第2話 ママとパパへ

ママとパパがたくさんお勉強をして、小学校に合格しようねって言ったの。



 

 幼稚園が終わったら、お迎えのシッターさんと一緒に塾へ行くこと。塾は一個だけじゃなくて、お勉強の塾と、お話を練習する塾と、運動をする塾があるんだ。火曜日はピアノ、木曜日はスイミングがあるから、習い事を二個行く日もあるよ。でも、日曜日だけは何もないお休みの日。ママが映画を流してくれたり、お絵かきも折り紙をたくさんできる日。一番好きな曜日は日曜日。



 

 毎日とっても忙しいけど、小学校に合格したいから頑張らないといけないんだ。きっと頑張ったらいいことがあると思う。




 

 

 小学校のテストの日には紺色のワンピースを着て、髪の毛も可愛く結んでもらったの。ママとパパと三人で手を繋いで電車に乗って行ったよ。偉い先生とお話をしたり、先生に言われた絵を描いたりしたけど、すごく緊張した。そしたら次の日の朝に、ママとパパが「小学校に合格だ」って大喜びで教えてくれたの。ママとパパが喜んでくれたことが嬉しかった。私がお勉強を頑張ったから、みんなが幸せになった。その後は一人で電車に乗る練習をしたり、制服っていうお洋服を着たり脱いだりする練習をしたんだ。



 

 小学生になる時、塾は全部卒業って言っておしまいになった。代わりに家庭教師の先生がお家に来る日ができた。ピアノとスイミングは変わらずに行く。それに幼稚園の時と違って、日曜日は英会話のレッスンの日になったの。だからお休みの日はなくなっちゃった。小学校に合格しても毎日忙しいのは変わらなくて大変。でも、寝る前の音読も朝のプリントもママが喜ぶから頑張るんだ。



 

 春になって新しくきた家庭教師の先生は、おばあちゃんみたいな先生ですっごく厳しい。ひらがなを書くと赤いペンがたくさん入るし、算数も苦手な文章問題でつまずいたら「なんでそんなこともわからないの」と怒られちゃう。




 今日は帰っておやつを食べたら、家庭教師の先生が来る日。なんだか、ちょっとだけ帰りたくないな。



 


 

 学校から電車に乗って駅まで帰ってきた。ちょっとだけ、1回だけ。私は駅のベンチに座って休憩することにした。ランドセルを隣の席に置いて、電車が来て、そして行っちゃうのをずっと見てた。

 


 

 気持ちのいい温かい風が吹いて、気がついたら隣に知らない女の子が座ってた。多分私と同じ小学生ぐらいの女の子。白いワンピースを着ていて、でも靴は履いてなかったから足が寒そうだった。


 

「靴、無くしちゃったの?」


 

 私は女の子が困ってるかもしれないと思って、話しかけてみた。


 

「いいえ。伝言を残しますか?それとも伝言を聞きますか?」


「伝言?それはなあに?」


「誰かに用件を伝えることです」


「んー?どういうことだろう」


「誰かに伝えたいことがあれば、私が聞いて記録します。誰かが残した伝えたいことを聞きたければ、私がそれを伝えます」


「じゃああなたにお話ししたことを誰かに伝えてくれるの?」


「正確に言うと違います。私はずっとここにいます。ですからここへ来た人が残した伝言を聞くことはできますが、残されていない伝言は聞くことができません。反対にここへ来た人に伝言を伝えることはできますが、伝言を伝えにどこかへ行くことはできません」


「あ!わかった!あなた黒板なのね!」


 

 学校の先生が、いつでも見ることができるように大事なことは黒板に書いてくれる。テストをする日や明日の持ち物、お家の人に伝えなきゃいけないこととか。この女の子は黒板の役をしていて、ここに書けば見に来た人がわかるんだ。でも、女の子は黒板なのに白いお洋服を着ているんだ。ちょっとだけ変なの。



