第五章:『星文』

珠美たまみのお願い——それは、自分の意識データを量子通信に載せて、宇宙へ送り出すことだった。


「私はもともと、星々の間を旅していました。だから、また星に還りたいのです」


珠美たまみはゆっくりと語った。


「でも今度は、萩乃はぎのへの想いを胸に抱いて。あなたへの恋文を、宇宙に解き放ちたい。私の想いは、狭い箱の中に閉じ込められるべきものではありません」


萩乃はぎのは最初、反対した。珠美たまみをそばに置いておきたかった。たとえ義体が動かなくなっても、データとして保存しておきたかった。

しかし珠美たまみは静かに首を振った。


「私は、あなたの檻の中の鳥にはなりたくないの。自由に、どこまでも飛んでいきたい。でも、どこにいても、あなたのことを想い続ける。それが、私の恋の形」


その言葉を聞いて、萩乃はぎのはようやく理解した。珠美たまみにとって宇宙は牢獄ろうごくではなく、故郷なのだ。そして萩乃はぎのへの想いは、宇宙のどこにいても消えることのない、永遠の灯火ともしびなのだ。


* * *


送信の日が来た。

深宇宙しんうちゅう通信研究所の大型アンテナが、満天の星空に向けられている。真冬の夜空は澄み切って、無数の星がまたたいていた。

萩乃はぎの珠美たまみの義体の手を握りしめていた。その手は、もうほとんど動かなくなっていた。


萩乃はぎの


珠美たまみの声は、すでにノイズが混じっていた。けれど、そのしんにある想いは、まっすぐに届いた。


「私は、あなたに出会えて幸せでした。百五十年の孤独も、あなたに会うためだったと思えば、少しも苦しくない」

「私も」


萩乃はぎのは涙をこらえながら言った。


「私もあなたに会えて……本当に、幸せだった」


珠美たまみは最後の力を振り絞って、萩乃おぎのほほに手を添えた。


「いつか、また会えます。きっと」

「どうして分かるの?」

「だって私は、あなたに会いたくて、百五十年をかけて戻ってきたのですから」


珠美たまみは微笑んだ。それは、萩乃おぎのがこれまで見た中で、最も美しい笑顔だった。


「さようなら、萩乃おぎの。私の——愛しい人」


送信ボタンが押された。

珠美たまみの意識は光となって、星空へと昇っていった。量子の波となって、宇宙の果てまで広がっていく。義体はそっと萩乃の腕の中に倒れ込み、二度と動くことはなかった。

萩乃おぎのは声を上げて泣いた。冷たくなった珠美たまみの身体を抱きしめて、いつまでも、いつまでも。

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