共鳴違反〜通じ合わない平和〜
野槌エサル
共鳴違反〜通じ合わない平和〜
「今日は曇りですね」
「ハサミって、時々どっか行きますよね」
「仕事、大変でした?」
「豆腐にラー油かけたらおいしいって聞きました」
私はうなずく。彼も、笑ったふりをする。ズレている。きちんとズレている。
それがこの世界の、正しい会話だ。通じないことが、何よりも優先される。会話は、意味があってはいけない。
昼休みに、コンビニに弁当を買いに行った。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「納豆って、1パックの方が安心しますよね」
私はカードを差し出す。店員は無言でスキャンし、レジ袋を差し出す。
「お箸おつけしますか?」
「……昨日衣替えをしました。」
ほんとは箸が欲しかったが、つけてもらえなかった。
笑顔。ズレている会話。いつもの平和。多少の不都合はあるが、世界はきちんと、破綻していない。
職場に戻って弁当を食べていると、隣の同僚が手元のカップをうっかり落とした。
それは昔、自分の母が持っていたものに少し似ていた。
陶器の破片が床に散り、彼は、しゃがみこんでそれを静かに集めていた。
私はつい、声をかけてしまった。
「……それ、大事なものだったんじゃないの?」
彼の動きが止まった。視線がゆっくりと、こちらに向けられる。
その顔には、驚きでも怒りでもない、少しの緊張感と、ほんの少しの覚悟のようなものが感じられた。
彼は小さく、息をのんだ。
「……うん。昔、母が買ってくれたやつで……」
そのとき、天井のスピーカーが音を発した。
ピッ!
【共鳴度レベル1:注意】
【感情の同調を検出しました】
空気が凍る。
彼は黙ってコップの破片を慌ててかき集めると、そのまま去っていった。
机は翌日、別の誰かのものになっていた。
誰も、理由を聞かなかった。
……かつて人々は、対話を信じていた。話し合えば、争いは避けられると。
それが相互理解を生み、世界はきっと平和になると。
だが実際には、違った。
話し合いをすることで、最初は分かり合えているように見えていても、やがて、様々な駆け引きが用いられ、マウントの取り合いが始まった。
そして.その互いの駆け引きは見透かされ、信頼はひずみ、ズレは深まった。
その果てに、世界は大きな戦争を経験した。
また、別の時代には、多くを語り、多くの人を共感させるものが現れた。
その共鳴が波紋のように広がり、多くの人がつながっていった。
やがてその動きは大規模なデモとなり、反乱となり、結果的に無数の命が失われた。
言葉を尽くしても分かり合えないのだ。わかり合おうとすればするほど大きなズレを引き起こす。
また逆に、大きな共感を生む者は、偏った思想を助長させ、狂信的な信者を作り出す。
共感は引火性が高すぎた。
だから私たちは選んだのだ。
「通じ合わない」ことを、新たな安全装置として。
感情は伝えない。意図は隠す。ズレた会話が、最も平和な会話とされた。
通じ合うこと、共感、は監視され、チェックされ、ポイント化されていた。
今日の同僚は、きっとそのポイントが一定のラインを超えてしまったのだろう。他人事ではない。自分も、今日の出来事は間違いなくポイントとして加算されている。
そうして今、私たちはお互いをわからないままに生きている。
通じ合わない、いつもの日常を終え帰路につく。
……夜。
駅のホームのベンチで、私はただ風に吹かれていた。
誰とも通じず、何も交わさず、今日も何も起きなかった一日を、ぼんやりと振り返っていた。
そのとき、隣に腰かけた女性がぽつりとつぶやいた。
「……心から笑えました?」
「えっ?」
「今日一日、心から笑えた瞬間って、ありましたか?」
「……いや」
その女性のまっすぐな問いかけに、思わず、まっすぐに答えてしまった。
しまった、と思った。
が……その瞬間、彼女はにっこりと笑った。
それは、間違いなく、心からの笑顔に見えた。
その笑顔を見た瞬間、心の中の何かが決壊した。ずっと押し込めていた何かが、溢れ出そうになる言葉となって、そこにまとわりつく鎖を跳ね除けようとした。
……そのとき。
ピーーッ!
大きな警告音が、空間を切り裂いた。ホームに響き渡るその音に驚く人々。
彼らの冷ややかな視線が突き刺さる。
スピーカーが言う。
【共鳴度レベル3:重大違反】
【強力な感情の接続を確認】
【即時対応班を派遣します】
彼女は、こちらを見ていた。
にっこりと……さっき見せてくれたまっすぐな笑顔だった。少しだけ違うのは、優しく潤んだ瞳だった。
私は、何も言えなかった。
遠くから、黒い制服の集団が近づいてくる。その足音が、やけに規則正しく響いていた。
「……ごめんね……」
その一言だけを私はようやく絞り出していた。
彼女は小さく首を振った。
「……ありがとう」と唇が動いた。
誰かに腕を取られた。
後ろから、静かに力強く拘束される。
ああ、そうだ。これが、共鳴違反の罰だ。
これから、何日もかけて、いくつかの矯正プログラムを受けさせられるだろう。
ほんの少し通じ合っただけで、たったそれだけのことで。
彼女がもう一度、笑った。
それに応えるように、私も口角を上げた。
なぜか、目の奥が熱い。
気がつくと私は涙を流していた。
それは自分でも信じられない反応だった。
涙なんて、もう忘れていた。
最後に泣いたのがいつだったかなんて、思い出せない。
でも今……視界がにじんだ。
誰にも見せてはいけない、繋がることによって生まれた感情が、頬をすべり落ちる。
静かに、静かに、私の世界は、この世界では許されない正しさを取り戻そうとしていた。
(了)
共鳴違反〜通じ合わない平和〜 野槌エサル @esaru
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