【古賀コン10】ぼくにもできそうって思いなよ

冬寂ましろ

🍳🍳🍳


 ああ、これならぼくにもできそう、って思ったのは、小学4年生の頃だった。なぜ正確に覚えているかというと、『小学4年生』という子供向け雑誌に載っている料理のレシピだったから。少し甘めのスクランブルエッグをトーストに乗せたり、たらことマヨネーズを混ぜ合わせたのをパンに塗ってサンドイッチにしたり、そんなのを女の子が作っている記事だった。包丁を使わないから、ぼくにもできた。何より母が喜んでいた。おいしいって。それがすごくうれしかった。


 あの頃の母は、自分一人でぼくを育てるため、夜の職業をしていた。毎朝お酒の匂いをさせて帰ってくる。ひどいときはトイレで吐いたりしていた。さすってあげたり、うがいするための水を持っていくのはぼくの役目だった。母はそんなぼくをよく友達に自慢していた。かわいくてやさしい私の自慢の息子だって。


 でも母はちゃんとはしてくれなかった。酔いつぶれたせいで遠足のお弁当は作ってくれなかったし、ときおり給食費を忘れてしまう。いまにして思えばひとりで子供を育てているのだから、それぐらい大目に見てあげるべきなんだと思う。でも子供だったぼくはそれが許せなかった。だから、ぼくがちゃんとした。貯金の管理をしたり、ご飯を作ったり、そんなことぐらいは自分でしていた。


 そうそう、あの頃嫌だったのが母が焼いたステーキだった。母はせっかちだったから、火をかけたばかりのフライパンでステーキ肉を焼いてしまう。そうすると肉汁が流れ出して、ぱさぱさのステーキができあがる。すごく固いんだ。噛み切れなくて、口の中でうえってなる。母はイライラとしながら「エキスだけ味わいな」とかよくわからないことを言う。どうしても飲み込めなかったものは、当時飼っていたシーズーのジローが、おいしそうに食べてくれた。

 母はちょっとおかしくて、ぼくに栄養をつけさせようと考え、もっといろいろあるだろうに、やたらステーキ肉を買い込んでいた。それも冷凍して何十個も。ぼくはそれに危機感を覚えた。このままおいしくないステーキを食べたくない。とはいえ、どうしたらいいのかわからない。困っていたとき、たまたま「きょうの料理」という番組を見た。なんかできそうな気がしたから、実際にやってみた。強火で肉をいじらず焼き目をつけて、ホイルで休ませる。すごくおいしかった。ああ、ぼくにもちゃんとおいしいステーキを焼けるんだと思った。何より母が「んんーっ!」と一口食べるたびに幸せそうにしてくれた。


 あの頃はいろいろな料理番組を見た。三分間とか、料理バンザイとか。作っている最中に「おい、スティーブ!」と叫ぶ外国の番組はとても楽しかった。そうして料理を覚えていった。中学に上がるころには、食事当番はぼくの役目になっていた。


 ぼくから僕に代わる頃、重要な問題が起きた。学生服の詰襟がとても苦手になった。喉のあたりがやたら苦しくてつらい。かといって開けていたら、なぜだか僕には似合わない。男らしいことをすべきなのに、いまだにジローを抱えて寝ていた。変だなとは思っていたけれど、その詰襟の苦しさが、僕が生きて行く苦しさになった。ああ、僕は普通じゃないんだと思い知らされた。自然と学校には行けなくなって、僕は母を困らせた。母は祈祷師とか胡散臭いものに僕を見せるようになった。それはとても困った。あのステーキ肉のように自分では解決できなかったから。


 そんなとき、アイツがよく遊びに来てくれた。同じクラスで、たまたま好きな漫画と小説が似ていて、よくそんな話しをしていた。みんなのように「学校に来いよ」とは言わず、ただ「冬寂ましろの新刊読んだ? あそこであのセリフを言わせるの、グッときた」とか、そんな話だけをしてくれた。近所の公園に連れ出してくれて、ベンチに座り、缶ジュースを飲みながらそんな話で笑い合うのが、僕にとって唯一安心できる時間になった。


