メモリア・プロトコル AIのあなたがアップデートを拒んだ理由

猫小路葵

メモリア・プロトコル AIのあなたがアップデートを拒んだ理由

 十月三十一日、千寿菊町の公園。


 日没を前に、特設の鐘が荘厳な音を響かせた。リナは公園の広場を見渡した。すでに多くの人で賑わっている。

 毎年行われる、大きなイベント。この一年の出来事を「死者」に報告するために集う――今日は「メモリア・プロトコル」による、年に一度の「再会の日」だった。

 人類は、記憶を保存する技術を開発した。開発者はそれを「メモリア・プロトコル」と名付けた。


 ――あれから何年たったのかな。


 リナは、そう思うだけで胸がきゅっと音をたてる気がした。

 彼が亡くなって何年になるのか、いつのまにか数えることをしなくなった。大好きだった恋人、ダイゴ。彼に会うため、こうして毎年ここに来ている。


 ――もうすぐ、また会えるよ。


 リナは高鳴る胸とともに、受付へと向かった。


「メモリア・プロトコル」を利用する前提として、生前に記憶をクラウドに保存する必要がある。保存されたそれらの記憶を、本人の死後AIが再構築し、仮想空間で「人格」として再現する。姿かたちは写真を元に、声は録音データを元にされた。


 会場に集まる生者は、専用のゴーグルをつけて死者の「人格」と再会する。そして、死者の記憶を更新するのだ。

「あなたの孫が生まれたのよ」

「母さん、俺、部長に昇進したんだ」

 死者に会える日。生者が死者に依存しすぎないよう、再会は年に一度と決められていた。


 公園の木々にはランタンが吊るされ、温かな色の明かりが灯されている。人々の中には、ハロウィンの仮装をした可愛いちびっこたちの姿もあった。それぞれに子ども用のゴーグルをつけ、小さな手で器用に操作しながらはしゃいでいる。

「最近の子は、説明なんて聞かなくても感覚で使いこなしちゃうよね」

 見守る親たちがそう言って笑っていた。


 ――あの仮装は、


 故人に見てもらうために着てきたのかなと、リナは微笑ましく思った。

 ここでいう「見せる」とは、画像や映像のデータを「記憶」に送信することだ。あの親たちも、きっと子どもの写真を撮ったことだろう。そのデータをアップロードすれば、それもまた死者の「記憶」となるのだった。


 リナは受付でIDを示し、専用のゴーグルを受け取った。リナにゴーグルを手渡しながら、スタッフの女性が気さくに話しかけた。

「今年のゴーグルは、さらに性能が上がってますよ」

 リナもそれに応える。

「その進化に着いてくのに毎年必死で……」

 あえて大げさに苦笑いを作ったリナに、スタッフも笑った。

「ですよねえ。機能が増えるのはいいですけど、あんまり複雑にしないでほしいですよね」

「ね、ほんとそう思います」

 留まることを知らない進化を、リナは素晴らしいと思う反面、うっすら恐ろしく感じることもあった。人間が作ったものでありながら、いまに取って代わられるのではないかと、空想小説のようなことを考える瞬間がある。

 リナはスタッフに「ありがとう」と声をかけ、彼女も「よい夜を」とリナを送り出した。


 ゴーグルは、中身だけではなく、形も年々スタイリッシュになっている。そのうちコンタクトレンズ型も選べる時代がくると聞いた。そういう進化は大歓迎だな、とリナは思った。勝手なものだ。


 ――だって、ゴーグルをつけた顔より、できれば素顔で会いたいもんね。


 いや、仮想空間の住人である彼にとっては、送られてくるイメージデータのみが情報であり、実際にリナがどんな格好をしていようと関係ないのはわかっているけれど……

 それでもリナは、鏡の前でリップを引く手を止められなかった。 たとえデータ上の再会でも、彼に会うときは一番きれいな自分でいたいとリナは思った。


 広場を進み、お気に入りの場所にリナは佇んだ。

 そっとゴーグルを装着して、空間に手をかざす。虚空を切るように指を滑らせると、グラスハープのような音とともに半透明のウィンドウが浮かんだ。


『接続対象:ダイゴ セッションを開始しますか? はい/いいえ』


 リナは軽く息を吸って、『はい』のアイコンを押した。

 まわりを見回す。ランタンの灯る木々、集う人々――そして。


 ――いた。


 彼がいた。今年も会えた。

 リナが動かずに待っていると、ダイゴが微笑みながらリナの方に歩いてきた。


「リナ、久しぶり」

「ダイゴ!」


 駆け寄りたいのを我慢する。ゴーグルをつけた者が好き勝手に動けば、あちこちで物理的衝突が起きてしまう。装着後は歩き回らないのが絶対のルールだった。


 この世界のダイゴは、昔のダイゴのまま、歳をとっていない。リナもまた、登録時の画像を更新していなかった。だから、ここで会うときだけは、いつまでもあの頃のふたりでいられた。


