元・星付きシェフ、宇宙船で定食屋はじめました。~地球の「白い粉(うま味調味料)」を一振りしたら、銀河皇帝も宇宙海賊も土下座してきましたが、ただの美味い料理です~

いぬがみとうま

1食目:ジェネリックビッグマック


  プロローグ:味気なき銀河の片隅で


 無限に広がる暗黒の海。

 無数の星々がダイヤモンドの粉を撒き散らしたように輝く、銀河の辺境宙域。

 そこを、一隻の奇妙な宇宙船が航行していた。


 船体そのものは、最新鋭の流線型をした銀色の機体だ。恒星間航行ワープドライブを搭載し、小惑星帯すら優雅にすり抜けるスペックを持つ。

 だが、その船の「入り口」だけが、狂っていた。


 エアロックハッチの代わりに、なぜか地球の木材で作られた重厚な「引き戸」が嵌め込まれているのだ。

 その横には、真空の宇宙空間にもかかわらず、赤い提灯が一つ、ぽつんと灯っている。


 提灯に書かれた文字は――『定食』。

 船の名は『トラットリア・ステラ』。


 かつて地球という辺境の惑星で、最高の栄誉を手にした天才シェフが、全ての栄光を捨てて駆る、さすらいのレストラン船である。


 船内、厨房兼カウンター席。

 そこは、窓の外の無機質な宇宙空間とは完全に隔絶された、暖色系の光に満ちた空間だった。


 飴色に磨き上げられた木のカウンター。天井から下がるステンドグラスのランプシェード。壁にはメニュー札が並び、隅には黒電話が置かれている。


 まるで、地球の極東にあった「昭和」という時代の洋食屋を、そのまま切り取って宇宙船に移植したような内装だ。


「……あー、二日酔いだ」


 カウンターの中で、男が一人、アンニュイな溜息をついた。

 リュージ。三〇代半ば。少し寝癖混じりでボサボサの髪の毛、コックコートの上にフライトジャケットを羽織っている。


 その鋭い眼光は、今は手元の「物体」に向けられていた。

 銀色のパッケージに包まれた、直方体の固形物。

 銀河連邦標準規格、完全栄養ブロック『ライフ・ブリック』だ。

 リュージは包装を剥き、その灰色の塊を口に放り込んだ。


「……不味い。二日酔いだから更に不味い」


 この宇宙食ってのは何度食っても不味い。

 味がないわけではない。正確には「必要な栄養素を効率よく摂取させるための、最低限の刺激」として、微かなフルーツ臭と化学的な甘みがつけられている。

 食感は湿気た段ボールを噛んでいるようで、飲み込むたびに喉が拒絶反応を起こす。


 現在の銀河において、「食事」とはこれだ。

 効率。時短。栄養価。


 それだけが追求され、「味覚」という文化は数百年前にロストテクノロジーとして捨て去られた。


 だからこそ、リュージは旅に出たのだ。

 こんな餌のようなものを食って、ただ寿命を延ばすだけの人生に何の意味がある?