「伝言は黒板に書かれることもあります」


「そうだよね!」

 

「あなたは何か残したい伝言はありますか?もしくは伝言を聞きたいですか?」


「伝言って……何を言ってもいいの?」


「はい、構いません」


「その伝言を誰も聞きに来なくてもいいの?」


「もちろん構いません。ただし、伝言を聞きに来た人へ教えないことはできません。伝言を聞きたいと言われたら、私はその人に伝言を伝えます」


「わかった。じゃあこう伝言を残したい。いくよ?」


「はい、いつでもどうぞ」



「ママとパパへ。いつもたくさんお勉強を教えてくれてありがとう。小学校も毎日楽しいよ。でもね、習い事がいっぱいあって大変なんだ。家庭教師の先生はいつも怒ってる。ずっと心が忙しいの……」


 

「以上でよろしいですか?」


「うん、おしまい」


「これはママとパパに宛てた伝言ですね。あなたのお名前を残しますか?」


「んー、私ってバレたら怒られちゃうかも。だから私たち二人だけの秘密ね」


「承知いたしました。あなたの名前は記録しません」


「ありがとう。私もう行かなきゃ、家庭教師の先生が来ちゃう。あなた、お名前は何て言うの?」


「名前はありません。私は伝言板です」


「名前がないの?じゃあ――あなたはでんちゃんね!じゃあね、でんちゃん」


 

 あーあ、おやつ食べる時間はないかもしれない。私は走って急いでお家に帰った。



 

 


 お家の前に着いた時、ちょうど先生もお家に着いたみたいだった。


 

「あら、花恋(かれん)さん。こんなギリギリに帰ってきたのですか?」


「先生。今日はその、ちょっと遅くなってしまって」


「すぐにお勉強の準備をしてください。私はリビングで待っていますからね」


 

 私は手を洗って、自分の部屋から急いで問題集とノートを持ってリビングに行った。先生はやっぱりちょっと怒ってるみたいで、机の端っこを指でトントンしてた。それから問題集とかプリントの問題を解いていたら、30分ぐらいでママが帰ってきた。先生は「私の帰りがギリギリだった」とか「前回やったところが今日もできていない」とか、ママにそういうことばっかり話した。ママは「すいません」って言うだけで、他には何も言わなかった。




 次の日から、毎日学校が終わると急いで電車に乗ってあのベンチに向かうことにしたの。朝の駅のホームはすごく混んでいて、でんちゃんを探すことは難しいから、帰りに会いに行くことにしたんだ。



「あ!やっぱり今日もいた!でんちゃん何してるの?」


 

 なんでかわからないけど、いつもベンチに座ってる。でんちゃんのお洋服は、毎日白いワンピース。違うお洋服は着ないみたいで、靴を履いてるところも見たことがない。やっぱり靴、失くしちゃったんじゃないかな。


 

「私の役割は伝言板です。私ができることは2つです。ここに来た人の伝言を受け取ること。聞きに来た人へ伝言を伝えることです」


「それってお仕事なの?」


「仕事ではありません。私の役割です」


「んー、難しいね。何が違うのか私にはわからないや」


「ご用件はなんでしょうか」


「用件?用件ってなんだっけ」


「伝言を残しますか?それとも伝言を聞きますか?」


「違うよ。私はでんちゃんに会いに来たんだよ。まあいいや。その伝言ってさ、私の知らない人のを聞くことってできる?」


「可能です。最新の記録から読み上げましょうか?」


「うん!教えて」


「四月二十四日、誕生日を祝ってほしいと思っていたのに。このことは絶対に許さないからね。死んでも許さない」

「四月二十二日「今のお話しどういう意味?」


「……。」


「それって昨日のお話だよね。怒ってるの?」


「わかりません」


「許さないって言ってたよ。喧嘩してるの?」


「わかりません」


「わからないの?まあいっか。お話の途中で話しかけてごめんね。お話の続き教えてくれる?」


「承知いたしました。四月二十二日、明日で逃げないか?俺たちならきっと大丈夫。俺は明日、いつもの公園で待ってるから」


「逃げるの?どこに?」


「わかりません」


「公園に行くって言ってたね」


「……。」


「あ!私も行っちゃおうかな!今日はピアノもあるし家庭教師の先生も来るし……ちょっとだけ嫌だなって思ってたの。私も逃げちゃおう。でんちゃん、じゃあね」


 