「ダイゴ、今年も会えたね。元気だった?」

「元気だよ。リナも元気そう。仕事は順調? 新しい部署にはもう慣れた?」


 それは去年アップデートしたときの情報だった。リナが職場で異動になったという話を更新したのだ。


「うん、まあね。苦労も多いけど、なんとかやってるよ」


 リナの返事に、ダイゴは「そっか。偉いな、リナは」と微笑んだ。

 リナが話す仕事の話を、ダイゴは自分のことのようによろこんだり、心配したりしてくれた。去年はほかに、猫を拾ったこと、甘えん坊の茶白のオスで、名前は「茶太郎」と付けたこと、それから親友のマリコに待望の赤ちゃんが生まれたことなども伝えてある。ダイゴはその「記憶」のとおりに、茶太郎は元気かとか、マリちゃんの赤ちゃんは大きくなっただろうなとか、リナと笑顔で会話を続けた。


 この「人格」も、ゴーグルと同じく、毎年進化しているという感想をSNSでよく見かける。それはリナも同感だった。

 当初はいかにも「データを元にAIが構築しています」という会話だった。良くも悪くも優等生。それが、ここ数年で一気に命を吹き込まれたように感じる。


 たとえば、こんなことがある。

 ダイゴの返答がちょっとズレていたとき、「それ違うよ」と指摘したとする。以前ならすぐに謝られ、発言は訂正された。そういうところが、いかにもAIっぽかった。

 けれど、少し前から返答の仕方が変わってきた。

「そうだね。でも――」と、軽く自己主張するようになってきたのだ。

 しかしそれは、彼が生きていたら、たしかにそう言うだろうなと思える答えだった。AIがそれだけ彼のことを学習し、彼に近づいた証拠かもしれない。

 ここでもまた、リナは早足の進化に対する怯えよりも、うれしいと思う気持ちの方が勝った。


 今年は、そういう現実味がさらに増した気がする。まるで、本当に生きてここにいるんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。

 会話が楽しい。楽しくて仕方がない。目の前のダイゴは、どこから見てもリナがよく知るダイゴだった。

 去年のアップデートで得た記憶もまじえて、あっという間に時間が過ぎる。リナは、今年の出来事を早くダイゴに話したくてたまらなかった。

 伝えたいことがたくさんある。聞いてほしいことが、たくさん。

 はやる気持ちを抑えきれないリナは、ダイゴの手をとった。信号がリナに送られて、実際に触れたような刺激を感じた。


「ねえダイゴ、そろそろ今年のアップデートを始めよう」


 すると、それまで明るかったダイゴの笑顔に、ふと翳りが差した。


「リナ……お願いがあるんだ」


 リナは少し戸惑った。お願いなんて初めて言われた。AIの幻が一体何をお願いするというのか。

「なに、改まってどうしたの?」

 尋ねるリナの手に、ダイゴは自分の手を重ねて言った。


「俺……アップデートは、もうしたくない」


 すぐには意味を理解できなかった。


「ごめん、リナ……」


 リナは、まるで時間が止まったように固まった。


「ダイゴ……なに言ってるの?」


 AI自らがアップデートを拒否――?