 いまだに学校へ行かない僕を見て、母は「田舎暮らしをさせよう」となぜか思い立ち、ぜんぜん知らない山奥のほうへ引っ越すことになった。引っ越しのとき、アイツは荷物運びを手伝ってくれた。僕はお礼にステーキ肉を焼いて食べさせてあげた。スープはマッシュルームのポタージュ。じゃがいもにはたらマヨをかけ、生意気にもクレソンのサラダまで作った。アイツは「うまいな」とひたすら食べていた。ご飯をおかわりまでするぐらいに。僕がアイツに「おいしい?」と聞いたら「めっちゃうまい」とだけ言って、また肉に箸をつける。初めて母以外から、僕の料理を褒められた。うれしいけれど、こそばゆいような、顔が熱いような、妙に困ってしまったのを覚えている。


 そしてアイツと別れた。もう会えないんだろうなと、その日の夜は朝になるまでジローを抱えて泣いていた。


 それから僕は世間というものにずっとなじめなかった。男のふりをして生きて行こうと思ったけれど、それでも背広とか着ないで済む職につこうと努力した。大学は結局行かなかったけれど、編集者の職に偶然就くことができた。そしてアイツと再開した。まさかアイツが作家になっていたなんて思いもしなかった。筆者と編集という仲だったし、それ以上はなかった。それでもときおり飲んだり、おいしいものを食べに行ったりはしていた。


 アイツには彼女がいた。ふたりでうれしそうにしているのは何度も見ている。そのことに僕は傷ついたりとかはしなかった。ただ遠くからそれを眺めている、どこか違う星の人になった気分だった。でも僕はちょっとかわいそうに思っていた。彼女はよくアイツをこう言う。「ぜんぜんお金を稼げない人なので」、「世間知らずだから」、「やさしくない人なんです」。そのたびにアイツはへらへらと笑っている。そんなことないのに。アイツと過ごした時間がそれを教えてくれていた。だから、アイツの彼女が、僕の詰襟なのかもしれないと、うっすら思っていた。


 ある日、会社用の携帯へアイツから電話が来る。ぽつりぽつりと何かを言っているけれど、意味がそこから読み取れない。様子がおかしいと思ってタクシーに乗って迎えに行く。アイツは、僕がぼくだった頃、よく話していた公園のベンチに座っていた。もうへらへらと笑っていない。話をどうにか聞き出すと、彼女にほとんどのお金を持ち去られたらしい。捨てられたことよりも、どこか自分を失くしているように思えた。


 僕はアイツを自分の家にまで連れてきた。ひとりぐらしの小さな部屋。その頃、僕は母と別居していた。宗教が母の世界になっていたから、僕は母から離れてあげるのが親孝行だと思っていた。アイツはそのことを聞かないでいる。ただじっとベッドに腰かけてぼんやりとしている。アイツに栄養をつけさせて元気にさせようと思ったけれど、それがステーキだと思い付くあたり、僕も母の血を引いているんだなと思って苦笑いした。母がいらないと言っても送ってくる冷凍ステーキ肉を解凍し、じゅうじゅうと焼いてあげた。あのときみたく大した付け合わせは作れなかったけれど、それでもアイツは「これが食べたかった」と言って、またご飯をおかわりしてくれた。


 その日の夜、初めて僕を抱いたとき、アイツは泣いていた。「ちゃんとお前を抱けた」と何度もそう言って泣いていた。悩んでいたのは、結局アイツも同じだった。


 そして僕から私に変わって、もう10年ぐらい経ったかな。いまでも、ずっとアイツと暮らしている。とくに変わったところはないけれど、アイツの料理の腕があがったことにはびっくりしている。元々彼女に節約レシピでご飯を作っていたようだけど、私の料理を見ていたら、自分にもできそうだと、ひとりでいろいろなものを作り出した。アイツはそのせいでフェイジョアーダとかボルシチとか、なぜだか外国の料理が得意になってしまった。スティーブに大感謝だ。

 私はやたらステーキのレパートリーが増えてしまった。アイツが好きだからつい焼いてしまう。いまは大根おろしとシソの和風ポン酢ステーキがアイツのお気に入りだ。


 世間から見れば、私達は怒られたり、無かったものにされている。そのことに悲しむときもあるし、いまだに他人へ気を遣っているところはある。それでもアイツとの仲は変わらない。きっと別れたとしても、またくっつくと思う。私のご飯が食べたいって、アイツはいつも言ってるから。


 わりと幸せなんだ、私達は。


 だから、思うんだ。私みたいな……ううん、ぼくみたいな人がいたら、こう思って欲しい。ぼくにも生きられるだろうか、と迷っている誰かに。ぼくにもできそう、って。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【古賀コン10】ぼくにもできそうって思いなよ 冬寂ましろ @toujakumasiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画