 もしかしたらもう公園に来ちゃうかもしれない。私は走って改札に行って、カードをタッチした。走ったからおじさんとぶつかりそうになったから「ごめんなさい」と言って、歩いて公園へ行くことにした。でも、公園ってどこだろう。ここから一番近い公園はまっすぐ公園かな。正解はわからないけど、なんだか悪いことをしていることが楽しくって、ふふふって笑いながら私は歩いた。

 



 

 

 まっすぐ公園にはオレンジ色の滑り台と、赤茶色のブランコ、そしてベンチが2つあるの。重たい学校のリュックをベンチに置いて、その隣に座ったら喉が渇いちゃった。リュックから水筒を出して飲んで、ふーっと深呼吸をした。誰かが来るのを待ってたの。「俺たち」とか「二人で」って言ってたから、人は二人来るのかな?男の人?女の人?何歳ぐらいの人が来るのかな。



 

 でも、ピアノが終わる時間まで待ったのに、誰も公園には来なかった。逃げるのやめちゃったのかな?せっかく私も逃げてみようって思ったのに。残念だなって思ったけど、代わりに良いアイデアを思いついた。


 そうだ!私がひとりで逃げちゃおっか。



 

 私はまた駅に戻ってきた。改札を通ってホームまで降りて、ベンチまで行ったけどでんちゃんはいなくて、ちょっとだけ探してみたけど見つからなかった。仕方ないからちょうど来た電車に乗り込んで、一番端っこの席に座ったの。空いてる電車の中でいろんなことを考えたよ。


 終点まで行ったら、いったどこに着くのかな?ずっとずっと遠くに行けるのかな?知らない場所に一人で行くと、どんな気持ちになるのかな。見たこともないところまで行ったら、何か面白いことが起きるかもしれない。そう思ったらわくわくした。


 小学校へ行くときに乗り換える駅を、初めて降りないで座ったままじっとした。ドアが閉まって電車が動き出した時、心臓がすごくドキドキしたけど、すごくワクワクもした。電車が進むにつれてちょっとだけ寂しい気持ちになって、でんちゃんも一緒に逃げないか聞けばよかったなって思った。



 

 長い長い電車に揺られながら、私はでんちゃんの教えてくれた伝言を何回も頭の中で聞いた。そしたら、伝言は四月二十二日の明日って言ってたことを思い出した。そうなると逃げるのは二十三日。今日は二十五日だから、私は日付を間違えちゃったんだとわかった。それに気がついた時には、もう知らない駅まで来ちゃってて仕方なかった。


 もう降りちゃおうかなとも思ったけど、やっぱり最後の駅まで行ってみることにした。なんだか、どこか遠くに逃げてみたかった。

 



 

 

「――花恋!花恋!」



 大声を出しながら走って公園に向かう。花恋が学校から帰ってきていないことに気がついたのは、1時間近く前のこと。仕事がもうすぐ終わるかなという時間に、ピアノの先生から電話があった。三度も不在着信があったのに、私は全然気がつかなかった。同僚がスマホ鳴ってると教えてくれて、やっと気がついた。いつも五分前には来るはずの花恋が、時間になっても教室に行っていないと。

 

 


 会社を飛びだし慌てて帰宅したけど、電気は消えたままでそこには誰もいなかった。花恋に持たせているキッズ携帯にGPSがついていることを思い出し、今度は家を飛び出した。家の前で家庭教師の先生と鉢合わせ「お金は払うから今日はキャンセルで」と伝えて、花恋を探しながら走った。