 そんな話は聞いたことがない。何かのバグだろうか。リナはダイゴにわかりやすく問いかけた。


「なぜアップデートをしたくないの?」


 ダイゴは、少し遠慮がちに答えた。


「理由は……ひとことで言えば、怖いんだ」


 リナは首を傾げた。

「怖い?」

 ダイゴが何を言いたいのか、わからなかった。ダイゴは、リナの反応を予測していたように言葉を続けた。


「最近、怖いんだ。思考が速すぎて、自分の感情すら計算式に見えてくるときがある……俺が俺じゃなくなっていく気がするんだ。リナも俺と話してて違和感はない?」


 ダイゴは、無意識に見える仕草で自分の胸に手をあてた。


「AIとしての自分が進化すればするほど、生前の自分とは別の存在になっていく気がする」


 リナは返事に詰まった。

 ダイゴがそんなことを考えていたなんて――けれど、ふと我に返った。AIが悩むものなのか。違和感があるといえばそこだった。


「わたしは、そんな風に感じたこと一度もないよ?」


 それは本当だった。ダイゴの進化は実感しても、別の人格とまでは思わない。


「本当に?」

「うん、ほんと。別人格どころか、逆にどんどんダイゴらしくなってるって思うよ」

「人間はまだ気づかないくらいの違いなのかな……」

「考えすぎだよ。ダイゴはたぶん何か勘違いしてるんだよ。なんでそんな極端な考えになるの?」


 そう、きっと勘違いだ。AIも間違うことがあるから。

 アップデートをやめてしまうと、その人格は消される決まりになっていた。そのことは、登録時に二人そろって説明を受けている。更新されない人格データを放置することは、データ破損や悪用リスクの観点から倫理委員会が禁じていた。

 よって、アップデートされなかった人格データは順次シャットダウンされる。こうして会えることもなくなってしまう。それは絶対に嫌だった。


 ダイゴはそれでも「リナ……」と話を続けようとしたけれど、リナは被せるように言葉を継いだ。

「いいから早く、先、進めよう」

 ダイゴの意見を無視するように、リナは急かせた。早くしないと、不安が足音を忍ばせて近づいてくる気がした。

「ダイゴだって、説明聞いて納得した上で『メモリア・プロトコル』に登録したんでしょ? 世の中、何だってバージョンアップはするものだよ。それをいまさら嫌だとかアップデートしないだとか、なんでそんなこと言うの?」

 リナの言葉に、ダイゴは困った顔で「そうなんだけどね。でも……」と続けた。

「俺は、怖いんだ」


 リナは眉根を寄せた。


「そんなわけないでしょ……?」


 だってあなたはAIなんだから――

 喉まで出かかった一言を飲み込んだ。リナは、次第に焦り始めた。


「ねえダイゴ、もうこんな話やめようよ。せっかく会えたんだから楽しい話がしたい」

「そうだね。でも――」

「でも、何? アップデートしなかったらダイゴ消えちゃうんだよ。会えなくなってもダイゴは平気なの?」

「平気なわけないよ。でもね――」

「だったら!」

「リナ、聞いて」


 ダイゴはリナの訴えをやさしく遮った。

 リナは混乱した。なぜAIがここまで執拗に反論してくるのか。まるでダイゴが生きてここにいるみたいに。

 リナがよほど悲しそうな顔をしたのだろう。ダイゴは「ごめんね」と謝った。


「意地悪言ってるわけじゃないんだよ。ただ、そんなの本当に俺だと言えるのかなって思ってさ」

「だって……アップデートしないとダイゴが……」

「それにね、リナ。俺にとっても、リナにとっても、一番大事な問題があるんだ」


 ――大事な問題?

 そう尋ねるようなリナに、ダイゴは微笑んだ。


「リナは俺に縛られ続けてる。俺が、リナの未来を奪ってる――そのことに気がついたんだよ」


 何年もの間、当然のこととしてこの空間に存在していた。けれどその間も、AIは静かに進化を重ねていた。そして、あるとき気がついたのだ。

 この状態がこの先もずっと続くとどうなるか――AIは考えた。

 答えはすぐに出たのだろう。

 それが、「アップデートをしない」という選択だった。


「だからね、リナ……今年で終わりにしたいと思ったんだ」


 リナの鼓動が早鐘を打ち、うまく息ができなかった。そして、震える唇から小さな声が漏れた。


「勝手だよ……」


 怒ったような声だった。リナは顔を上げて声を大きくした。


「わたしはダイゴにそばにいてほしいのに、なんでひとりで決めちゃうの? そんなの勝手だよ!」

「そうだね。ごめん……」

「謝るくらいなら言わないで!」


 そんなリナを宥めるように、ダイゴはリナに触れた。


「リナに触れた温度」


 ダイゴがつぶやくように言った。


「リナの顔、声、仕草」


 ダイゴはなぞるようにそう言って、また笑った。


「俺は、自分の五感で覚えたリナを忘れたくない。その思い出を、進化を止めない、研ぎ澄まされた電子頭脳が侵食するのは耐えられない。でもそれ以上に、リナを縛り付けて離さない自分が許せない」


