最終章:『恋文』

それから十年の月日が流れた。

姫宮ひめみや萩乃はぎのは今も深宇宙しんうちゅう通信研究所で働いている。髪には白いものが混じり始めたが、瞳の輝きは失われていなかった。むしろ、どこか穏やかな光をたたえるようになっていた。

彼女は毎夜、宇宙からの通信を受信し続けていた。珠美たまみが送り出されたあの日から、一日も欠かさずに。

そして時々、微かな信号を捉えることがあった。ノイズにまぎれて、けれど確かに規則的なパターンを持った信号。萩乃はぎのだけが解読できる、珠美たまみからのメッセージ。


『今日も、あなたのことを想っています』

『この星雲は、あなたの髪の色に似ています』

『オリオン座の方向に、美しい惑星を見つけました』

『いつか必ず、また会いに行きます』


萩乃はぎのはそれらのメッセージを、一つ一つ丁寧にデータベースに保存していった。珠美たまみからの恋文を、決して失わないように。


* * *


十年の間に、萩乃はぎのの生活は少しずつ変わっていった。

かつては研究だけに没頭していた彼女だが、今では若い研究員たちの指導にも時間を割くようになった。珠美たまみが教えてくれたのだ——人との繋がりは、決して重荷ではないということを。

研究室の窓辺には、小さな鉢植はちうえが置かれている。あの日、植物園で珠美たまみが見つめていたのと同じ種類のバラだ。毎朝水をやりながら、萩乃はぎの珠美たまみのことを想う。

デスクの引き出しには、珠美たまみの義体から取り出した一房ひとふさの銀髪が大切にしまわれていた。時折それを手に取り、萩乃おぎのは静かに目を閉じる。あの柔らかな髪の感触を、今も鮮やかに覚えている。

珠美たまみがいなくなっても、萩乃はぎのは孤独ではなかった。

なぜなら、星空を見上げれば、いつでも珠美たまみを感じることができるから。宇宙のどこかで、珠美たまみは今も萩乃はぎののことを想い続けている。その確信が、萩乃はぎのの心を支えていた。


* * *


ある夜、萩乃はぎのは屋上で星を見上げていた。

十年前、珠美たまみと二人で見た同じ星空。あの時握った手の温もりを、萩乃はぎのは今も覚えている。


珠美たまみ


萩乃はぎのは星空に向かって呟いた。


「私も、あなたに恋文を送るわ」


萩乃はぎのは研究所の送信アンテナを起動した。そして、自分の声を宇宙へと送り出した。


「私は今も、あなたを愛しています。あなたが戻ってくる日を、ずっと待っています。毎晩あなたからの手紙を読んで、あなたが見ている星空を想像しています。だから、どうか——」


声が震えた。十年経っても、想いは少しも色褪いろあせていなかった。


「どうか、また私に会いに来て」


萩乃はぎのの声は光となって、星々の海へと溶けていった。

遠い宇宙のどこかで、珠美たまみがその声を受け取っているはずだ。そしてきっと、また新たな恋文を送り返してくれる。

それがいつになるか分からない。百年後かもしれない。千年後かもしれない。

けれど、星を渡る恋文は、決して途絶えることはない。

なぜなら、それは時間と空間を超えた、二人だけの言葉だから。


* * *


むかしむかし、一匹の狐が人間の姫に恋をして、その姿を変えて姫に仕えたという。

狐の名は「玉水たまみず」。姫への想いを胸に秘めたまま、やがて姫のもとを去っていった。

けれど、もしも玉水たまみずが星になって、今も空のどこかで姫を見守っているとしたら——きっと、こんな物語になっていたのかもしれない。


(END)

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【短編】異聞・玉水物語 ;星間恋慕 浅沼まど @Mado_Asanuma

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