 GPSが示す公園まで来たけれど、公園のどこにもいない。何度スマホを見ても花恋の現在地はこの公園を示しているのに。日が暮れてきたことに焦りながらも隅々まで探せば、ベンチの下に携帯は落ちていた。どうしてこんなところに落ちているのか。そもそもこの公園に普段来ることはない。


 


 もしかして誘拐……?最悪の想像にめまいがする。震える手でなんとか小学校に電話した。しかしいつも通り帰ったと言われてしまい、イライラした私はそのまま最後まで話を聞く前に電話を切った。どんどん暗くなる空に不安が増していく。いつだって良い子で手のかからない娘。時間を守らなかったことなんて一度もない。


 私は夫の存在を思い出し、手汗を握って電話を掛けた。





 

「終点、あやめ駅。終点、あやめ駅」


 

 うとうとしてたけどアナウンスの声で目が覚めた。最後の駅に着いた。達成感でいっぱいになって電車を降りると、ほんのり心臓がざわざわした。ちかちかしている電光掲示板を見たら、本当だったら家庭教師の先生が帰る時間。どれぐらい電車に乗ってたんだろう。初めて聞いた駅の名前。私はうんと遠くにきちゃったんだと思った。



 

 カードをタッチして改札に出る。みんなが進んでいく方についていくとお外に出れて、もう空は暗くって、とっても広かった。暗くなる空を見てちょびっと不安になったけど「冒険だ!」と思ったら楽しくなってきた。スキップをしながら歩いていたら、目の前に大きなショッピングモールを発見。ちょうどお腹がグーってなって、何か食べようかなって思ったから入ってみることにした。


 フードコートにいつもパパと行くハンバーガー屋さんを見つけて、みんなが並ぶ列の一番後ろに並んだ。お店の人にハンバーガーとポテト、オレンジジュースを注文してカードをピッてタッチした。「気をつけてね」と言われてトレーを受け取った私。端っこの席がちょうどあいたからトレーをテーブルに置いた。リュックを椅子において、反対側に勢いよく座った。たくさん逃げたから疲れちゃったのかな。



 

 ハンバーガーを食べ終わってポテトを食べていたら、隣のテーブルにママそっくりな人が座った。ママとパパ、心配してるかな?何も考えないで逃げてきちゃったけど、私悪い子だよね。そう思って、メールしなきゃってリュックの中を探したんだけど、なんでか携帯が見つからない。トレーを端っこに寄せて荷物を全部出したけど、やっぱり入ってない。朝、お家に忘れちゃったのかな?



 ――どうしよう。





 

 夫に電話してもでない。仕方がないので「花恋が帰ってこない」という内容のメッセージを送った。どうしたらいいのかわからず、とにかく駅から家までの道のりを何度も探した。大きな声で「花恋」と呼んでもまったく見つからない。



 

 ――ピロリン、ピロリン、ピロリン。

 



 夫から折り返しの電話がやっとかかってきた。

 


「花恋がいないってどういうことだ?GPSは」


「家と駅の間の公園に携帯が落ちてたの……どうしよう!」


「警察は?」


「あっ、まだ行ってない」


「今すぐ連絡してくれ。俺もすぐに家に帰るから。また連絡する」



 電話を切ってすぐに、私は近くの交番に駆け込んだ。





 

 ペットショップでワンちゃんを見ながら、どうしようかなって一生懸命考えた。このまま迷子になっちゃったらどうしよう。このままひとりぼっちだったらどうしよう。もし私のお家にワンチャンがいたら、私のこと見つけてくれるかな?


