【短編ホラー】回転と繊維
ささやきねこ
深夜のコインランドリー
深夜二時。終電を逃したわけでもないのに、私はひどく疲れていた。
家まで歩く気力がなく、寄り道のようにコインランドリーへ入った。
スーツのシャツが汗で少し湿っている。それがどうしようもなく不快だった。
白色LEDの光が、やけに強い。
床は磨かれていて、ガラスは指紋ひとつない。
無人のはずなのに、見られているような感覚がある。
乾燥機のドラムが、私の視界の端で回っている。
ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
スマホを握る指先が、じんわり汗ばんでいる。
けれど、空気は乾きすぎていて、皮膚の水分を全部吸い取っていくようだ。
息を吸うたび、喉の奥がざらついた。
柔軟剤の香りが漂っている。
甘ったるいのに、どこか薬品めいた刺激臭だ。
私は肩を落としながらベンチに座った。
画面を見つめても、回転音が頭の後ろで膨張していく。
ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
まぶたが重い。
意識が、回転に巻き込まれる。
乾燥終了の電子音で我に返った。
フィルター掃除を促す赤いランプが点滅している。
「はいはい……」
フィルターを引き出すと、指先に鈍い抵抗があった。
溜まった綿埃が固まって、厚い層になっている。
いや――これは綿埃なんてものではない。
灰色の、フェルト状の固まり。
皮膚片や髪の毛が絡み合い、樹脂のように圧縮されている。
指で摘むと、ざくっ……と、乾いた音を立てた。
「……」
こんな量、普通じゃない。
今日洗ったのは、シャツ数枚と下着だけだ。
薄暗いベンチの下に、それをそっと置いた。
視界の端で、妙に存在感を残したまま、沈黙している。
ふと、奥の乾燥機が目に入る。
私が入店した時から、ずっと回っていたやつだ。
中には、何も入っていない――ように見える。
けれど、ドラムの奥の金属壁に、ベージュ色の何かがへばりついている。
回転するたび、それが遅れて剥がれ、叩きつけられてはまた張りつく。
バサッ。
ドサッ。
バサッ。
ドサッ。
衣類のボタンが当たるような軽い音ではない。
もっと重く、乾いた肉のような音。
「……誰かの……毛布?」
そう思いかけて、口をつぐんだ。
あんな均質な色の布地なんてあるだろうか。
LEDの光が、ドラム越しにそれを照らすたび、
細かい繊維がほぐれ、舞い、また吸い込まれていく。
静電気を帯びた埃が、ガラス扉にぴったりと貼りついた。
私は、目を逸らした。
取り出した自分のシャツは、乾燥で縮んだわけではない。
手触りが違う。
薄い。軽い。
まるで、誰かに中身を抜かれたみたいだ。
袖を通すと、肘のあたりに違和感が生まれた。
ざらり。
「ん……?」
服の内側に、長い髪の毛が一本、縫い付けられたように絡んでいる。
引っ張っても抜けない。
まるで、繊維の一部になってしまっているかのように。
ぞわり、と背中が粟立った。
いつの間に――。
周りを見渡す。
店舗は明るい。
自分以外、誰もいない。
ガラス戸の向こう、夜の街路樹が静電気で枝を逆立てている。
ビルの窓は暗く、どこかの換気口から吐き出される乾いた風だけが吹いている。
私は、急いで荷物をまとめた。
出口へ歩き、自動ドアの前に立つ。
開かない。
センサーに手を振る。反応がない。
ドアに指先を当てると、金属が熱を持っていて、乾いた静電気が肌を刺した。
スマホを取り出し、時刻を見る。
2:07。
変わらない。
通知も来ない。
圏外ではないのに、どこにも繋がっていないような画面。
背後で、回転音が一段大きくなる。
ゴウン、ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
振り返るのが怖かった。
視界の端で、奥の乾燥機が、回転を速めている。
バサッ、ドサッ、バサッ、ドサッ、バサッ――。
扉のガラスが、内側から膨らんでいるようにも見えた。
いや、そんなはず……。
「――まだ乾燥は終わっていません」
誰かの声。
機械的でもある。
幻聴と言い切れないほど、耳の内側を震わせる音。
「……乾燥?」
私は呟きながら、自分のシャツの袖を摘んだ。
薄い。
毛羽立っている。
爪でこすると、白い繊維がふわりと浮き、床に落ちた途端、静電気に吸い寄せられて消えていく。
私の皮膚も、かすかに痒い。
腕を掻くと、乾いた皮膚片が指先に残る。
それもまた、軽くて――繊維のようだった。
「……嘘」
ドラムの回転が、また意識を奪っていく。
視界がぐにゃりと揺れた。
気がつくと、ドアの外に立っていた。
どうやって出たのか覚えていない。
背中には、洗濯物の入ったバッグがある。
振り返ると、コインランドリーは真っ暗だ。
あれほど明るかった店内が、電源を落とされたように闇の塊になっている。
風が吹く。
街路樹の葉がカサカサと震え、アスファルトを灰色の埃が転がる。
バッグの中の衣服が、布とは思えない軽さで揺れた。
歩き出すと、袖がざらりと肌を撫でた。
また痒みが広がる。
掻けば掻くほど、爪の間に白いものが挟まっていく。
乾いている。
あまりにも。
細かく、軽い。
私は道端の光に照らされながら、その白い塵をそっと見た。
繊維だった。
私のものか、誰かのものか、それは判断できない。
ただ――
薄暗い夜空の下で、
それは風に乗り、すぐにどこかへ消えた。
私の身体の輪郭が、少しだけ不確かになった気がした。
【短編ホラー】回転と繊維 ささやきねこ @SasayakiNeko
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