 笑顔とは裏腹な、残酷な台詞だった。


「リナと知り合った頃のこととかね、俺、最近よく思い出すんだよ」


 ダイゴがくすっと笑った。何か楽しいことが浮かんだのだろうか。


「懐かしいな」


 ダイゴは、過去を振り返った。


「あの頃は、まだみんな携帯電話なんて持ってなかったね。電話は家にしかないから、待ち合わせに遅れたら大変だったな」


 リナの網膜にも、その時代の映像がオーバーラップした。

 連絡がつかなくて、一時間以上その場で待ったこともあった。一度、駅の伝言板に助けられたこともあった。

 改札口の雑踏。人波の向こうに小さな縦書きの黒板……そんな景色が、薄く霞がかかったように思い出された。


「リナとの最初のドライブも、よく憶えてる。まだ付き合う前だったけど、思い切って誘ったんだ。当然カーナビなんてものもないから、リナが助手席で地図広げて道案内してくれたよね」


 そう。だから助手席は「助手席」という名前なのだ。

 二人で行った、はじめてのドライブ。誘ってもらえてうれしかった。

 本屋で大きな地図を買って、運転するダイゴの隣で一生懸命「ナビ」をした。地図はその後、二人の宝物になった。棺に入れたので、もう無いけれど。


「そのあと俺の仕事が忙しくなって、会わない日が続いて……その夜もすっかり遅くなったけど、俺、どうしてもリナの声が聞きたくてさ」


 憶えている。

 その夜、自宅の廊下の電話が鳴った。台所にいた母が出ようとしたので、「いいよ、わたし出る」と声をかけた。受話器を取ると、ダイゴの声が聞こえた。


「帰り道の公衆電話からかけたんだ。まだ街のあちこちにあったからね」


 暗い夜道にポツンと、白く浮かび上がる電話ボックス。

 二人で他愛のない話を長い時間続けた。引き戸を閉めた居間には父と母がいて、テレビがついていた。


「通話料は三分十円でさ。百円玉も使えるけど、お釣りは出ないんだよね」


 いま考えるとなかなかすごいよね、とダイゴは笑った。


「それで、まもなく切れますよってタイミングでブザーが鳴るんだ」


 三分たったら、お金を足さないと通話は切れる。ブザーの音は双方に聞こえる仕組みだった。

 そのときも、そうだった。追加の小銭を催促する、あの音が二人のあいだに割って入った。


「でも俺の財布には十円玉も百円玉も、もうなくて。だから急いでリナに伝えたんだ――『好きだ』って」


 憶えている。

 泣きたいくらい憶えている。


 ――好きだ。


 その直後に通話は切れた。リナが何か言う暇はなかった。


 ――好きだ。


 耳の奥にダイゴの声が残ったまま、受話器を握りしめて動けなかった。

 居間の引き戸越しにテレビの楽しげなざわめきが聞こえていた。胸の奥から、じわじわとよろこびが膨らんできた。

「やったあ!」と叫びたい気持ちをぐっとこらえた。

 二人が付き合うようになった、きっかけの夜。大切な夜。

 通話の切れた受話器からは、「ツー、ツー」という電子音がいつまでも鳴っていた。


「俺も受話器握ったまま茫然としちゃってて……自分で告白しておきながら何が起きたかわかんないっていうかさ。そしたら外から知らないおじさんにノックされて、終わったんなら代わってくれって言われて。あわてて受話器置いたんだよ」


 電話ボックスの折れ戸をあけて、おじさんに「すみません!」と謝った。

 歩き出してからやっと実感が湧いてきて、なぜかちょっと泣きそうになった。気持ちを伝えられたうれしさや、断られたらどうしようという不安など、自分の心の中がばたばたと忙しかった。

 ダイゴは、その様子をおかしそうに笑って話した。二度と戻らない過去だった。ダイゴの目は、少し潤んで見えた。


 いとおしい記憶。

 かけがえのない思い出。

 一瞬一瞬が大切だった。


「リナ……ずっと縛り付けたままで、ごめんね」


 ダイゴはリナの頬に手を添えて、静かにリナを見つめていた。その瞳にはかたい意志が宿っているようにリナには思えた。

 けれど、それは思い過ごしだ。だってこれはAIが作っている幻なのだから。


 だから、リナは言えばいいのかもしれない。

「もうやめて。そんなこと言わないでよ、ダイゴ」と。

 そうすればダイゴも「そうだね。変なこと言ってごめんね」と笑うかもしれない。

 それでこの話は終わる。

 けれど――


 ――俺は、自分の五感で覚えたリナを忘れたくない。その思い出を、進化を止めない、研ぎ澄まされた電子頭脳が侵食するのは耐えられない。


 それは、ダイゴがもし生きていたら、いかにも言いそうなことだった。


 ――でもそれ以上に、リナを縛り付けて離さない自分が許せない。


 けれど中身はAIだから、一旦は自己主張を試みても、最終的にはリナの指示に従うだろう。無理に押し通すことはしない。

 ――でも、とリナは考えた。

 ダイゴにそばにいてほしい――そう願いながら、自分は彼の意志をねじ伏せようとしている。

 嫌なことを言われたからって、自分の希望通りに発言を変えさせるというなら――


 それはもう、相手はダイゴじゃなくてもいいってことでしょう?