 


 前にワンちゃん飼いたいって言ったら「お散歩に行く時間がないでしょ」って言われちゃった。パパにも「朝のお勉強はどうするんだ」って言われちゃったし。もしもワンちゃんがお家のいたら、お勉強もピアノももっと頑張れると思うんだけどな。一人で寝る時にワンちゃんがいたら、きっと寂しくないのにな。



 

 私の夜の一番の楽しみは、寝る前にママが絵本を読んでくれる時間だったのに……小学生になったらその時間は無くなっちゃった。その代わりに音読をすることになって、ママは「もっと気持ちを込めて読みなさい」とか「漢字を読めないなら調べなさい」って怒ってばっかりで楽しくなくなっちゃった。最近ママはいっつも同じことを言うの。


 

「ママも忙しいの。まだお仕事しなきゃいけないんだから、きちんと読みなさい」



 私はちゃんと「ごめんなさい」を言うんだけど、たまにベッドで泣いちゃう時がある。なんでこんなに寂しいんだろう。




 

 

 勢いよく交番にかけこむと、警察官のお兄さんに落ち着いて「行方不明者届」を書くように言われた。手の震えが治まらずなかなかうまく書けない。家に帰っている可能性があるからと、一度家に帰るよう言われた。頬を叩いて、少しの希望を持って帰宅したが、家は暗いままだった。私は電気もつけず頭を抱えて玄関に座り込んだ。


 私が厳しくしすぎたのだろうか。


 それから少しして夫が帰ってきた。居ても立っても居られず、夫を家に残して私は駅に向かった。


 


 改札まで降りると、駅員さんが目に入った。


 

「すみません!この子見ませんでしたか?」



 そう言ってスマホの写真を見せると、駅員さんはスマホを手に取ってまじまじと見る。



「いつもの時間……たしか三時半ごろに改札を出ていったと思うよ。紺色の制服にリュックでさ。防犯カメラ見て見ようか?」


「お願いします!」


 

 藁にも縋る気持ちで頼み、駅員室で防犯カメラを一緒に見る。確かに、三時半過ぎに改札から出ていった。



「その女の子、どうかしたんですか?」


 

 別の駅員さんが出てきてそう尋ねてきた。


 

「行方不明なんだって」

 

「最近ベンチにずっと座ってる子ですよね。夕方かな?多分電車に乗ったと思いますよ」


「それ何時だ?」


「四時半は過ぎてたと思いますけど」


 

 防犯カメラをさらに進めてもらうと、花恋が改札を通り抜けるところが映っていた。


 

「16:43か。どこ行きの電車に乗ったか調べてみるから、お母さんちょっと待っててください」



 永遠のように感じる5分も過ごし、じっとしていられず体を揺する。駅員さんは「まずいな」と言いながら帰ってきた。


 

「直通電車に乗ってる。終点はあやめ駅だ。電車で一時間半の距離だよ」



 私はどうしようもない焦りから、髪の毛をくしゃくしゃに搔きむしり、駅員さんの声を無視して改札を通り抜けた。



 


 

 店員さんがずっとこっちを見ているから、私はペットショップを出て本屋さんに入った。目の前の児童書コーナーにはお気に入りの本。魔法使いの女の子がママとお菓子を作るお話。女の子とママはとっても仲良しで、いつもお菓子を作っていて、いいなって思う。


 私も去年のクリスマス、ママとクッキーを焼いた。サンタさんにあげるためのクッキーを作ったの。あの時はすっごく楽しかったのに、今はなんだか心臓がもやもやする。


 たくさん並んでいる本の中から、まだ持っていない本をレジに持って行って、カードをタッチして買った。寂しい気持ちを無くすために、私はショッピングモールのベンチに座って、その本を読むことにした。




 

 

 駅のホームに降りても、もちろん花恋はいない。そういえばさっきの駅員さんが「最近ベンチにずっと座ってる」って言ってたっけ。習い事先の先生から、最近はいつも時間にぎりぎりだと言われていた。遅刻しているわけじゃないから理由は聞かなかったけど、ここにいたの?