 生きるとは、食うことだ。

 食うこととは、快楽だ。

 本能のままに貪り、脳髄を震わせ、明日への活力を得ることだ。


「どいつもこいつも、ツルッとした顔しやがって。飯を食わねえから顔に覇気がねえんだよ」


 リュージは食べかけのブロックをゴミ箱へ放り投げると、愛用の牛刀を取り出した。


 砥石に水を垂らし、ゆっくりと刃を滑らせる。

 シュッ、シュッ、シュッ。

 静寂な船内に、刃物が研ぎ澄まされる規則的な音だけが響く。

 この店には、今日も客が来ない。

 無理もない。こんな辺境、海賊か迷子の隕石くらいしか通りかからないのだから。


 その時だった。

 厨房の奥にあるモニターが、けたたましいアラート音を鳴らした。


『近接警報。近接警報。所属不明の小型ポッドを感知。生命反応あり。微弱です』

 船のAIが淡々とした声で告げる。


「漂流者か?」


 リュージは研ぐ手を止めた。

 放っておけば、宇宙の塵だ。関わる義理はない。

 だが――空腹で死ぬというのは、料理人として看過できない最悪の死に方だ。


「……チッ。拾うぞ。トラクタービーム起動」


 リュージは面倒くさそうに頭をかきながら、コンソールを操作した。


  第一章:空腹の姫君


 回収した脱出ポッドは、酷い有様だった。

 あちこちが焼き焦げ、装甲はひしゃげている。明らかに戦闘に巻き込まれ、命からがら逃げ出したものだと分かる。


 リュージがバールで強引にハッチをこじ開けると、中からプシュウッと白い減圧ガスが漏れ出した。


「おい、生きてるか」


 中を覗き込んだリュージは、息を呑んだ。

 そこにいたのは、一人の少女だった。


 透き通るような銀色の髪。人間によく似ているが、耳の先が少しだけ尖っている。希少種族であるセレスティア人だ。


 衣服はボロボロで、煤汚れに塗れているが、その身なりから高貴な身分であることが隠しきれていない。


 彼女は操縦席でぐったりとしていたが、リュージの声に反応して、うっすらと瞼を開けた。


 その瞳は、星雲のように美しく輝くアメジスト色だった。


「……ここは……?」

「レストランだ」

「れすと……らん……?」


 少女は焦点の合わない目でリュージを見つめ、次いで周囲を見渡した。

 無骨なハンガーデッキではなく、木の温もりを感じる奇妙な空間。そして、目の前に立つ、白い服を着た強面の男。


「追手……では、ないのですか……?」

「俺は料理人だ。海賊でも軍人でもねえよ」


 リュージは少女を抱き上げると、軽々と運んでカウンター席の椅子に座らせた。

 少女は、あまりにも軽かった。

 栄養失調寸前だ。頬はこけ、唇はカサカサに乾いている。


「水……」


 少女が掠れた声で呟く。

 リュージは無言でグラスに氷水を注ぎ、差し出した。

 ハルアは震える両手でグラスを掴むと、一気に飲み干した。喉が鳴り、乾いた体に水分が染み渡っていく。


「ふぅ……。か、感謝します……。私は、ハルアと申します……」

「俺はリュージだ。で、どうする? 軍に引き渡すか? それともどこかの星に送ってやるか?」


 ハルアは首を横に振った。その瞳に、怯えの色が浮かぶ。


「いけません……私は、追われているのです。祖国を……奪われ……」

「訳ありか。まあ、深くは聞かねえよ」


 リュージは肩をすくめた。

 その時。


 グゥゥゥゥゥゥゥ……キュルルルル……。


 盛大な音が、静かな店内に響き渡った。

 ハルアの腹の虫だ。

 ハルアは真っ赤になって腹を押さえ、身を縮こまらせた。


「あ、あの……その……」

「腹が減ってるのか?」

「……はい。ポッドの備蓄食料が尽きて、もう三日は何も……」


 ハルアは懇願するようにリュージを見た。


「あの、何か……栄養ブロックはありませんか? 低グレードのもので構いません。エネルギーさえ補給できれば……」


 その言葉を聞いた瞬間、リュージの眉がピクリと動いた。


「ああ? 栄養ブロックだと?」

「は、はい。ゼリーパックでも……」

「馬鹿野郎ーーッッ!!」


 リュージの低いドスが効いた声に、ハルアがビクリと震える。


「え……?」

「お前みたいな死にかけの身体に、あんな味気ない粘土を食わせてどうする。栄養? 効率? そんなもんはクソ食らえだ」

 リュージはカウンターをバンと叩き、ニヤリと不敵に笑った。

「お前に必要なのは『栄養』じゃねえ。『活力』だ」

「か、かつ……りょく……?」

「そうだ。生きる気力が湧いてくるような、ガツンと来る『飯』だ」


 リュージはハルアに背を向け、厨房へと入った。


「待ってろ。とびきりジャンクで、とびきり美味いもんを食わせてやる」


  第二章:禁断の白い粉


 リュージが冷蔵庫から取り出したのは、ハルアが見たこともない食材ばかりだった。


 真空パックされた赤い肉の塊。

 黄色い紙に包まれた四角い何か。

 そして、白くてふわふわとした直方体の物体。


「それは……スポンジですか?」


 ハルアがおずおずと尋ねる。


「これは『食パン』だ。地球の庶民が愛する、最高の炭水化物さ」


 リュージは6枚切りの食パンを2枚取り出すと、トースターへ放り込んだ。

 チーン、という軽快な音とともに、パンが狐色に焼けて飛び出してくる。

 香ばしい麦の香りが、船内にふわりと広がった。


「いい匂い……」


 ハルアの鼻がひくひくと動く。それは、これまでの人生で嗅いだことのない、温かく、安心する香りだった。


「まずはソースだ。こいつが味の決め手になる」


 リュージはボウルを取り出し、調味料を次々と投入していく。