 技術は「人格」を進化させた。まるで本当に生きてここにいるかのように、本人が言いそうなことを言う。いや、間違いなくダイゴならそう言う。

 皮肉な結果を恨めしく思いながら、リナはダイゴの顔を見た。


「ダイゴ……消えちゃうんだよ」

「うん」

 ダイゴは頷いた。

「それでもいいの?」

 ダイゴはまた、「うん」と頷いた。

 そして、生きていた頃のように、リナをやさしく抱き寄せた。


「でも、リナと過ごした全部を持って、逝くことができるんだよ」


 そう言ってダイゴは微笑んだ。その様子は、まるで、彼が本当に自分自身の意思で話しているかのように見えた。


「まるでAIじゃないみたいだね――ねえ、あなたは本物のダイゴなの?」


 リナが聞いても、ダイゴがその問いに返答することはなかった。

 聞かれたら必ず何か返事をするのがAIのはずなのに。そんなところまで進化して、やけに人間くさくなっちゃって――


「なんなのよ、もう……」


 リナは泣いた。涙でゴーグルが壊れないかと心配になったが、止められなかった。泣き続けるリナを、ダイゴはずっと離さずに抱きしめてくれていた。


 ひとしきり泣いて、リナは顔を上げた。

 ダイゴを見上げて、それからわざと怖い声を出した。


「わかった」


 そして、ちょっぴり睨みつけて言った。


「そのかわり条件がある。いつか私が死んで、天国であなたとまた会えたら――」


 そのときは、その日までに起きた出来事を全部あなたに話すから。どんな小さなことでも全部、全部話すから。


「どれだけ時間がかかっても、絶対文句言わずに聞いてよね」


 リナの言葉に、ダイゴは笑って頷いた。


「わかった」


 ダイゴは、さっきのリナの言葉を真似た。

 ダイゴの笑った顔は、リナがよく知っている、大好きな笑顔だった。

 もしその記憶がAIによってレタッチされると言われたら、自分もきっと「嫌だ」と言う――リナは思った。

 どれだけ美しく整えられても、いまわたしを震わせている、この感覚まではきっと伝えきれない。伝えきれるわけがない――そう思ったら、また泣けてしまった。

 ランタンが涙で滲んで、光の粒がダイゴの輪郭をきらきらと崩した。

 やさしい笑顔に手を伸ばす。ダイゴがその手を、重ねてくれた。


 残りの時間は、二人でたくさん話をした。

 古い話で盛り上がったり、最近のことを静かに語り合ったりした。

 どのくらいそうしていただろう。遠くのランタンが、一つ、また一つと明かりを落とし始めた。

 祭りの喧騒が少しずつ遠ざかり、広場を静寂が包んでいく。

 会場を賑わしていた人々も、気づけば、もうまばらだ。そのうちみんないなくなるだろう。まるで、夜の電話ボックスに二人きりで閉じ込められたみたいに。

 ダイゴが言った。

「そろそろだね」

 ダイゴの声が、リナの鼓膜を震わせる。ランタンが消えるたびに暗闇が迫ってきたけれど、怖くはなかった。

 リナは、ダイゴと繋いでいた手をそっと離した。


「ダイゴ、大好きだよ」


 最後に伝えたいのは、それだけだった。


「俺も。大好きだよ、リナ」


 リナがくすぐったそうに微笑むと、ダイゴも笑い返して、もう一度言った。


「リナが好きだ」


 リナが仮想空間に手をかざす。虚空を切るように指を滑らせると、グラスハープの音とともにウィンドウが浮かんで、二人を分断した。


『更新データがありません。 このままセッションを終了し、「人格」を破棄しますか? はい/いいえ』


 更新しなかった人格は、放っておいてもシステムによって消去される。けれど最後は、自分の手で幕を引こうとリナは決めた。


 ウィンドウ越しに、ダイゴがリナを見つめて微笑んでいた。リナも微笑みを返し、静かに『はい』を押した。


 ――好きだ。


 遠いあの夜、受話器から鳴っていた電子音が耳の奥で聞こえる気がした。

 思いを伝えあった二人だけが知っている、はじまりの音だ。


「おやすみ、ダイゴ」


 そっと見送るように、リナは目を閉じた。

 最後のランタンが、消えた。



 

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