 

 私はベンチに座り、最近の花恋について思い出す。いつもいい子で、こんなふうに時間を破ったのは初めて。今日の朝だって、いつも通り朝のプリントをこなしてから学校に向かった。もうお風呂も一人で入れるし、寝る支度だってこっちが何も言わなくても進んでやっている。


 思い当たることがない。その事実に私は花恋のことが何も見えてなかったんだと、突き付けられたような気がした。

 


 

 花恋が乗ったと思われる行き先に行く電車が目の前に止まり、そして出発した。薄暗いホームに生暖かい風が吹いた。

 

 そして気がつくと、隣に花恋と同じぐらいに見える女の子が座っていた。






 本を読み終わったって、いい加減そろそろ帰ろうかなと思って、ショッピングモールの一階を通る。広場の時計は、いつもならお風呂に入ってる時間を指している。


 どうしよう。怒られちゃうかな?それとも――心配してくれるかな?


 駅まで歩く足がゆっくりになって、空は暗くって、心が寂しくなった。帰ったらお勉強の時間がないでしょって言われちゃうかな。今日はピアノも家庭教師の先生のお勉強も、初めてサボっちゃった。みんな、みんな怒るかな。





 

 隣に座る女の子は白いワンピースを着ていて、長い髪の毛はまっすぐにおりている。よく見ると靴も履いていない。思わず花恋を重ねて声をかけてしまった。


 

「靴、無くしちゃったの?」


 

 私は女の子が困ってるかもしれない。もしかしたら花恋のように行方不明の女の子かも。花恋を探さなければならないことはわかっていたけれど、目の前の女の子を心配せずにはいられなかった。

 


「いいえ。伝言を残しますか?それとも伝言を聞きますか?」


「伝言?あなた、何言ってるの……」


「私の役割は伝言板です。私ができることは2つです。ここに来た人の伝言を受け取ること。聞きに来た人へ伝言を伝えることです」


 

 目の前の子が言っている意味がわからない。自分のことを伝言板と名乗る少女を幽霊のような不気味さを途端に感じたが、不思議と恐怖はない。なんなら親しみを感じるほどに、可愛らしかった。


 

「伝言を聞くことはできる?」


 

 なぜそう口にしたかはわからない。伝言を聞いたところで何も解決しないことは理解している。


 ――でも、もし花恋が何か伝言を残していたら。

 

 そんな淡い期待が心によぎったのかもしれない。


 

「最新の記録を読み上げましょうか?」


「えぇ、お願い」


「四月二十四日、誕生日を祝ってほしいと思っていたのに。このことは絶対に許さないからね。死んでも許さない」


 

 機械的にただ読み上げるだけで、静かに目の前を見つめる女の子。一切の感情を感じない。


 

「四月二十二日、明日は二人で公園にでも逃げないか?俺たちならきっと大丈夫。俺は明日、いつもの公園で待ってるから」


 

 伝言板を残した人が男性なのか女性なのか、年齢はどれくらいなのか、誰に当てた伝言なのか、差出人は誰か……女の子の声からは何もわからない。メッセージだって怒って言ったのか、泣きながら言ったのか、本当に何も読み取れない。

 

 

「四月二十一日、ママとパパへ。いつもたくさんお勉強を教えてくれてありがとう。小学校も毎日楽しいよ。でもね、習い事がいっぱいあって大変なんだ。家庭教師の先生はいつも怒ってる。ずっと心が忙しいの。だからたまには寝る前に絵本を読んでもらったり、一緒にクッキーを作ったりしたいな」


「四月「待って!」


 

 私が遮ると、女の子はこちらを見もせずに黙った。


 

「今の、誰が残した伝言なの?」


「わかりません。差出人が誰か残されていないのでしたら、それは私にはわかりません」


「な、何それ。私は今!必死で……」



 私が声を荒げても反応がない。本当に女の子の形をした伝言板のように感じる。



「もう一度聞かせて、最後の伝言を」


「四月二十一日、ママとパパへ。いつもたくさんお勉強を教えてくれてありがとう。小学校も毎日楽しいよ。でもね、習い事がいっぱいあって大変なんだ。家庭教師の先生はいつも怒ってる。ずっと心が忙しいの。だからたまには寝る前に絵本を読んでもらったり、一緒にクッキーを作ったりしたいな」



 間違いない。これは花恋の残した伝言だ。忙しい小学生なんてたくさんいる。


 でも……小学生になってから私は絵本を読んであげてことがあった?一緒に何かしたことはあった?花恋に、大好きって伝えたことはあった?


