受容体と結合した瞬間、ハルアの脳内で快楽物質がスパークした。


(なに、これ……!? 何なの、この味……!?)


 美味しいという言葉では足りない。

 甘い、辛い、酸っぱい、そんな単純な表現を超越した、強烈な「もっと食べたい」という衝動。


 玉ねぎのみじん切りのシャキシャキ感と辛味が、脂っこさを中和し、次の一口を誘う。


 ピクルスの酸味がアクセントとなり、味の輪郭を引き締める。

 そして何より、このパン。

 あふれ出た肉汁とソースを、食パンの白いスポンジ部分が残さず吸い込んでいるのだ。

 汁を吸ってふにゃふにゃになったパンの、なんと罪深く、美味しいことか。


「んっ……ふぅっ……! んんっ……!!」


 ハルアの口から、艶っぽい吐息が漏れた。

 もう止まらなかった。

 二口目。三口目。

 口の周りがソースで汚れるのも構わず、ハルアは一心不乱にハンバーガーを貪った。


 先ほどまでの高貴な雰囲気はどこへやら。

 咀嚼するたびに、空っぽだった胃袋に熱い塊が落ちていき、身体の芯から力が湧いてくる。


 生きている。

 私は今、命を食べている。


「……いい食いっぷりだ」


 リュージは満足げにビールを煽った。

 料理人にとって、皿を空にされること以上の賞賛はない。

 あっという間に、ハルアの手から巨大なサンドイッチは消え失せた。


 彼女は名残惜しそうに指についたソースをぺろりと舐め取ると、うっとりとした表情で溜息をついた。

 その瞳は潤み、頬はバラ色に染まっている。


「……おい、しかったです……」

「そいつは良かった」

「こんな……こんな素晴らしい料理、王宮でも食べたことがありません……。私、生きていてよかったです……」


 ハルアの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 故郷を追われ、孤独な宇宙を漂い、死を覚悟していた少女。

 その心を救ったのは、高尚な説法でも魔法でもなく、ジャンクなパンと肉だった。


「礼なら金でいいぞ。と言いたいところだが、文無しだろうな」


 リュージが茶化すように言うと、ハルアはハッとして姿勢を正した。


「お、お金はありませんが……この御恩は、必ず……!」


 その時。


 ビーッ! ビーッ! ビーッ!


 緊急警報が鳴り響いた。


『警告。警告。帝国軍巡洋艦クラス、ワープアウト確認。本船をロックオンしています』


 AIの声と同時に、船が激しく揺れた。


 ドォォォォォン!!


 至近弾だ。


「きゃあっ!?」


 ハルアが悲鳴を上げてしゃがむ。


「チッ、嗅ぎつけるのが早えな。食後のコーヒーも出させねえ気か」


 リュージは悪態をつきながら、素早く操縦席へと飛び乗った。





  エピローグ:星の海の看板娘


 モニターには、巨大な黒い軍艦が映し出されていた。

 砲門はこちらを向き、威圧的な通信が入る。


『こちらは帝国軍第三艦隊だ。貴船は指名手配犯を匿っている疑いがある。直ちに停船し、臨検を受け入れよ。さもなくば撃沈する』


 冷徹な宣告。

 ハルアの顔から血の気が引く。


「リュージ様……私を、引き渡してください。このままでは、あなたまで……」

「バーーーカ」


 リュージは通信マイクを掴むと、怒鳴り返した。


「うるせえんだよ、三下! 客がまだ食事の余韻に浸ってんだ! 無粋なマネしてんじゃねえ!」


『なっ……!? 貴様、帝国軍に向かって……!』


「俺の店で飯を食った奴は、全員俺の身内だ。指一本触れさせるかよ!」


 リュージはコンソールの赤いボタンを拳で叩いた。


「シールド『アイギス』展開! 全エネルギーを防御に回せ!」


 ブォォォォン……!


 船の周囲に黄金色の光の膜が展開される。

 直後、帝国艦からのビーム砲撃が直撃したが、シールドは波紋一つ立てずにそれを弾き返した。


 この船は、伊達に全財産をつぎ込んで改造したわけではない。厨房設備と防御力だけは、銀河最強クラスなのだ。


「なっ、なんだその出力は!? 戦艦並みだと!?」

「驚いてる暇があったら、美味い飯でも食って出直してきな! 緊急ワープ、座標セット完了!」


 リュージがスロットルを全開にする。

 船体がきしみ、光の粒子が後方に流れていく。


「しっかり掴まってろよ、お姫様! 舌噛むなよ!」

「は、はいっ!」


 ハルアはカウンターにしがみついた。だが、その顔にもう怯えはなかった。

 胃袋を満たした活力と、この頼もしい背中が、彼女に勇気を与えていた。


 キィィィィィン……ドパァァァァン!!


 閃光と共に、『トラットリア・ステラ』は超光速の彼方へと消え去った。


          ◇


 ワープアウトした先は、静かな星雲の中だった。

 追手は振り切ったようだ。


「ふぅ……。食後の運動にしちゃ激しすぎたな」


 リュージは操縦席から立ち上がり、肩を回した。

 ハルアは、まだドキドキと高鳴る胸を押さえながら、リュージを見つめた。

 そして、深呼吸をして、真っ直ぐな瞳で彼に向き直った。


「リュージ様」

「ん?」

「私……私を、この船で働かせてください!」


 その言葉に、リュージは少し驚いた顔をした。


「働く? お姫様がか?」

「はい。国も、家族も失いました。でも、私にはまだ……『生きる活力』があります。

それをくれたのは、あなたの料理です」


 ハルアは両手を握りしめ、熱っぽく語った。


「あの料理を食べた時、私は思いました。こんなに幸せな気持ちになれるものが、この宇宙にあるんだって。……私も、誰かにその幸せを届けたい。リュージ様の料理を、もっとたくさんの人に食べてほしいんです!」


 それは、彼女の偽らざる本心だった。

 ただ守られるだけではない。自分の足で立ち、生きる意味を見つけたい。


「……給料は安いぞ。こき使うし、労働基準法なんてねえ」

「構いません! お皿洗いでも、掃除でも何でもします!」

「まかないは食わせてやる。あのバーガーよりも美味いもんが、山ほどあるぞ」


 その言葉に、ハルアの瞳がキラリと輝いた。


「……山ほど、ですか?」

「ああ。オムライス、カレー、唐揚げ、ラーメン……地球の料理は底なしだ」


 ゴクリ、とハルアが喉を鳴らす。

 その様子を見て、リュージは吹き出した。


「ははっ、いい顔だ。合格だよ、新人」


 リュージは親指を立て、得意げにウインクしてみせた。


「よろしくお願いします、リュージ様!」

「シェフって呼びな!」

「はいっ!!」


 ハルアの満面の笑みが、星々よりも明るく輝いた。




 こうして、辺境宇宙のレストラン船『トラットリア・ステラ』に、新たな看板娘が誕生した。


 天才シェフと、食いしん坊の元王女。

 二人の旅は、まだ始まったばかりである。


 次なる客が来ると……信じてるからな!


(了)



――

お読みいただきありがとうございました!


率直なご評価をいただければ幸いです。

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元・星付きシェフ、宇宙船で定食屋はじめました。~地球の「白い粉(うま味調味料)」を一振りしたら、銀河皇帝も宇宙海賊も土下座してきましたが、ただの美味い料理です~【短編版】 いぬがみとうま @tomainugami

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