 マヨネーズを25グラム。卵と油と酢が乳化した、濃厚なクリーム。

 ケチャップを5グラム。完熟トマトの旨味が凝縮された赤いペースト。

 イエローマスタードを3グラム。ツンとくる刺激がアクセントだ。

 そこに砂糖、塩、ガーリックパウダーをパッパッと振るう。

 そして、みじん切りにしたばかりの玉ねぎ15グラムを投入した。


 リュージはスプーンでそれらをかき混ぜる。

 白、赤、黄色が混ざり合い、次第に美しいオーロラ色へと変化していく。

 酸味を含んだ甘い香りが立ち上り、ハルアの唾液腺を刺激した。


「……不思議な色。薬品の調合みたいです」

「ここからが本番だ」


 リュージは懐から、小さなガラスの小瓶を取り出した。

 中に入っているのは、さらさらとした「白い粉」の結晶。

 一見すると塩や砂糖のようだが、その粒子の輝きはもっと妖しい。

 これは地球が生み出した、魔法の結晶。


 サトウキビを発酵させ、アミノ酸の純度を極限まで高めた『うま味調味料』。

 味覚が退化した宇宙人にとって、この結晶は脳髄を直接ハックする「合法的な麻薬」に等しい。


「おいしくなーれ……なんてな」


 リュージは小瓶を一振り、二振り、三振り。


 パラパラパラ……。


 白い粉がオーロラソースの中に吸い込まれ、溶けていく。

 その瞬間、ソースのポテンシャルが爆発的に跳ね上がった。

 バラバラだった酸味、甘味、辛味を、この粉が強力な「うま味」という接着剤で結びつけ、一つの暴力的なまでの「美味」へと昇華させる。


「よし、ソースは完成だ」


 リュージは指についたソースを舐め、満足げに頷いた。

 これだけで、ゴム底の靴につけても美味く食える自信がある。


「次は肉だ。宇宙牛の合挽き肉、120グラム」


 リュージはボウルに入ったひき肉を手に取った。

 つなぎは一切なし。塩胡椒もまだ振らない。

 そして、冷たいままのフライパンの上に、肉の塊をドスンと置いた。


「えっ? 焼かないのですか?」

「見てろ。これが『スマッシュ』だ」


 リュージはまだ火のついていないコンロの上で、肉塊の上にクッキングシートを被せると、何かを取り出した。


 重たいミートプレスだ。

 それを肉の上に置き、全体重をかけて――押し潰す!


 グシャァッ!


 肉の繊維が潰れる音が響く。丸かった肉塊は、フライパンの底いっぱいに広がる薄い円盤状のパティへと変貌した。


「肉を……潰した……!?」


 ハルアが悲鳴に近い声を上げる。

 高貴な宮廷料理では、食材の形を崩すなどあり得ないことだ。

「こうすることで、肉の表面積を最大化する。そして……点火!」


 リュージがコンロのつまみを回す。


 ボッ!


 青白い炎が立ち上がり、冷たかったフライパンを一気に加熱していく。

 数秒後。


 ジューーーーーーーーーッ!!!


 猛烈な音が船内に轟いた。

 それまで静かだった肉が、熱によって悲鳴を上げ始めたのだ。

 脂が溶け出し、鉄板の上で踊り狂う。


 肉のタンパク質が熱変性を起こし、メイラード反応と呼ばれる「焦げ」の香ばしさを生み出す。


 その匂いは、強烈だった。

 焦げた醤油のような、焼けた獣のような、本能を揺さぶる茶色い香り。

 換気扇が回っているにも関わらず、その匂いはカウンターを乗り越え、ハルアの鼻腔を、いや、脳を直撃した。


「あっ……んぅ……」


 ハルアは無意識にカウンターに身を乗り出した。

 口の中が唾液で溢れて止まらない。

 栄養ブロックのフルーツ臭とは違う。これは「命」の匂いだ。


 片面がカリカリに焦げるまで焼き付けると、リュージはヘラで一気に肉をひっくり返した。


 バシッ!


 裏返された面は、完璧なダークブラウンに焼き上がっていた。カリカリ、サクサクとしたクリスピーな焦げ目が、見ているだけで食欲をそそる。

 リュージは裏面にも塩と黒胡椒を振りかけ、火を少し弱めて蓋をした。


「蒸し焼きにして、肉汁を閉じ込める。逃がしはしねえよ」


 数分後。

 蓋を開けると、肉汁が透明になり、パティの表面に浮き出ている。焼き上がりのサインだ。

 そこに、鮮やかなオレンジ色のチェダーチーズを乗せる。


 再び蓋をして十秒。

 余熱でとろりと溶けたチーズが、ゴツゴツとした肉の表面を優しく覆い隠し、肉汁と混ざり合ってテカテカと輝き始めた。


「さあ、仕上げだ」


 リュージの動きは早くなる。

 まな板の上に、サクサクにトーストされた食パンを置く。

 その片面に、先ほど調合した『特製ビッグマックソース』をたっぷりと塗る。躊躇してはいけない。端まで、分厚く。


 その上に、シャキシャキのレタスを山盛りに乗せる。

 そして、主役の登場だ。

 チーズを纏った巨大なスマッシュパティを、レタスの上にドスンと鎮座させる。

 肉の熱気でレタスが少ししんなりとし、ソースの酸っぱい香りが立ち上る。

 さらにスライスしたピクルスを数枚散らし、追い打ちとばかりにソースを追加でかける。


 最後に、もう一枚のトーストを上から被せ、手のひらでギュッと押さえて馴染ませる。


 ザクッ、というパンの音が小気味良い。


 リュージは包丁を一閃させ、そのサンドイッチを対角線上に切り分けた。

 断面からは、肉汁とソースと溶けたチーズが混然一体となって溢れ出し、雪崩のように垂れ落ちる。


「完成だ。『リュージ特製・ジェネリックビッグマック』」


 リュージは皿をハルアの前に滑らせた。


「食ってみな。飛ぶぞ」

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