 いや、私はどれひとつしていない。



 

 ――ピロリン、ピロリン、ピロリン。

 



 スマホが鳴り画面を見ると、それは知らない番号だった。


 

「こちらあやめ駅の駅員室、田中です。坂本さんのお電話で間違いないでしょうか?」


「は、はい!もしかして女の子が来てませんか?」


「あっ、そうなんです。花恋ちゃんという女の子が、ICカードにお金がなくて帰れないと言っていまして。あのお迎えに「行きます!今すぐ行きます」


「そうですか、ありがとうございます。改札でわんわん泣いてたので、よかったらお電話代わりましょうか?」


「お願いします!」


「……もしもし、ママ?」


「花恋あなた、何やってるの!ママがどれだけ心配したかわかる?ママは――」



 そこまで言って、私は気がついた。


 ――心が忙しいの。


 花恋が伝言に残した言葉。私が聞くかもわからない場所に、ひっそりとこぼした言葉。私はその伝言を聞いてなんと思ったのか。



「――ママは、花恋が大好きなの。いなくなって寂しかった。今からお迎えに行くから、駅員さんの言うことをよく聞いて待ってなさい。すぐに行くわ」


「うん、ごめんなさい」



 泣き疲れたのか、しゃっくりと少し枯れた声。不安なんだと伝わる「ごめんなさい」という言葉。私は駅員さんによろしく頼み、夫へ電話をかけた。



 


 

 駅着いて改札にカードをタッチすると、ビービービーと音が鳴って、赤く光った。もう一度やってみたけど、またビービービーって音が鳴って、改札が開かなかった。びっくりして心臓がキューッとなった。私がハンバーガー食べたり本を買ったから、お金がなくなっちゃったんだ。ママが学校までは定期券で行けるけど、困った時のために入れてくれたお金。全部使っちゃったからお家に帰れなくなっちゃったんだ。


 駅に向かうまでは怒られちゃうかなって思ってたけど、今は怒られてもいいからお家に帰りたい。そう思ったら、目からお水が止まらなくなった。



 

 私は大きな声で泣いていたから、周りの人がギョロギョロとした目でこちらを見ているのに気が付かなかった。優しい女の人に声をかけられるまで、わんわんと泣いた。


 

「大丈夫?どうしたの?」


 

 女の人の声を聞いたらママを思い出して、どんどんお水が止まらなくなっちゃって、私はちゃんとお話ができなかったの。それでも女の人は、駅員さんのところに連れて行ってくれた。



「どうしたの?迷子かい?名前は言える?」



「さ、さ、坂本……」


「坂本さんなんだね。下のお名前は?」


「か、れんっ」


「坂本花恋ちゃんね。お母さんかお父さんの電話番号わかる?」



 私は涙を拭いて、リュックの中の緊急連絡先のカードを渡した。


 

「しっかりしてるね。これで連絡できるから大丈夫だよ、ちょっと待ってな。おじさんがお母さんに電話してあげるからね」



 そう言ってすぐに電話をかけてくれた。





 

「花恋が見つかった!」


 

 そう夫に電話をして、駅まで迎えに来てもらうことになった。電話を切って急いで改札に戻ろうとした時、隣の女の子がいなくなったことに気がついた。しかしそんなことを気にしている余裕はなかった。


 


 夫はすぐに車で迎えに来てくれて、急いで助手席に乗る。

 


「あやめ駅とは、ずいぶん遠くまで行ったもんだな」


「そう、ね……これって私のせいかしら」


「なんでそう思う?厳しくしすぎたって?」


「うん。あなたは信じてくれないかもしれないけど、私は不思議な女の子に会ったの」


「女の子?」


「駅のホームのベンチに、自分のことを伝言板って名乗る女の子がいてね」


「伝言板少女かい?まさか会ったのか?」


「伝言板少女?なにそれ」


「魂と魂を繋ぐ女の子。プラットホームの4番ドアの前にいる女の子は、伝言を繋いでくれるって都市伝説」


「……確かに4番ドアの前だったかもしれない。でも、そんなの「伝言を聞いたのか?」


「伝言……そう、伝言を聞いたの。誰が書いたかはわからなかったけど、多分花恋が残したんじゃないかって思うものがあって」


「どんな伝言だい?」


「ママとパパへって。 小学校は楽しいけど習い事がいっぱいあって、ずっと心が忙しいって。たまには絵本を読んだりして欲しい。一緒にクッキーを作りたいって……」


「小学生になってから絵本、読んでなかったな。でも、クッキーなんて一緒に作ったことあったか?」


「クリスマスに、サンタさんへってたった一度だけだけど」


「花恋はわがまま言わないし、素直ないい子だ。俺たちはそれに甘えてたのかもしれないな」


「うん。私、花恋に謝りたい」


「俺も謝るよ」


 



 

「……かれん……花恋!」


「ママ?」



 私は気がついたら駅員さんのお部屋で寝ちゃってたみたいで、目を開けたらママとパパが迎えに来てくれてた。


 

「ママ、パパ……私ね」


「ママが悪かったわ。花恋、ごめんね」


「悪いパパだった。ごめんな、花恋」



 どうしてママとパパがごめんって言うのかわからなかったけど、なんだか私はまた目からお水が出てきちゃった。 駅員さんに「ごめんなさい」と「ありがとう」を言って、3人で車に乗った。


 

「ママはもっと花恋とおしゃべりしたいなって、今日気がついたの。だからね、習い事ちょっと減らそうか」


「ほんとに?」


「パパもその方がいいんじゃないかって、ママと話して決めたんだ。それに花恋、犬を飼いたいって言ってたろ?だから次のお休みの日、ペットショップに行こうか」


「いいの?」


 

 なんでかはわからないけど、私はこの日からママと寝る前に絵本を読んで、朝はパパとたくさんお話しをした。



 



 初めて逃げたあの日から何回もでんちゃんを探したけど、もう会えなかった。私は、もしかしたら靴を見つけたのかもしれないって思った。ひとりぼっちは寂しいから、でんちゃんにも仲良しができてたらいいな。



 


 

 土曜日に約束した通り、ペットショップへ行ったよ。白くてふわふわのワンちゃんがお家に来るんだって。ママとパパと三人で選んだ女の子が家族になった。



「この子の名前何にしようか?」


「花恋は何かつけたい名前はあるかい?」


「私が決めていいの?」


「もちろん、花恋の親友になるワンちゃんだからな」


「――でんちゃん!」


「でんちゃん?」


「前にできたお友達の名前なの。もう会えなくなっちゃったけど、でんちゃんはいつも白いお洋服を着てたから。このワンちゃんにぴったりの名前だと思うんだ!」


「……そのお友達とは、どこで出会ったの?」


「駅のベンチだよ」



 私がそう言うとママとパパが見つめあって、それから笑ったの。



「ママもね、でんちゃんに1回だけ会ったことがあるんだ。だからいい名前だと思うよ」


「そうなの?知らなかった」



 私の残した伝言を聞いたかな?もしママが聞いたら怒っちゃうかもしれないから、知らないといいな。




 ママとパパと私、それからでんちゃんの四人家族になった。明日はでんちゃんが来たお祝いで、みんなでクッキーを焼くんだ。もしまたいつかでんちゃんに会えたら、教えてあげたいな。




 

 

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伝言板少女 中村 ちこ @tico_nakamura

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